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2009年12月 アーカイブ

2009年12月02日

対人恐怖症の貴兄のために

 山登りをするひとのなかには対人恐怖症のひとがいる。そういうひとは、山中で人間に出会うことを極度に嫌がる。人間と離れていたいがために山へ来るからである。コースの選び方を間違えてしまうと、数十人もの人間に出くわしてしまう可能性がある。そういうお悩みをお持ちの貴兄にお送りするのがこのコースである。週末の道志山塊、特に日曜日は、道志へのバス便も途絶え、アプローチがむずかしくなるからである。

 旧秋山村、現上野原市にある無生野は、前道志あるいは道志山稜への登山基地である。相模川の支流である秋山川沿いに東西に広がるこの美しい山村へ達するルートは、上野原からバスで秋山川を遡るか、逆に都留側から雛鶴峠を越えて東へ向かうのがふつうである。しかし、本当にその2ルートしかないのか? それがこんかいのテーマである。

 上野原発無生野行きバスは、8時28分に上野原を出て、9時18分に無生野へ到着する。すると登りはじめの時間がかなり遅くなり、前道志はともかく、道志を歩くのには少々心もとない。おまけに秋山ではなく道志村、つまりこれも相模川の支流のひとつである道志川沿いの集落へ下山しようとすれば、帰りの足に難儀することになる。土日の日中はバスが走っていないからである。では、どうするか。「前道志の峠越えをする」が答えである。

 東京発4:39の総武線始発に乗れば、高尾に5:57に到着し、6:01発の大月行きに乗り継げば、梁川の駅に6:26に到着することができる。曇りの天気予報では、この時間はまだなお暗い。桂川を渡る車道を道なりに進めば、「もうすぐ登山道あり」の標識が見える。このあたりでマイカーで来ていたハイカーに声をかけられる。その場所からまもなく右側に登山道の入口がある。

 どんどん歩いてゆく。月見根沢沿いの道から立野峠越えをするだけだから手間取ってはいられない。しかし意外にこの道は時間がかかる。結局立野峠に着いたのは7:30。梁川駅から一時間かかっている。しかしここから秋山村へ降りるのは二十分で済む。しかし、立野峠から無生野へ降りる地形図の道は消滅しており、実際の道は浜沢へ降りるものしかない(分岐を見落とした可能性はある)。

 浜沢から二十六夜山を経て赤鞍ヶ岳を目指して縦走するコースは以前歩いているために、こんかいは無生野から直登するコースをゆくことにする。浜沢から無生野までの旧秋山村の風景は歩いてみる価値があるものだ。かくして、無生野に8:15頃到着。一時間ほど稼ぐことが出来た。

 無生野からはさらに二つ先のバス停である赤倉岳バス停まで歩き、ここから右側の車道へ入る。「二十六夜山登山口」と書かれた大きな看板がある。そこから舗装された車道を経て林道へ入るのだが、最初の沢の大きな分岐のところで左側へ誤って入ってしまう。ここ、右側を流れる沢がわかりにくいのだ。

 左側の沢沿いにもずっと道がついている。かなり整備状況はわるいが、桟道があったりしてむかしの登山道であることはまちがいなさそうだ。点々とピンクのリボンがついているので道を見失うことはなかろう。しかしついに道が消滅してしまう(分岐を見落としたのかも)。仕方がないので、沢の左側の尾根にむりやり取りつく。またやってしまった・・・

 結局、二十六夜山から赤鞍ヶ岳への縦走路に出るという最悪の結果になってしまった。こんなことなら浜沢から登っておけばよかった。仕方なく棚ノ入山へ急ぐ。10:00頃到着。やはり時間をロスしてしまっている。ここから約30分で赤鞍ヶ岳へ到着。ここまでで四時間歩いていることになる。ここからがこんかいの核心となる。

 いちおう断っておくと、この「赤鞍ヶ岳」は、25,000分の1地形図にある「赤鞍ヶ岳」である。登山者に広く使われている昭文社エアリアマップでは「朝日山」となっているが、現地の表記も「赤鞍ヶ岳」となっている。また道志村観光協会のマップでも同様である。ここからワラビタタキ(雨量計のあるピーク)へ向かう。赤鞍ヶ岳山頂で大休止したので、おそらく30分強でワラビタタキへ着く。ここから厳道峠へ向かう道は踏み跡がぐっと薄くなるが、それも最初だけである。しかし恐らくここを歩くひとはかなり少なかろう。このような曇りの雨が降るかもしれない日に人に遭うことは恐らくないであろう。しかし心配は要らない。道志の村落が見える稜線に出れば、大声が麓まで届くからである。

 暗い自然林を抜け、長尾へ至る。細茅ノ頭(1093mピーク)を経て、長尾。この間40分。さらに植林の中を歩くようになり、道が明瞭になって、鳥井立。15分。実はここから金美波峠まで歩いてみようとルートを物色してみたのだが、途中通れるかどうかわからず、断念。大人しく厳道峠へ降りる。ここまでで約6時間半。ここから車道伝いに阿夫利山方面へ行くのも面白くないし(それくらいなら金美波峠への強行突破をやっている)平野峠までの稜線をそのまま辿ることとした。このわるくないプロムナードを歩いてゆくと、50分ほどで平野峠。

 前回は、ここでブユ?に追いかけられたため、よくみていなかったのだが、この峠は基本的には月夜野〜安寺沢方面を結ぶ峠なのであり、稜線をそのまま行くとすれば「菅井」方面へ行くことになる。地形図でいうと677m, 600mピークの方向となるが、地形図の道は道志川方面へ降りていってしまう。おそらくこれは地形図のまちがいであり、稜線を菅井方面までできるだけゆくこととした。案の定、尾根上にずっと道は続いており、587mピーク手前で林道と交差し(天神峠)、ここから先はなんと東海自然歩道となっていた。この道が地形図に書いてないのはさすがに怠慢ではないか。

 しかしこの後小ミス。地形図で「天神隧道」と書いてある直上の分岐、ここには「綱子天神峠」のプレートと供養塔が建っているが、ここを左に取れば峰山を通って大久和(やまなみ温泉)に出ることができた。八時間以上の歩行でかなり疲労していたため菅井から車道を歩いたのもわるくなかったのだが、峰山直下の100mのアルバイトを歩ききる力はまだ残っていたのだから、こちらを選ぶべきだったろう。

 とにかく休日、特に好天日でないときは、人に遭う心配はほとんどない、静かなコースがこの道志縦走であった。

ルート

コースタイム

写真

2009年12月06日

美濃・ジーキル博士とハイド氏

 さいきん、ゆえあって読書量が極端に減ってしまっているが。

最近の購入
 谷川雁「原点が存在する」講談社文芸文庫

最近の読了
 小島信夫「美濃」講談社文芸文庫 C
 スティーブンスン「ジーキル博士とハイド氏」光文社古典新訳文庫 B1

 小島信夫氏の作品はどれもある意味難解であるが、特にこの「美濃」、小説を本格的に読み込んでいるかたにとっては格好の作品であろうが、筆者のような日曜読者? にとっては、あまりに小説的であり、二度三度の反復を必要とするために、難解すぎる作品であった。
 「文学的には」とても興味深い作品だと思われます・・・・・

 「ジキルとハイド」のような有名作品、作品のあらすじだけが流布されていて、作品にとって決定的に重要な点が見過ごされていることはよくあるものだ。この作品でも、「薬品の力を借りてジキルとハイドを分離しようとした」という理解が俗説・・・世間で信じられている内容・・・だと思われるが、作品の正確な理解とはいえない。
 本作品を読む方、作者が設定したストーリーを正確に追うことが求められていると思う。たしかにストーリーは単純だが、その単純な筋を丹念に追ってゆき、作者の意図(モダニズムな文芸評論だな)を掴むようにしたい。

2009年12月20日

山行報告

 今月に入ってからすべて半日(12時までに下山してしまう)か、途中で呼び出されてしまうという悲惨な結果のため、歩きらしい歩きをしていない。

・秦野〜善波峠〜高取山〜善波峠〜鶴巻温泉
・下仁田〜(タクシー)〜黒滝山不動寺〜(タクシー)〜下仁田
・相模湖〜明王峠〜陣馬山〜栃谷〜藤野

 いちおう記録のみ。栃谷集落には三軒の鉱泉宿があって、日帰り入浴が可能。泉質は弱食塩泉。このうちの「陣渓園」さんに日帰り入浴をお願いしたのだが、マロンちゃんという犬がどこまでもついてくる。この犬、こうやって宿泊客をお見送りしてくれるのだそうだ。律義な犬である。

2009年12月22日

小説家夏目漱石

 大岡昇平が好きである(「へい」の時は、「苹」からくさかんむりを取った字を、彼は好んでいたのだが)。

 そんなことを言っても、別に特別なことを言っているわけではない。埴谷雄高を除けば、彼は戦後まもなく作家活動を開始した「第三の新人」たちの中では、その筋目のよい交友関係(小林秀雄や中原中也など)や、その文体の端正さから、「未だに全集が出版されている」ごく少ない作家なのだから。

 文体の端正さは、思想の端正さに繋がる。破綻のない、論理的な文章は、それだけで内容の確からしさを確信させる作用があるし、文章を読んでいて気持ちがよい。ただ、それがより強く出ているのは、評論よりも小説である、というのも、高橋和巳と共通するものがあって興味深い。

最近の購入
 大岡昇平「疑惑 - 推理小説傑作選」河出文庫
 井上靖「歴史小説の周囲」講談社文芸文庫
 埴谷雄高/大岡昇平「二つの同時代史」岩波現代文庫
 フレイザー「火の起源の神話」ちくま学芸文庫
 ダーウィン「種の起源(下)」光文社古典新訳文庫
 飯島渉「感染症の中国史」中公新書
 荒このみ「マルコムX」岩波新書

久しぶりに新書を買った。

最近の読了
 大岡昇平「小説家夏目漱石」ちくま学芸文庫 B1
     「疑惑」河出文庫 C

 「もう小説家として彼から学ぶものは何もない」と言いきってしまうところは凄いなーと思うのだが、漱石が切り開いた日本近代小説の領域を画期的なものと評価しながら、一方でその限界をも指摘しているその視点が、文芸評論家としてではなくあくまで実作家としての視点に基づくことが興味深いところである。最近は前田愛にはじまるポスト構造主義的な文芸評論が日本に定着し、漱石も新しい目でみられてきていると思うのだが、この時代は江藤淳氏が圧倒的な影響力を持っていたようだ。その江藤氏とはじめとする文芸評論家たちの「モデル探し」を大岡氏は徹底して拒否の姿勢を示す。それは何よりもモデル同定の陳腐さを作家として熟知していたからに他ならない、と筆者は思う。モデルが劇的であるかどうかが問題なのではなく、それをどう切り取って小説に仕上げてゆくかが問題なのであり、大岡氏と同じ俘虜体験をしながら「俘虜記」も「レイテ戦記」も誰もが書けるわけではないのは、当たり前の話なのである。

 そんな氏のミステリー集、読ませるところが無きにしもあらずだが、はっきり言って面白くない。他のミステリー作家のものを読むべきだろう。

2009年12月23日

大倉尾根

 休日渋沢駅6:48の大倉行きバスが、公共交通機関を用いた最も早い時間のアプローチとなる。このバスに乗ると7時過ぎに大倉へ着くから、三時間くらいで往復したいのだが・・・

 筆者が持っている1995年版エアリアによると、大倉から堀山ノ家までが1時間40分、ここから金冷シノ頭までが1時間、そしてここから塔ノ岳までが20分となっており、きっかり3時間のコースである。逆に下りは金冷シまでが10分、金冷シから堀山ノ家が35分、堀山ノ家から大倉が1時間15分となっていて、きっかり2時間コース。どうみても登り2時間、下り1時間で帰ってこれそうなのだが。

 コースの詳細は省くが、頂上へ着いたのが9時ちょっと過ぎ。ほぼ2時間ペースである。しかし、頂上に長居してしまったらしい。たぶん9時23分頃に下山にかかっている。して、大倉へ着いたのが10時50分くらい。1時間半かかっている。

 うーん、下りを短縮するには、ストックが必要だな。手が治っていない現状ではこんなものか。

2009年12月31日

一年の総括

 都合上、12月26日の権現山山行についてはのちほど触れる。

 一年最後をどの山で締めくくるか? どうも記録をみるかぎり、去年の最後は東野〜黍殻山〜蛭ヶ岳〜桧洞丸〜石棚山陵の丹沢であった。今年は谷川岳の平標山か蓬峠越えにしようかと思っていたのだが、アイゼン・スパッツを履いて歩くのが面倒で(谷川岳はアイゼン要らないと思うけど)「雪山でかつロングコースを日帰りで帰れる」の条件を満たす山ということで、雲取山を選択した。しかし、事前の計画が甘く、遭難寸前までゆく(大げさだが)。

 何と筆者は東日原行き7:25発のバスに乗った後でも行き先を決めていなかった。ゴールは雲取山と決めてはいたのだが(あわよくば飛竜まで行きたいなあと思っていたのだが、トレランでもあるまいし!)、次の四ルートのどれかで行く積もりでいた。

1)東日原〜ヨコスズ尾根〜三ツドッケ〜長沢背稜
2)東日原〜小川谷林道〜酉谷山〜長沢背稜
3)東日原〜日原鍾乳洞〜タワ尾根〜長沢背稜
4)東日原〜林道日原線〜大ダワ林道〜大ダワ

 4)は日原林道の歩行だけで2時間以上かかってしまうので、今回はパス。いずれ下山で使用する機会があるであろう。1)と2)は時間がかかり過ぎるかなあと思い、3)を選択したが、おそらく1)2)のルートとそれほど大きな差はないと思われる。ただ、2)はやっぱり小川谷林道の歩行が長い。これは一度経験済みである。

 東日原へ到着するのは7時49分となっている。GPSでは歩きはじめた時間は7:56となっている。ここから日原鍾乳洞のところにある一石山神社へ向かう。この神社の境内から登山道ははじまっているが、その旨の道標は、神社の中に行かないと、ない。神社の境内から上を見上げると、真黄色な小動物が。おそらく、テンであろう。カメラを向けて撮ったのだが、あとで確認すると写っていなかったので、どこかへ行ってしまったか?  「目の前をテンが横切ると縁起が悪い」という伝承があるようで、今回の災難もこれが原因か??

 ここからは急な斜面に強引にジグザグに切った道で、急登である。あっという間に高度を稼いで、8:52一石山へ到着。ここから、金袋山のミズナラ巨樹へ向かう。巨樹到着、9:05。ここで二人の熟年カップルに逢う。さて、ここからが本番、タワ尾根縦走路である。

 植林はほとんどない自然林の中に、水源林巡視路が続いている。よく踏まれた道だ。迷う心配は全くない。積雪も皆無である。1176mピークの人形山へ9:13着。順調だ。12:00くらいには雲取山へ着きたいと思う(距離を考えれば絶対にむりなのだが・・・)。

 時折樹間から右手方向が見える。天祖山かと思っていたのだが、違うことにあとで気付く。恐らく鷹ノ巣山ではないだろうか。このあたりからは緩やかな登りで、さほど消耗することもなく1325mの金袋山へ。9:30。同じような自然林の静かな道が続く。9:47篶坂ノ丸。ここが顕著なピークのひとつである。樹相は落葉樹林であり、葉を落とした寂しげな道である。

 ここからやや下りになって、急登がはじまる。今までの道とは雰囲気の違った、岩も出てきている道であり、篶坂ノ丸までは登山地図でも(準)一般ルートとして扱っているようである。しかしルートは明瞭、山慣れた人なら迷うことはないだろうが、初心者だけのパーティには勧められない。急登をこなし、平坦になった細い尾根をしばらく進めばタワ尾根の中心部、ウトウの頭である。10:17。ここにはもともと「ウトウ」の有名な絵がかかっていた。しかし前回、筆者が訪れたときには何者かに撤去されていた。それを悲しんだのは筆者だけではなかったのであろう、かの色塗りの力作には落ちるが、12月6日、G.Y氏によって新しい絵が掲げられていたのである。どなたか、新しい絵を書いてくれれば、筆者が持参してくれよう。我と思わん方は、是非。

 ここからは地図からは想像できない急坂である。木の根頼りの斜面を慎重に下り、そして次の登りはウトウの頭以上に急峻である。そして次の小ピークは断崖。西側の眺望がよいが、そこには天祖山の無惨な姿が・・・。ここの断崖は直接は降りられず、右を巻いて降りる。ここは逆行(滝谷ノ峰からウトウの頭方向)では迷うことはないが、順行だと見つけにくいかもしれない。

 次の1602mへの鞍部で小休止。10:47。あきらかにこの付近で時間を食っている。次の1602mには、「カラ滝(沢?)ノ頭」のプレートが木に直打ちされているが、「大京谷の峰」の別名もあるらしい。ここで前回見かけた軌道に再会。地図上の南側の尾根に降りており、「1600m-1780m」のプレートがある。ここから先は楽にはなるが、風情のないことおびただしい。軌道が終わるとほどなく長沢背稜との合流点へ。11:13。せめて13:00には雲取へ着きたいが、むりだろうな・・・

 長沢背稜の登山道は水源林巡視路であり、山頂を通らず山腹を巻くようにつけられている。ピークを踏むように歩いてもいいのだが、それではとても時間が足りないと諦める。途中で水松山(イチイあるいはスイショウが多いところから付けられた名か?)を横切る時にかなり明瞭な踏み跡を発見した。ここには孫惣谷林道からアプローチする道があるらしい。ようやく天祖山分岐へ11:41。さて、ここから芋ノ木ドッケまで、どのくらいあるやら。。。

 天祖山分岐からは長沢背稜の北面を巻く道となるため、積雪している。しかしそれなりに通る人がいるようで、踏まれており問題はなく、しかも凍結していないため歩きやすい。長沢山への鞍部からは尾根が狭くなり、巻き道はなくなり尾根通しに歩くことになる。長沢山への登りはすでに長時間歩行した身にはなかなか辛いが、がんばる。長沢山12:14着。これで雲取に13時台に着くという目標がかなり怪しいものとなった。

 長沢山から芋ノ木ドッケへの縦走路は奥多摩の中でも最上級に位置する、雰囲気のよい道である。ただし、密林ではなく疎林であり、木々の間から三峰縦走路や石尾根が望見できる。ただ、積雪期装備で疲労困憊した身には(後述)なかなか辛い道でもあり、芋ノ木ドッケは遥か遠くに見える。結局、三峰からの縦走路に合流したのは13:21。この間、ひとりの登山者とすれ違い(たぶん)、ひとりを追い越した。この季節、この時期にも長沢背稜を登る登山者は少数なりともいるらしい。

 ここからは勝手知ったる三峰縦走路である。芋ノ木ドッケからは急峻な下りがあり、凍結していて危険であり、慎重に降りる。「・・・12月から4月まではここは凍結し、事故が多発しています・・・アイゼンなどの装備を持っていない人、技量が伴わない人は引き返してください」という看板あり。そんなこと言われても、もう通ってきちゃったし。で、大ダワ着13:50。ここから大ダワ林道が延びている。ここから雲取方面は「男坂」と「巻き道」とに分かれているが、以前通った「男坂」は避けて、傾斜が楽で雪道でも問題ないと思われた「巻き道」を選択。ほとんど滑ることもなく14:12雲取山荘。ここからのラスト100mが大問題だった。ここは山荘までの道と違い、階段で固められていること、そして雲取山で食事付きの豪華な宿泊が出来るのは(個室まであるらしい・・・ホントに山荘か!?)ここだけという事情から、雲取山で一泊しようという登山者のほとんどはここを目指して歩いてくるので、北面のこの道は踏み固められて凍結していたのだ。迷わずアイゼン付けるのが正解であったが、何とか乗り切れるかなと思ったが一度転倒、そしていったん転倒するとクセがつくようで(たぶん疲労が重なっているからそういうことが起きる)二度目の転倒では顔面から落ちてしまう。幸い、眼鏡に損傷はなかったが(眼鏡が割れたりすると帰れなくなる)鼻梁と口を強打、鼻血は出るし唇は腫れ上がるし、散々であった。そして14:37頂上到達。ほぼ七時間かかったことになる。到底飛竜縦走は不可能だ。それよりどうやって帰るか・・・

 下山路としては、三つ考えていた。

1)最短ルートである鴨沢ルート
2)三条の湯ルート
3)大ダワ林道

 2),3)は、後半の林道歩きが大変だが、逆に山道を歩くのはせいぜい一時間くらいだろうから、安全性が高いというところがポイントである。しかし、大ダワ林道は沢沿いで、路面凍結の可能性があって、三条の湯ルートが安全だと考え、選択した。しかし、ここに重大な誤算があったのである。

 奥秩父縦走路の分岐点である三条ダルミまでは250mの急降下であり、凍結していて足場も悪い。転倒しないように慎重に降りてゆく。一度だけ転んだが、スライディングで実害はなかった。三条ダルミ15:04。意外に早く着いた。ここからの展望はよいようであるが、確認している余裕はなく、それにじゃっかん曇ってもきていた。

 あとはひたすらトラバースを三条の湯に向けて下る。南面だが、ところどころ日が差し込まない部分には積雪が残っていて、凍結している。転倒しないよう十分に気をつけ急ぐ。かくして16:18三条の湯に到着。正月を雲取で迎えるであろう多数の登山客が宿泊していた。筆者も時間さえあれば入浴していきたいところであったが・・・

 ここからは後山林道の終点までしばらく歩くことになる。気付くと前方に二人連れの人がみえる。親子か夫婦だろうか? ひとりはカゴを背負っている。実は彼らは神の化身だったのである(あとでわかった)。

 ちょうど後山林道の終点で彼らに追いつく。二人は親子であり、「三条の湯」と書いたバンに乗り込むところであった。ああ、そうか、山荘のご主人なのだな、そう思った。
 彼らを追い抜いて後山林道を疾走中に、さっきのバンが追いついて、停車した。

「荷台でよければ乗りませんか?」

 ここから後山林道のゲートのところまで荷物のように荷台の上でバウンドしていた。ゲートのところで降ろして頂いたのだが、この片倉橋ゲートからバスの走る国道411号線までは2.3km。ほどなく国道まで着くのだが・・・

 まず、時間を確認。バス停に着いたのがだいたい5:20くらい。辺りはすっかり暗くなっていた。そして奥多摩駅行きのバスは18:31発。それはわかってはいたのだが・・・あらためて確認すると、三条の湯からふつうに下山すると、2時間50分かかるとなっている。そして筆者が三条の湯に到着したのが16:18。まともに下山していたらこのバスに間に合わなかった可能性が高かった。おまけに、バス停で確認したらいくつかの事実があきらかになった。

 まず、ケータイの電源が切れかかっていて、通話が不可能であったこと。筆者のblackberryは電池の持ちがよいのだが、ある設定では山間部できわめて電池の減りが早いのだ。下山したお祭には電話ボックスなどというものは存在しない。タクシーを呼ぶわけにもいかないのである。さらにびっくりしたのは、ヘッドランプが点灯しないこと! ということは、もしバンに拾って頂けなかった場合、あの林道を真っ暗な中歩き続け、しかもお祭から鴨沢の部落へ移動し(バス停の上にあったお祭山荘は人の気配なし)そこでタクシーを呼ぶという仕儀になったわけだ。

 やはり正解は鴨沢へ下山するべきだったのだろう。後半は植林の中で危険のない道だし、飛ばせる。最悪七ツ石小屋へ泊まる手もある。それより問題だったのは、筆者の危機管理の甘さである。

1)事前にどの山に登るか(というか、ルートを)決めてこなかった
 これで時間の誤算が生じたわけである。後山林道は二時間で踏破できると思っていた。
2)ケータイの予備電池が必要である
 Blackberryといえども条件次第では一日で電池がなくなってしまう。これは常時電源をつけておかなければならない筆者の特殊事情かもしれないが。
3)装備は毎回点検すべし
 ヘッドランプは、何と電池の向きが全部逆になっていた。前回充電の時に向きを間違えたらしい。ちゃんと点灯するかどうかを確認しておかねばならなかった。ましてや、いつもは懐中電灯も一緒に持ってゆくのだが、このところ電灯の携行を怠っていた。
4)アイゼンはちゃんと装着しよう
 付け外しが面倒でつい怠ってしまうのである。単なる路面凍結だけなら、こんなものでもいいのかもしれん・・・取り外し楽だし、ないよりはマシだろう。
5)体力を考えよう
 こんかい、いつもの軽装トレランあるいはファストトレッキングスタイルではなく、アイゼンを積み重登山靴を履いたクラシックスタイルであった。一足1.3kgの重登山靴を履くだけで歩みは格段に遅くなる。それでも、ふつうの登山者よりは早く歩いていたと思うのだが。

 顔面を少々怪我しただけで済んだのは不幸中の幸いというしかない。それにしても三条の湯のご主人さん、本当にありがとうございました。是非次には入浴させてください ^^

 例によって画像はこちらに。
 林道後山線については、こちらが参考になる。

権現山

 さて後から権現山の山行を書き記して一年を締めくくろう。

 筆者は例によって登山口まで高速バスを利用したため、野田尻(談合坂SA)からは不老山を経由して権現山を目指すコースとなる。1177mピークまでの道は地形図上は急登にみえるが、効率良く登山道が切ってあって決して辛くはない。また1177mピークからの稜線は自然林で快適だ。ここちよいプロムナードである。

 さて筆者の疑問は「大ムレ権現」の祭神が日本武尊であることである。いくら何でもこれは後世の修飾ではないのだろうか? もともと「大ムレ」は朝鮮語だそうだし、「権現」は「神」とは違うはずであるが。

 権現山は展望のよい山頂である。ここから西側の尾根を葛野川まで疾走するわけであるが、地図を持ってこなかった(!)筆者は、尾名手峠で北峰への道を選んでしまう。これが実は正解であった。北峰までは岩稜をいくつか越えるのだが、この頂上の展望のよさときたら! また、何と鏡が置いてあって、遊べる。ここでは楽しい時間を過ごせること請け合いである。

 今回、権現山を選んだのは、前回扇山のときに入浴できなかった湯立人(ゆたんど)鉱泉に入ることであった。バス停で佇んでいたら、何と地元の方が「乗っていけ」と勧めてくれた! このクルマで猿橋近くの交差点で降ろしてもらい、湯立人温泉へ。満足度120%の一日を過ごすことができた。例によって、写真はpicasaのほうに載せてある。

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