一年の計
きれいに晴れていたので、カメラ(レンズ)の比較試験をしてみる。すると、予想通り、がっかりさせられるような結果が。
・Olympus E-3 + Leica 25mm/F1.4 F6.3
・Olympus E-3 + ED 14-35/F2.0 F6.3
・Sigma DP2 F6.3
ダウンロードしてみないとわかりにくいかもしれないが、一番解像度が優れているのはどの写真か、一目瞭然だろう。
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きれいに晴れていたので、カメラ(レンズ)の比較試験をしてみる。すると、予想通り、がっかりさせられるような結果が。
・Olympus E-3 + Leica 25mm/F1.4 F6.3
・Olympus E-3 + ED 14-35/F2.0 F6.3
・Sigma DP2 F6.3
ダウンロードしてみないとわかりにくいかもしれないが、一番解像度が優れているのはどの写真か、一目瞭然だろう。
手首のリハビリ用に買ったPowerballがようやく回せるようになった。これ、結構握力いるよ・・・
去年の登り初めは九鬼山であった。ほとんど道志山塊の山には行ってしまった気がする。高川山にはまだ行っていないがあれは分類上は大菩薩山塊になるだろう。今年は、「温泉に入れる山」に行こうと思っていた。温泉、いろいろあるがあまり混んでなくて清潔なところがいいなあ、と思っていた。今までで好印象を持っている温泉としては名栗川の「さわらびの湯」がある。ここはボーリングで掘られた温泉だから、天然温泉ではないが、清潔感がある。場所柄あまり混まないのだろう。そしてここへ入るためのルートは、奥武蔵の蕨山か棒ノ折山を経由するルートとなる。そういえば、前に棒ノ折にE-500を持って行って、感度不足で敗退した経験がある。今回、明るいレンズ(F2.0)と5段分手ブレ補正のあるE-3なら行けるだろう、と思い、棒ノ折を再訪することとした。
単に棒ノ折に行くだけなら三時間ハイクである。なので、奥多摩、それも高水三山とではなく、日向沢ノ峰に連なる埼玉=東京県境尾根を縦走することとする。そして日向沢ノ峰に出るためには、鳩ノ巣〜本仁田山〜川苔山のコースにするか、蕎麦粒山経由にするか迷ったが、この酉谷山・芋ノ木ドッケに連なる長沢背稜東側のピークのうち、まだ踏んでいないのが蕎麦粒山だったので、ここに直接アプローチのできる鳥屋戸尾根経由で登ることとした。
東日原行きの7:25発のバス(6時台を除けば、23区内からアプローチできる初バスである)に乗ると、もっとも降車数の多いバス停は、意外なことに終点の東日原ではなく、川乗橋バス停なのである。ここからは石尾根方向へ登ることはできず(できるのかもしれないが川乗橋バス停からは橋の関係で不可能である)、ここを降りた乗客はほとんどすべて百尋の滝から川苔山へ向かうことになる。筆者の目的は川乗橋バス停からすぐ左側の尾根に入ることである。この蕎麦粒山へ突き上げている尾根が鳥屋戸尾根である。
むかしのガイドブックをみるとここは「バリエーション」と書いてあるが、ちゃんと取り付きに「蕎麦粒山方面」とか書いてあるし、一般ルートに昇格した感がある。下山時に迷いやすい場所にも指導標がある。また上流の縦走路との合流点にも「鳥屋戸尾根 川乗橋」とあるから、もうバリエーションとは呼べない道となっている。
尾根に上がって、植林と自然林が交互にあらわれる道を(結構急だ)上がってゆくと、二時間ほどで笙ノ岩山である。ここまで、一箇所だけわかりにくいところがあるが、迷いそうになったら基本的に尾根筋を行くのが正しい。見通しはそれほどよいとは言えないが、樹間より時折左手に石尾根が、右手に川苔山が望見できる。
笙ノ岩山を過ぎてしばらくすると前方に長沢背稜が見えてくるが、距離はそれなりにあり急がない方がよい。地形図から想像できるが、それほど登り返しはきついものではない。一時間ほどで縦走路との合流部に着く。ここから蕎麦粒山山頂まではほんの数分である。蕎麦粒山は写真からわかるように眺めが良い山頂である。ここでひとりの男性にはじめて逢う。
ここから東方面の下山路を取る。この道でよかったのだが何となく逆方向を歩いているような気持ちになってしまい、右側(=南側)の縦走路に降りて反対方向へ歩いてしまった。もう何かこのあたりでは地図とコンパスを見ても自分の現在位置が把握できていなかった。それは当たり前で下山路にいるうちにきちんと方向を確認していなかったからなのだが。そしてこの縦走路を引き返しているうちに、トヤド尾根と踊平(=川苔山)方向が逆になっている道標を発見してパニックに陥るわけだが(大げさ)、この地図をあとからみれば当たり前なのだ。
このあたりの地形図は間違っている。で、この南面の縦走路はどうやら主脈縦走路には東側で繋がっておらず、蕎麦粒山の東側の二つのピークに沿って下降していくようなのだ。しかも二つのピークのうち、西側のピークの尾根には道がない(地形図では道があるように書いてある)。それがこの尾根を乗り越える時に筆者が混乱した理由である。しかし、次のピークから派生する尾根に縦走路が降りてゆくときにはさすがに間違いを悟り、強引にピークに登り、尾根上に出たところ、蕎麦粒山からの縦走路に合流した。たぶん、これが正しい地図である。
ここまで来ると防火帯上の道は迷うことがない。しかも、<<秘峰>>有間山への道も、筆者が今回取った県境尾根の道も、しっかり道標がある。県境尾根の道は送電線鉄塔の保守路であり、メジャーな道ではないのだが。
この道、かなりアップダウンがあり、しかも北(東)向きなので残雪があり、下山路に取るのは大変だ。いくつか踏み跡があったが、すべて筆者と反対側の方向であった。
ところどころ樹間に有間山と川苔山が見える。無雪期に登ればかなり雰囲気のあるいい場所である。かくして、棒ノ折山へ。
帰りはE-3でしっかりリベンジしてきた。30日の転倒に懲りて、アイゼンを装着したが全くの杞憂であったようである。しかし、のんびり歩き過ぎて、せっかくの「さわらびの湯」には間に合わず。例によって写真やルート図はpicasaに載せてある。
忙しさにかまけて記事をさぼっているが、最近Macが劇遅になってきたので、それを改善すべく、内蔵HDをSSDに変えた。IODATA製の64GBのものである。その前提として、ホームディレクトリを外付けの1TBのHDへ移した。ホームディレクトリは速度に影響しないからである。
で、SSDにSnow Leopardを再インストール。速い!!!!! まあ、速度の改善はこれだけが原因ではなく、vmware fusionがアンインストールされた状態で動かしているとか、Egbridge Universal 2の代わりにかわせみを使っているとか、いろいろあるのだが。
この速度なら、まだまだMacMiniでいけるかも。
そう、ここは元来読書blogであったはず。
最近の購入
大岡昇平「ながい旅」角川文庫
「靴の話」集英社文庫
「現代小説作法」第三文明社
「第三文明社」刊だなんて気付かなかったよ・・・・
E.H.ノーマン「クリオの顔」岩波文庫
「忘れられた思想家(上下)」岩波新書
中沢新一「虹の理論」
庄野潤三「野菜賛歌」以上講談社文芸文庫
最近の読了
大塚久雄「共同体の基礎理論」岩波現代文庫 B3
ちょっと辛すぎる評価だろうか?
本書のすべては巻末の姜尚中教授の評価に尽きると思われる。「ここで展開されている大塚史学は、彼の西洋中心主義によって脚色された・・・(引用不正確だが)」結局、オリエンタリズムの一史観になってしまっているという指摘である。姜教授が「その論理展開に魅かれる」と弁護してみても、筆者にはやはり古い言説に乗っかった史観にみえてしかたがないのである。
例によってスタートは6:01高尾発の中央線大月行きである。こんかいの歩き出しは鳥沢駅。6:30に到着し、45分くらいから歩きはじめる。大月市が整備した道標によって、迷うことなく貯水池の脇に導かれる。前回の前道志越え、立野峠越えよりも随分と楽な感じの道だ。標高差はまったく変わらないはずなのだが。穴路峠には8:16着。そこから旧秋山村無生野には8:30過ぎに到着する。上野原発富士急山梨バスの始発に乗るのに比べて一時間弱の時間短縮である。
ここから、前回この地点で左手(東)側の沢へ入ってしまい、三日月峠へ出てしまうという失態を犯したために、慎重に進む。分岐を右手(南)に下り、未舗装の車道がなくなるところまで詰めてゆく。車道が尽きるところ、堰堤になっていて、「赤鞍ヶ岳へ」の古い道標がある。この地点である。
さあ、地形図をよくみよう。ここで沢は二分されていて、右手(南西)へ向かう沢の方が明らかに大きい。事前に地形図をよくみてゆけば、730m、806mピークへの尾根に取りつけばいのだということは容易にわかる。事実、この地点で806mピークのある尾根へ取りついてゆく作業道は容易に発見される。ところが、あまり事態を把握していなかった(まさかこの取り付きが命取りになるとは想像していなかった)筆者は、南西に延びる沢の堰堤の保守道に入ってしまう。当然、道は途絶するが、もう戻ってはいられない。このあたりで間違いに気付いたのだが、高みを目指してゆけば棚ノ入山へ着くと考え、この尾根(当然道はない)に強引に取りつく。ピークから南下すればいいと思っていたのだが、不思議なことに南へ進むとどんどん下がっていってしまう。あとからみれば、この尾根を下っていったのだから当然なのだが、焦った。
ここで、棚ノ入のピークからたとえ外れたとしても、上ってゆけば雛鶴峠から棚ノ入への縦走路に出るはず、そう踏んで勇気を持って北西へ引き返したところ、日向ノ舟で縦走路と出会った。いちおう、リカバリーはできたわけである。しかし、ここでかなり体力を使ってしまった。
ここからは正規ルートで道もよく整備されている。9:50日向ノ舟から11:07赤鞍ヶ岳着。前回、梁川の駅から四時間で到着しているから、若干時間をロスしたことになる。
さてここからはお定まりの縦走路を二十六夜山へ向け疾走するだけであるが、強引に尾根を登り詰めた疲労が災いして、菜畑山への鞍部でバテバテになってしまう。結局、赤鞍ヶ岳から菜畑山まで二時間、菜畑山から今倉山まで1時間20分、今倉山から二十六夜山まで同じく1時間20分と、登山地図を下回りそうなペースでへろへろになりながら歩く。参考までに、筆者が持っている2007年版エアリアのタイムは次のようになっている。
鳥沢〜無生野 2:30
無生野〜赤鞍ヶ岳 2:50
赤鞍ヶ岳〜菜畑山 2:10
菜畑山〜今倉山 2:10
今倉山〜二十六夜山 1:45
辛うじてコースタイムは下回っていないようである。雪のために特に下りで慎重にならざるを得なかったことを考えれば、まあまあのスピードか。さあ、帰り、芭蕉月待ちの湯16:48のバスに間に合うため、走る。エアリア1時間25分のコースタイムを1時間で駆け降り(とは言っても途中で「仙人水」などで時間を取っているわけだが)何とかバスの時間に間に合う。合計すると、12時間25分のコースということになるが、冬期でさえ十分日帰り可能なようである。
写真はこちら。
http://picasaweb.google.com/daepodong/100109#
次回は、前道志完全縦走、だな。
前道志とは、桂川(相模川)流域、つまり中央線沿線の相模湖〜大月間と、秋山側沿いの旧秋山村(現上野原市)の間に横たわる山域のことである。この前道志の西端の山は富士急行線の田野倉または禾生からアプローチできる九鬼山であることは異論はないと思うが、東端はどこなのか。現在、一般的に登られている東端の山は、上野原側からは御前山を経て高柄山であろうし、秋山側からは金山峠〜大地峠であろう。
登山者のあいだで悪名高き「メイプルポイントゴルフクラブ」の存在がこの問題を複雑にしている。この地点をみてみよう。ここは「新矢ノ根峠」と呼ばれ、このゴルフ場建設に伴い新しく作り出された峠である。従来は、このゴルフ場の南側に這う点線路が登山道であった。この道で鶴島に降りられたらしいのだが、ここは現在フェンスでしきられているようだ。そこでこの北側に向かい、御前山の麓までゴルフ場を迂回する新しい道(これは地形図上にはない)が新しくつくられ、その悪さから(ここは以前に一度上野原側から通ったことがあるが、確かに急峻な道である)登山者の怨嗟の的になっているらしい。
ところが、地形図をよくみると、ゴルフ場の南側に、500mや482mのピークを抱える尾根がある。ここに道があるのかどうかはよくわからないが(あるという説もある)少なくともゴルフ場の土地とは思えない。そして、ここが前道志の主脈であり、さらに東方の401m-418m-378mピークや、北方の337mピークまで歩くことができそうに見える。これが本来の「完全縦走」なのではないか。
さらに筆者は九鬼山の北方を問題にしたい。九鬼山から大月方面には尾根伝いに縦走が可能であって、大月の菊花山から大月駅に降りたり、猿橋のパストラルびゅう桂台の脇を通って猿橋駅に抜けたりできる。ここを起点とすることが完全縦走なのではあるまいか? 筆者はこの考えに基づき、中央本線猿橋駅からの完全縦走にトライしてみることにした。
例によって中央線(総武線)の始発に乗り、6時1分発大月行きに乗る。猿橋駅からのアプローチは、大月市によって例によって懇切丁寧な道標が調えられており、間違えることはない。猿橋駅からパストラルびゅう桂台への舗装路の途中のカーブに取り付きがあり、道標もある。ここからすぐに尾根に乗ってしまうので、木々の間からの展望はよい。所々の切り開きからは、北側に滝子山や雁ヶ腹摺山〜楢ノ木尾根が、南側には九鬼山、三つ峠山、杓子山、そしてもちろん富士山などが遠望できる。そして植林は少なく落葉樹の雑木が多く、意外にも雰囲気の良い道である。神楽山、御前山(御前岩)ともに展望がよい。馬立山までの道もほぼ稜線上(一部トラバース)で気持ちの良い道だ。ただ、積雪のためスリップ気味であまり飛ばすわけにはいかない。御前山を過ぎて厄王権現への、そして沢井沢ノ頭で菊花山への道を分ける。797mピークの馬立山は展望はよくはないが、九鬼山への縦走路最後のピークである。ここに、「九鬼山まで2時間10分」とか書いてあるが、この縦走路の「岩殿クラブ」なる団体の所要時間の記載はあまり当てにしないほうがいい。飛ばさなくても筆者はここから九鬼山山頂まで1時間20分ほどで着いている。
道はここから小ピークを経て下りはじめ、底のようになっているところが札金峠(表示はない)である。地形図には田野倉方面と朝日小沢方面へ峠道が通じるように書いてある。廃道になっているかもしれないが、何とか行けそうな雰囲気であった。ここから徐々に登りになり、再び尾根に出て、九鬼山方向へ大きく左折してゆく展望のよい広場が紺屋の休場である。ここから尾根を直進してそのまま九鬼山へ登れそうなのだが、なぜかここから道は延々と東側の尾根へトラバースしてゆく。ここは特に積雪期はちょっと危険なので注意が必要だ。826m三角点を擁する東尾根は、そのまま東へ下ってゆくとやはり朝日小沢に出ることができるらしい。九鬼山の頂上には意外なことに誰もいなかった。ここまで猿橋駅から3時間の行程である。
ここから見晴らしのよい富士見平、杉山新道との分岐の小ピークを経て、いよいよ縦走路へ入る。格段に踏み跡はすくなくなるが、それでも積雪の中にほんの数日(あるいは当日?)前に付いたと思われる靴跡を二、三みかけ、意外な気がする。そんなに多くの人に歩かれる道ではないと思うのだが・・・さらに高指山のピークでは向かいから縦走する登山者とすれ違う。この道、多少薮っぽいが、それなりに歩かれているようである。ただ、ここから鈴懸峠までに小ピークを10以上越えるから基本的には健脚向きである。ただし、ほとんどが自然林であり、南大菩薩方面および道志方面の展望もよく、気持ちのよい縦走が楽しめる。九鬼山から鈴懸峠まで、登山地図で2時間25分、筆者の足で1時間40分。
ここで車道に出て、しばらくNTT docomoの中継施設までの路面を歩く。途中で尾根に取りつくが、かなり急な登りである。そこから登れる第一のピークは目指す高畑山ではなく、大桑山なのでがっかりしないほうがよい。しかしここ大桑山から高畑山までの稜線上の展望はきわめてよいからがっかりしないほうがよい。もったいないがいったん100mほど下り、残りの100mを植林の中のジグザクに切られた急登をこなすと高畑山であり、大量の登山者に遭うことになる。
ここからはよく踏まれた人気の縦走路である。天神山〜穴路峠〜倉岳山〜立野峠と歩いてゆく。ほとんどの登山者は穴路峠か立野峠で中央線側または秋山側に下るはずだが、さらに東へと縦走してゆく。寺下峠までは顕著なピークはないから、静かな縦走路を楽しんで歩こう。
標高700mの寺下峠から右手の763m峰(じっさいには登頂はせず左を巻いてゆくが)、そして860mの矢平山への登りは精神的にきつく感ずるが、それほどではない。矢平山への登りは岩も出て結構楽しい。この尾根は基本的に土尾根だからである。矢平山の山頂で、次のルートを考えた。
a)(新)大地峠から四方津
b) 高柄山を経て上野原
c) 大地峠から桜井峠を経て古沢(秋山)
当初はc)の予定で、秋山温泉ネスパ(上野原市営の温泉施設)にゆくつもりだったが、かなり遅い時間になってしまう。ここでb)の縦走はあきらめ、a)でエスケープすることとした。大地峠から四方津までのルートは意外に長いため、ゆっくり歩いたほうがよい。かくして、この縦走も終わりを告げた。全長26km、累積標高差+2783m, -2875mのなかなか素敵なコースである。無雪期におひとついかが?
猿橋駅6:40 - 神楽山7:34 - 御前山7:53 - 馬立山8:33 - 九鬼山9:47 - 鈴懸峠11:29 - 大桑山12:12 - 高畑山12:37 - 天神山12:56 - 穴路峠12:59 - 立野峠13:45 - 寺下峠14:42 - 矢平山15:13 - 大地峠15:34 - 四方津駅16:38
このところ読書の量が急激に落ちている。その理由は多々あるが、仕事や他の趣味(登山やカメラなど)のことに関しての、必要とする情報量が増えていることが大きい。もう一つ他の要因として、今まで使っていた本屋(リブロ池袋店)が改装したこともある。以前は人文・社会のコーナーで、実力のある店員さんがお勧めの本をピックアップしていたのが、明らかに質が落ちた。そういうこともあって、最近入手する本のほとんどは、値段のこともあって文庫になっている。それに最近の文庫の質はますます上がっていて、古典が比較的豊富に読めるようになっている。人文系の新刊を読む必要性を感じない、ということも大きな理由としてある。何のことはない、現代の(言論界の)潮流を知ることに飽きてしまったのだ。むしろ、分析するツールとしては、一世代以上前のもので十分、そう思うようになってきている。具体的に言うと、フーコー以前、ということになろうか。
最近の読了
チャールズ・ダーウィン「種の起源(上下)」光文社古典新訳文庫 B2
飯島渉「感染症の中国史」中公新書 B2
このダーウィンの歴史的名著を、例の茂木健一郎氏が絶賛しているが、筆者的はそのお勧め度をそれほど高くは評価しない。本書およびその解説を読むとわかることは、進化論という考え方が(これは150年を経た現代でもかわってはいないが)キリスト教の大きな制約を受けていたこと、進化論という考えをする学者は他にもいたこと、進化論を実証するためには分類学や地質学といった他の分野の最先端の成果を利用する必要があったこと、「種の起源」のなかで多くが割かれているのは、その立証であったこと、などである。そして、解説によると、ダーウィンの唱えた進化論を正確に理解できたひとびとはそれほど多くなかった(これも現代ですら当てはまる)ことも書かれている。
まあ、そのことを理解するために、本書をわざわざ買って読む必要があるか、というところで、筆者と茂木氏の意見が分かれるのであろう。歴史的な金字塔であることに異論はない。
「感染症の中国史」のほうは、歴史書であるというよりも、それこそフーコー的な史観で書かれているところが特色である。公衆衛生が極めて権力的な側面を持っている、という観点で書かれた本としては、例の「デブの帝国」や「強制された健康」がある。史実はもちろん興味深いものであるが、国家による身体の規律という視点は、いまさらという気がしないでもない。
床に落としてペン先を十字型に曲げてしまった万年筆が修理から上がってきた。


これできちんと滑らかに書けるように調整されているので驚く。プロの技である。もう落としたらペン先交換ですよ、そう言われた。気をつけねば。