2012年01月19日

カール・ポランニー再訪

 ポランニーの名前は栗本慎一郎を通じてかなり早い時期から知ってはいたのだが。また、ハイエクの「隷従への道」とほとんど内容が正反対であった「大転換」も興味深い著作ではあったのだが。

最近の読了
 カール・ポランニー「経済と文明」「文明の経済史」いずれもちくま学芸文庫
  共にB2

 B2,というのは、ポランニーの(経済)思想をある程度知っていれば特に驚きの要素はないというだけのことであって、カール・ポランニーの著作全体への評価ということになれば、必読という意味ではAとなるだろうか。

 「経済と文明」のほうは、「大転換」に匹敵する大論文であって、アフリカ・ダホメ王国が行った奴隷貿易(今や、黒人奴隷とは、アフリカ人が西洋人に「積極的に」輸出していた「商品」だということは、かなり広く知られていよう)における取引の実態から、通貨とは何かを考察した著作である。ポランニーによれば、通貨というものは、少なくとも四種類の役割を果たしていた。それは、1)尺度としての貨幣(ある物品が、貨幣何枚に相当するか、という基準) 2)価値を保蔵する手段としての貨幣(今なら銀行へ預金したり株・不動産を買うという手段もあるが) 3)支払い手段としての貨幣 4)交換を促進する手段としての貨幣(等価値の物々交換以外の方法が可能になる) ということだが、現代の通貨がこのすべての働きを持っているのに対して、古代の通貨はこれらにそれぞれ別々の種類を当てていた。それを、ポランニーは無知からではなく、ある意図を持ってそういうシステムが貫かれていると考えた。そこから、近代の市場というシステムが互酬性(reciprocal)を持った交換に必須のものではないという考えが生まれてくる。
 筆者のみかたでは、ポランニーは資本主義の当然の帰結として市場万能主義があって、それは最終的に民主主義を破壊してゆくものだと考えていたように思われる。そしてそれを立証するためには、まず現代における貨幣や市場が社会にとって必須のものではないことを証明してみせる必要があった。その一例としてダホメを取り上げたように思われるのである。

 そして、今の文章の前段および後段の部分を補強する、あるいは論証するために書かれた論文を収めたのが「経済の文明史」である。そうしてその結果、「大転換」の時点では資本主義に代わって民主主義を実現してくれるシステムとして彼は社会主義を支持したわけであるが、彼はマルキストではないから、北欧型の社会民主主義も彼が想定したひとつの社会のありかたであるように思われる。しかし、ハイエクのあり方とポランニーの主張は二律背反ではない。北欧型社会主義においても、「大きい政府」を排するためにより地域に密着した単位での福祉のあり方も追求できるだろうし、その場合NPOといった民間の力を活用することは当然視野に入ってくる。ハイエクが「隷従への道」を書いた時点では、ブロック経済が欧州では主流であったことに留意する必要がある。公共事業の効率の悪さは、「小さな政府」とせずともシステムを慎重に練り上げることで回避可能なのではないか。

 いずれにせよ、ポランニーのような根源的な思考のあり方は、混迷の時代に適切に舵を取るためには是非とも必要なものである。筆者には、小泉/竹中流の規制撤廃/市場万能主義がこれからの日本を成長させるとは到底思えない。むしろ、互酬性や平等・安心というキーワードを主に、あるべき社会を構築していったほうがいいのではなかろうか。

厳冬期笊ヶ岳再訪(4)

 たぶんこれであっていると思うのだが。

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2012年01月11日

厳冬期笊ヶ岳再訪(3)

 予定では笹山まで縦走のはずであったが、諸般の事情にてルートを変更した。ここから帰るとなると、1000人中999人、いや10000人中9999人は新倉に降りるルートを選ぶであろうが(もちろん別当代山から湯島へ降りるルートとかはあるけれども)、あえて二軒小屋に降りるという選択肢を選んだ。この時期、もちろん東俣林道に東海フォレストや井川観光協会のバスは通っていない。

 では、どうするのか? 正解は、

 林 道 を 歩 く

 のである。

 二軒小屋に降りて、東俣林道をしばらく歩くと、「沼平ゲートより25km」の標識がある。寸又川左側林道が40km強だから、それに比べると軽いと思って耐えるしかない。しかもこちらは下りである。二軒小屋から椹島まで三時間、椹島から赤石ダムまで一時間、赤石ダムから青薙山登山口まで二時間、青薙山登山口から畑薙第一ダムまで二時間の道のりを黙々と歩く。畑薙第一ダムに設置してある公衆電話が何とカード専用式であることは特記すべきだろう。NTTさんには早急にコインも使える機種に取り換えて頂きたい。

 このあと、何が起こったのかはまたいずれ述べる機会があるであろう。たぶん、このblogを読んでくださっている方々の中でも、誰もやったことがないと思われる、沼平ゲート〜二軒小屋の厳冬期漫歩であった。

 東俣林道から赤石岳

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 赤石ダムから上河内岳

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厳冬期笊ヶ岳再訪(2)

 テントの中は温度計では0度くらいなのだが、実際にはもう少し下がっていたようだ。テントの内張は完全に氷結していた。それほど急ぐ旅ではないと思いつつ、七時くらいには出発する。昨日のダメージと、十分に睡眠が取れなかったこともあって、あまり進まない。九時過ぎに待望の山頂に立つ。さすがに典型的な冬型の天気図で、文字通り雲一つない快晴。地蔵ヶ岳のオベリスクから光岳に至る南アルプス全山が綺麗に見える。

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 ここからは原生林の中をゆっくり下って、ガレの縁を200mほど登ってゆく。登り着いたところから直進せずに左へ旋回してゆくが、まちがえて直進してもヤブの中で道はないからすぐに気付くだろう。左(西)方向へ少し登れば生木割である。ここにはCATVの施設があり、頂上は平坦だからテントが張れる。

 ここからは緩く登りと下りを繰り返し、展望のよい2430mピークで東北東へ向かう。そして鞍部から長いトラバース道に入るが、ここは特に積雪期には注意すべきだ。1メートルくらいの積雪があるなら尾根を歩いてしまったほうがいいかもしれない。この部分的に歩きづらいところもあるトラバースを終えると稜線に戻り、ほどなく古い林道に出る。ここ、地形図では稜線上を歩くように書かれているが、ルートはこの林道のようだ。やがて下から来た状態のよい林道に合すると、伝付峠である。意外なことにここにも誰もいなかった。水場の脇の広場にテントを張る。

厳冬期笊ヶ岳再訪(1)

 昨年、二月の末にランカン尾根から初登頂を果たした笊ヶ岳に、最も代表的な登山道である雨畑ルートから登ってきた。

 一昨年末に奥秩父・和名倉山から将監峠〜飛竜山に登った際には、ワカンは必要ないものの、登山靴がざっくり埋まってスパッツが必要なほどの積雪があった。今回はロケーションや季節から奥秩父と同等くらいの積雪を予想して行ったので、ワカンは持参しなかった。一日目に布引山に上がって、二日目に伝付峠まで抜けようという計画である。

 幸か不幸か、身延〜奈良田の山梨交通バスは昨年12月31日をもって廃止になってしまった。そのかわり、早川町による代行バスが運行することになった。それに伴い、今まで便のよくなかった大島〜雨畑の乗り合いタクシーも、身延〜奈良田のバス便に接続するようになった(要予約)。そこで、公共交通機関を使って(さいきん、自家用車がなければ登山ができないような風潮がいろいろなところではびこっているが、登山という自然を愛するスポーツをするなら、可能な限り自家用車の使用は避けるべきだろう、というのが筆者の考え方である。もちろん、筆者じしんクルマの運転をしないという事情もあるが、それでもできる限りタクシーの使用は避けたいと思っている)馬場(ばんば)まで移動することが可能だ。8:10という、何とかぎりぎり実用時間に到着できる。

 そこから老平を経て、沢沿いの林道を歩いてゆく。林道の最後のところで道が二岐に分かれ、どちらを行くべきか標識上ははっきりしないが、右の道をゆくと、まもなく登山路にさしかかる。
 ここの沢沿いの登山路が台風で落ちているために、早川町は公式には登山禁止にしているのか、と想像していたのだが、ここは問題なく通れる。しかし、である。ここは何箇所か崖側から水が流れている箇所があって、そこが冬季だと凍結している。あきらかに一箇所アイゼンを付けないと歩けない箇所がある。じつはこの沢沿いの平坦なへつりが最も危険な箇所であった。

 広河原の徒渉も、ポイントを替えて靴のまま渡る。マーキングのところはやはり凍結していて渡りにくく、多少下流へ移動したほうが安全である。広河原到着が10:40頃で、無雪期ならともかく積雪期に布引山まで歩くのは少々厳しく、桧横手山あたりでの幕営も考えた。この後は水場は存在しないため、翌日分も含めて8Lほどの水を背負う。いざ勝負である。

 雪は非常に少なくスパッツ装用は不要であった。しかしあの尾根を登った、あるいは下ったことがある方ならわかると思うが、ここは劇坂が最後まで続くコースである。途中、積雪がやや増えて、斜面を上がるのに労力が必要になってから、一部分アイゼンを履いて歩くことにした。所々にワイヤーが散乱した跡あり。カラマツの植林も一部みられるが、ほぼ自然林の尾根である。標高1600mくらいからは針葉樹中心の林となってゆく。右手にランカン尾根を看つつひたすら登る。この尾根は男らしいというか、ほとんど下りがなく、登り返しがないために気分は楽である。桧横手山に到着したのは15時前であった。これなら布引山までは水平距離にして1.5kmほど、通常なら二時間くらいで着くはずである・・・が、まだ標高差は500mを余しているのである。しかし、期待したような、積雪によるテント適地はなく、上に登る以外の選択肢は考えられなかった。

 ここから2264m尾根に合流するまでがこの雨畑ルート中最も傾斜がきつい箇所である。しかし、特に合流直前の標高差100mほど、尾根のかたちが明瞭でない場所が最もきついのだが、ここはジグザグに道が切ってあり、地形図を見てのけ反るほどの急登ではない。ランカン尾根から登ってこの尾根を降りた時には、当然ながら雪のためこの道は見えず、「こんな急なところを下るのか!」と驚愕しつつ、文字通り転げ落ちたものであるが、そういう驚愕はこんかいはなかった。

 ここを過ぎて尾根に合流してからは登りの傾斜は緩み、やがて布引ガレが出てくる。こうなると占めたものだが、もう日は落ちて残照と月明かりで登るようになると、不意に頂上が現れる。午後六時を回ってしまった。予想はしていたが頂上には先客はだれもおらず。テントを張り終えたが風もなくしんとした夜であった。

2012年01月03日

新年?

 あまりおめでたくも思えないので、年始の挨拶なるものは御遠慮させて頂いている。そのようなメリハリのない気分ではいけないのかもしれないが、このところの体調不良で体重も増加し、また運動が出来ていない。マラソンの後、どうも抵抗力が落ちた状態が長期間続いている。

 マラソン後、まだどの山にも行けていなかった。年末の休みはずっと家で休養、まだ咳が抜けず微熱もあるもようだが(結核!?)二日にようやく日帰りで登山に行ってきた。東日原からタワ尾根を経由し、天祖山から降りてくるという周回コースで、特別コースについて何も述べる必要はなかろうと思われる。

 ウトウノ頭に二枚の標識があったので、写真に撮ってきた。一枚目は陶板である。

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 筆者の関心は、誰がこのような力作を作ったのかであるので、裏を見る。

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 G.Yagi氏の作品であったようだ。では、もう一枚の木版のほうはどうか。

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 これも、タンに木版に色を塗っただけのものではない。れっきとした彫刻である。して、このような力作を作った御仁は・・・

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 何と、「鵜藤」さんであった。このような思い入れを持って木版を製作した動機が伺える。

 では、最後に、滝谷ノ峰ヘリポートからの天祖山。

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2011年12月23日

皮膚炎(2)

 その後、金属アレルギーを疑って、パッチテストを受けてみたが陰性。パッチテストは金属アレルギーでは必ずしも陽性にはならないが、可能性は低いとみてよさそうだ。

 本日、USバイオテック社に依頼していた食物IgG抗体の結果が返ってきた。驚いたことに、乳製品全般と卵(卵白、卵黄)に非常に高度のIgG抗体が認められた。これが皮膚炎の原因とは即断できないが、ホエイプロテインなぞまさにアレルゲンの固まりというわけだ。

 とりあえずの対策として、
1)卵およびそれが含まれている菓子などは全面禁止
2)プロテインは大豆へ戻す
3)自家製カスピ海ヨーグルトもやめるしかない・・・チーズも禁止
4)豆乳買ってきて飲みます

 抗体価が下がってくれば症状も出にくくなるだろうが、基本的には避けておいたほうが無難だろうなあ。

2011年12月21日

NHK紅白歌合戦

 人選がPCすぎて気持ちが悪い、と感ずるのは筆者だけだろうか。

 どうせ見ないから関係ないけど。そもそも正月番組などつまらなくて観る気になれない。金正日もお亡くなりになったことだし、やっぱり山へ行ったり読書をしたりして有意義に過ごしたい。

2011年12月20日

危機の二十年

 わたくしが書評を書くときの基準として採用しているのは以下のようなものだ。基本的にはAからCまでの評価を与える。論理構成が破綻しているもの、結論に納得できるかどうかではなく(筆者は結論に賛成できるかどうかで評価を変えていない)結論に至る筋道が理解不能なものなどにはDをつけている。タンによい本であるかどうかを超えて、「世界観を変えてしまう」ほどインパクトのあるものにはSを与えている。
 例えば、『ディスタンクシオン』は、文化や教育の持つ優れて権力的、政治的側面を浮き彫りにしてくれるし、『ラディカル・オーラル・ヒストリー』は、他者を理解するために必要不可欠の実践について示唆してくれる。そのような本は「悪書」とか「子供に読ませたくない本」という仮面をまとっていることがあり、「ものぐさ精神分析」「パンツを履いたサル」あるいは「家畜人ヤプー」なんてのはそういう香りのする本である。
 では、表題の本は、どうか。

最近の読了
 E.H.カー「危機の二十年――理想と現実」(新訳)岩波文庫 S

 久しぶりに与えるS評価である。本書は「世界観を変える」インパクトはないかもしれず、そういう意味では少々甘い評価なのかもしれないが、本書で示される現状分析および国際政治学におけるユートピアニズムとリアリズムの検討は、そのジャンルのみに留まらず、現代社会を正確に捉え、そして判断する上で大きな示唆をあたえてくれるものになっている。

 筆者が特に感銘を覚えたのは、大戦後にもかかわらず、なぜ世論や政治家は国際連盟やケロッグ=ブリアン協定に象徴されるようなユートピアニズムへ動いたのか、ファシズムやスターリニズムは危機の原因なのかそれとも結果なのか、という分析、アダム・スミス的な古典的自由主義経済、FTAと保護貿易、食料を含む自給率の向上の政治的な意味(これは今のTTPを考える上で欠かせない分析であり、実はTTPのような多国間のFTAの試みは、すでにこの「危機の二十年」の時代になされていたのだ)、そして「国際社会」あるいは「国際法」というものは存在しうるのか、しうるとすればその根拠は何か、そしてどのようにそれらを構築してゆくのか、ということに関する分析と提言である。

 もちろん、結論部分で、カーが一貫してリアリズムの必要性を力説している(これは彼が外交官出身であることにも大きく関係している)のに反して、ユートピアン的視点による国際社会の構築を説いていることについては昔から批判があるようだ。しかし、これは「人間のもののみかたが社会を構成する」という社会構築(構成)主義の考え方からすれば何の疑問もない。

 話が前後するが、本書の強みは第二次世界大戦勃発前の1937年頃から構想され、大戦勃発に合わせたかのように出版されている。つまり、不幸にも著者の「危機の二十年」という分析は当たってしまったわけである。そして興味があるのが、ここでのカーの分析の一部が実現していた場合に、第二次世界大戦は回避できたのか、という思考実験である。これは、読者の仕事に属する。

 現代を正確に捉え、分析し、正しい方策を打ち出すのは、政治家や官僚の仕事である。そして現代に教訓を与えてくれるのは、常に歴史である。たとえばTTPに関して、国際連盟を中心に関税障壁をなくすような政治的努力がなされたことをどれだけの人が知っているだろうか? そういった事実を剔出するだけでなく、それに政治的力学という観点からの分析を加えるという、「歴史を今に活かす」ためのヒントが満載されている本書、やはりすべての人にとって必読であるという観点から、この評価は維持したい。

 ところで、筆者はこの本の原著と翻訳の旧版を持っている。もちろん原著を読むことが望ましいとは言え、この新訳は相当周到な用意を持って訳されているために、正確に理解したい向き、時間を節約したい向きには、この翻訳だけでも十分なように思われる。そして旧版は誤訳に定評があり、わざわざ入手する必要はもはやなくなった、と言っても過言ではなかろう。

2011年12月11日

アルキメスト

 筆者にとって、最も書評を書くのが苦手なジャンルの本に属する。

最近の読了
 パウロ・コエーリョ「アルキメスト」角川文庫ソフィア A

 世界中で読まれているベストセラーだそうである。「オトナのための童話」というところだろうか。話の筋を書くのは例によってネタバレになるために書きたくはないのだが、ひとことで要約してしまうと、旅は人間を成長させてくれる(同じテーマの大衆小説?に、宮城谷昌光の「重耳」がある)こと、そして夢を夢として持ち続けるだけで現実に追い求めない生き方はあるけれども(作者はそれを決して否定はしていない、とわたくしは思う)、追い続ける者に神・・・ここでいう神は、特定の人格神ではないように思われる。作者はどの宗教をも否定していないようだ・・・は微笑んでくれる、ということだ。

 それを、如何に小説という方法で実現しているかは、じっさいに読んでみるのが一番よい。薄い本だしむずかしいところもないので、一日で読める。

プロフィール

田舎の病院に勤めるしがない内科医。登山と自転車と読書が生き甲斐。Frank Zappaはやはり天才だとおもう。
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