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2010年02月 アーカイブ

2010年02月06日

ながい旅・靴の話

 大岡昇平の本(平は点が外向きが正しい)にはめったに外れというものがない。推理物だけはちょっといただけない気がしたが、それでも「事件」などは小説としてもエンターテイメントとしても傑作だと思うし、当然定評ある戦記物、評伝もの、そして恋愛ものは(渡辺淳一のような雰囲気が好きであれば相容れないだろうが)どれも素晴らしい。もちろん彼の本領が「俘虜記」「野火」そして「レイテ戦記」であることは論を俟たないが、スタンダリアンとしての鋭い人間洞察は、至る所で発揮されているのである。

最近の読了
 大岡昇平「ながい旅」角川文庫 B1
     「靴の話」集英社文庫 B2

 「ながい旅」は映画化されて話題になっているそうである。B級戦犯岡田資中将の法廷闘争を描いたものである。何よりも例によって資料集めとその読み込みが圧巻。多方面からの証言を集めて岡田中将の人間像を浮き彫りにしている。そしてこの裁判を通じて、アメリカとの戦争、そして彼らの占領政策がどのようなものであったのか、そこまでを透かし彫りにしている感がある。
 最後、助命嘆願書には非常に多くの(笹川良一の名もあったというが・・・)ひとが署名を行ったそうで、その中には当の裁判で検事を務めたアメリカ人の名も連なっていたという。しかし、その嘆願署名のあまりの多さが、かえってマッカーサーの警戒感を募らせ、処刑へのあとおしになってしまった、という下りは、歴史の非情な運命を感じさせるだけではなく、世の中は法則通り単純に動いているわけではない、歴史を決定してゆくのは些細な要因の積み重ねかもしれない、といった感慨をもたらすものかもしれない。

 「靴の話」は戦争にまつわる小話を集めたもの。しかし、「俘虜記」のテーマとなった「なぜ撃たなかったか」という話の初出もあり、大岡の思考の熟成の過程を知る上ではよい小品集かもしれない。

俺のシルバコンパスがぁぁぁぁ・・・・・

 先週の畦ヶ丸、先々週の大室山に引き続き(まだ山行のまとめをしていないが)、こんかいは表丹沢である。理由は、携帯電話が通じて、早く帰れるから(悲しい・・・・・)。

 こんかいの敗因は、2万5千分の一「秦野」を持っていかなかったことに尽きる。例によって渋沢駅の大倉行きの初バス6:48に乗る。しかし大倉でトイレの順番待ちをしていたら、次のバスが来てしまったから、大倉出発は15分くらい遅れてしまった。7:20くらいに出ているはずである。

 ここで、水無川の上流、具体的にはこのあたりまで行きたかったのだが、そのためには秦野戸川公園にかかる吊り橋を渡っておかなければならなかったのである。つまり水無川の左岸へ渡る必要があった。それを右岸の車道をずっと歩いたため、上大倉を過ぎてどこを歩いているのかわからなくなってしまったのだ。

 その理由は、シルバコンパスである。自分は、当然ずっと北の方角へ歩いているつもりだった。そして、適当なところで沢へ降りて徒渉し、左岸へ行けば林道へ出られると思っていた。ところが、である。わたくしのシルバコンパスは、ずっと「南」を指していたのである。どういうことだ???

 しかし南側に歩いているとはとても思えず、林道は消滅してしまった。悩んだ末にとりあえず左手の尾根に上がることにする。右側の沢が水無川だという確証が、コンパスをみているうちになくなってしまったからである(ここで、Sunntoの電子コンパスを使ってみれば、結果は瞭然だったのだが)。で、出た先は駒止茶屋の手前の平地・・・何のことはない、大倉尾根に出たのである(なかば予期はしていたが)。

 さあ、ここで困った。大倉尾根を歩く予定がなかったからである。降雪後、大倉尾根を歩くには、アイゼンが必須である。たくさんの人に踏まれて凍結するからである。アイゼンなしに歩くと危険きわまりない。さあ、どうするか。

 降雪後は、踏まれていなければアイゼンは必要がない。つまり、人が立ち入らないコースから帰れば、安全だ。すると、バリエーションルートしかない。バリエーション以外では、堀山の家から二俣へ抜けるルート、そのちょっと上の1128mから戸沢へ降りるルートも、おそらくあまり踏まれてはいないだろう。

 しかし、より魅力的なのは、花立山荘のすぐ上から戸沢分岐へ落ちる花立尾根である。ここはおそらく誰にも踏まれていないであろう。よし、これに決定。

 花立の少し上から尾根に入る。入口がよくわからなかったので、トラバースして尾根に乗る。この尾根、上部は木があまりなく、見通しがとてもよい。大倉尾根も表尾根もよく位置関係がわかる。この少し下のところ(このへんかな)、「日立の樹」の1/10~1/20くらいの大きさの、小さい大木があって、周りに何もない。なんと今日は空気が格段に澄んで、大島まで見えてしまう。今日、カメラは持ってきたが、メディアを忘れるというちょんぼをやってしまい、後悔することしきりである。こんな好天の日はめったにあるものではない。

 下部は植林だが降雪のおかげでどんどん下れる。なかなかよい尾根下りだったが、帰りの延々林道歩きだけはちょっと閉口した。この尾根、下りに使うほうがいいような気がする。ほぼ南東へまっすぐ落ちるので、迷う心配もない。

 さて、コンパスの件だが、なんと南北が逆転することがあるそうである。OMG.....

2010年02月13日

マルコムX&二つの同時代史

 なんだか、すっかり本を読まなく(読めなく)なってしまったなあ・・・

最近の購入
 岡義武「国際政治史」岩波現代文庫
 吉行淳之介「詩とダダと私と」講談社文芸文庫

 ほとんど、この二つの文庫しか買っていない気がする。

最近の読了
 荒このみ「マルコムX」岩波新書 B2
 大岡昇平・埴谷雄高「二つの同時代史」岩波現代文庫 B1

 日本人にとって縁遠い存在であったマルコムXの、時宜を得た概説書。マルコムXがイスラム教の伝道師として出発し、次第にキング牧師はじめ世界中の人権運動家と提携して、黒人のみならず、虐げられた人民すべての解放を訴えるように変化してゆく、という発展が綴られている。本書で強調されているのは、マルコムXが決して暴力賛美者ではなかったこと、日本において流布されてきたマルコムX像は、アメリカのマスコミによって作られた像である、ということである。そして、最終的に暗殺というかたちで死を遂げたことに関しては、キング牧師と同様の理由であることをほのめかしている。つまり、アメリカ政府が何らかのかたちで関与していた、ということである。
 日本でも、権力とマスコミの癒着によって、事実上の報道管制が、あるいは報道操作が行われているという事例が後を絶たないのではないだろうか。本来、外部に出ないはずの、検察による取り調べの自供が、なぜリークされるのだろうか。そして、どうしてそれをほとんどのひとが不審に思わないのだろうか。

 大岡と埴谷の対談、たとえば先ほど取り上げた北杜夫と埴谷の対談などに比べて、格段に面白い。その理由は、二人の学識と小説家としての経験が遺憾なく対談内で発揮されていること、二人が同世代の人間で、共通する問題意識を持ってきたこと、が大きいだろう。お互いの代表作である「俘虜記」と「死霊」に対する深い読み、相互理解もさることながら、そこから二人の小説家としての資質のちがいも明らかになってゆく。さらに、第三項として登場するのは、同じ「戦後派」に分類される作家の武田泰淳である。戦後最高の作家と言ってよい(大江健三郎や村上春樹は、という声が聞こえてきそうだが)この二人が最高の読み手として挙げるこの人物は、やはり凡庸な作家ではなかったのである。

2010年02月14日

大沢山&中尾根

 筆者の悪いクセは、山行の直前まで目的地を決めないことだ。このどこが悪いかというと、山域によっては2万5000分の1地形図が手元にない(みつからない)ことがあり、地図読みを十分に行えないことだ。今回の山行も、その悪癖がもろに出てしまった。

 候補地を道志の杓子山、奥秩父の和名倉山、奥多摩のバリエーションコースなど複数挙げていたのだが、結局迷った揚げ句、まだ足を踏み入れたことのない御坂山塊をいちおうの目標とすることとした。アプローチだが、よくない。甲府発富士吉田行きのバスは出発が遅いし、富士吉田あるいは河口湖発のバスは、いずれも富士急の鉄道の時刻と整合性が取れていず(本当に富士急バスという会社には呆れるばかりである。鉄道に合わせて数分バスの出発を遅らせれば、それだけで利用客は確実に増えるのに)、利用不可能である。そこでいったん清八峠に陸路で出て、そこから尾根伝いに御坂山へ至ることを考えた。

 たぶん一番近いのは、宝鉱山行きのバスを使うことであろう。しかし例によって時間がよくない。そこで、中央本線笹子駅からのアプローチを使うことにした。

 地形図をみてみよう。笹子駅から清八峠を目指すには、奥野沢川沿いの車道を、東京電力の変電所まで延々と数キロ歩くことになる。この道を筆者は過去に二度歩いているが、うんざりする道である。もういちど地形図をよくみてみよう。奥野沢川の西側に狩屋野川が流れており、その間に遥か御坂山まで続く尾根がある。この尾根に登れないか調べてみると、例の「静かなる尾根歩き」(新ハイキング社)にこのコースのことが書いてある。どうやら行けそうである。そもそもこの尾根には地形図でわかるように二本の送電線が通過しており、鉄塔のある場所には保守のための管理道があることが多いのだ。

 問題は、どこが取り付きなのかということだが、どうやらこの神社の近辺らしい。筆者はそれが発見できずに、このトンネルを通過したところから強引に支尾根を上がったところ、尾根道に合流したので、ここより下流にあると想像されるわけである。

 よく整備された道だが、当然先日の雪以来、誰も歩いていない。意外にも結構積もっている。主に植林の道なのだが、しばらく歩いて送電線を越えると雑木が増えてくる。雑木に雪(露?)が付着して凍り、重みで枝が登山道のほうへ垂れ下がり、行く手を塞いでいる。仕方がないのでかき分けかき分け登るが、凍りついた枝はしばしばばきっと折れてしまう。動物通過による自然破壊である。しかしみてみると自然に自重で折れている枝もあり、こんなものなのか。

 次第に傾斜はきつくなる。940mの二本目の鉄塔を越えると眼下に変電所が見えてくるが、このあたりほとんど視界は霧により閉ざされ、深山を遭難しているような気分になってくる。登りがきついと傾斜に足がついてゆかない。地面が凍結してその上に雪が積もり、その雪も凍結しているためである。こんな低山で意外であったが、どうやらアイゼンが必要な雪質である。仕方なく八本爪軽アイゼンを取り出し、装着する。きちんと調整ができていなかったため、うまくフィットしない。二、三回調整をして、ようやくフィットして外れなくなる。

 急いでも仕方がないので休み休みゆっくり登る。もういい加減登ったと思われるところで大沢山。歩きはじめてから三時間半が経過している。積雪期でなく軽装なら二時間くらいで行けるのではないか。

 さて大沢山はここであるが、予定は清八峠に出ることであった。時間から考えて御坂のほうへ抜けるという計画はむりなことがわかったから、そこから本社ヶ丸へ出てまっすぐ笹子へ戻る道を考えていた。ここでまたコンパスが妙な動きをする。電子コンパスを併用して方角を確かめようとしたら、電子コンパスも壊れているようだ。「大沢山」と書いてある標識の方角が北であるような感じである。地図からするとほぼ真南の尾根を降りればよいことになる。

 さてここが問題なのだが、地形図をよくみると、ピークは1450m標高線の円の中の、左側にあるようにみえる。すると、南側の尾根に入るには、道を引き返して右に折れる分岐を探せばよい。しかし筆者はピークに達するときに左への分岐に気付かず、南東への踏み跡へ入ってしまった。おまけにこの道、すぐに南側へ落ちるから、てっきり南向きの道で間違いないと思ってしまったのだ。何のことはない、事前にもっと早くルートを決めておいて、ちゃんと2万5千分の1を読んでおけば間違えようのないところである。そのあと延々と西へこの道が向かっていることに気付くも(そもそも南尾根なら尾根を下降して100m強歩くと下りが緩くなるからそこで気付くはずだ)、まあいいやと思ってそのまま西へ歩き続けた。結果的にはそのほうが帰りが早く、正解だったのだが。

 でもこの道も、バリエーションルートのはずの登りルートよりも道の状態は悪く(細い尾根道でアップダウンがあり、植林でないから当然のことだ)、雑木のトンネルの中を氷の洗礼を受けながらゆっくり進むしかなかった。ボッコノ頭で、御坂町藤の木への分岐があるが、ここを降りてしまうと何時間もバスを待たなければならないのは目に見えているから、迷わず右の分岐に方向を変える。ここからも痩せ尾根の細かいアップダウンが続くが、下りがいい加減長く続いた後に、不意に摺鉢峠が現れる。ここは御坂町(現笛吹市御坂町)と笹子とを繋ぐ峠である。ここを右に下ってしまっても笹子に約二時間の道のりで降りられるが、それも味気ないのでもう少し歩くこととした。ここから十分少々で大洞山、さらに進んで三境(カヤノビラキノ頭)である。地形図を見る限り、ここから北へ直進しても甲斐大和へ降りられるような気もちょっとだけする。しかし、ここは素直に右へ。狙いは、中尾根を降りることである。問題は、地形図を持っていないこと・・・

 カヤノビラキノ頭を通過して一時間弱あたり、ベンチのあるピークで休止した。このあたりで尾根が北へ旋回しているようにみえるから、筆者はてっきりこのピークに来たと思っていた。なのでここから東の尾根に下れば笹子駅に直接出られると思っていた。ところがしばらく植林の中を進むと、手書きの標識が(たぶんこの地点だと思う)・・・「中尾根ノ頭」とあった。えええええ・・・・・登山地図(道標の記載はおおむね正確であることが多い)には、1278mピークが中尾根ノ頭であると書いてあるのである。おかしい・・・

 このまま標識通りに仕方なく下ることにした。標識はこの分岐の右の尾根を「笹子峠(「笹子」でなく「笹子峠」だったと思う)」と指していたので、その通りに降りる。ずいぶん長い下りだなあ、と思っていたが、そこから1093mピークの分岐に到達したが(このときはそれに気付かず、笹子峠への尾根道を歩いていると思っていた)、右の分岐に入ると笹子峠をパスして笹子駅寄りに出れるのでは、と思い、左が本筋っぽかったが、右へ入った。

 しばらくして送電線の鉄塔に出て(ここだろう)、短い林道を経て舗装された道路に出た。これを下れば笹子方面だろう、と当たりをつけて下っていくと、なんと新田のバス停に出た。いったいどうなっているんだ、と思いつつも、ラッキーな展開にちょっと喜んだ。

 自宅に戻りGPSを確認すると、なぜか中尾根を降りたことになっている。何故だ????? 笹子峠方面への尾根を降りたはずが、どこから中尾根に入ってしまったのか、本日までわからずにいたが、改めてGPSの記録を確認すると、筆者が中尾根への入り口だと思っていたピークがやはりそうだったのがわかり、筆者の読みが正しかったことがわかった。この辺の経緯については、このページに詳しく書いてある。

 なお、このルート、たいていは笹子峠から歩いてゆくから、迷うことなくカヤノビラキノ頭まで辿ることができるが、逆コース、特に冬期に歩く場合、分岐に道標がまったくないから迷いやすい。特に、1240m付近のベンチのあるピーク(本来の「中尾根ノ頭」)では、中尾根方面のほうが踏み跡もしっかりしており、そちらに引き込まれやすい。もっとも、笹子駅に降りるつもりであれば、こちらのほうが早く駅に出れるから、実害はないのだが。

 このコース、やはり地形図を持たずに歩くのはちょっと無謀であると思われる。そういう意味で、昭文社エアリアで破線ルートにしてあるのは、やはり正しい。

 で、本日家を掃除していたら、地形図「笹子」が、タンスの後ろから出てきた。ああ。


 例によって写真とコースは、picasaのほうに上げてあります。

2010年02月17日

オリンピック

 もともと筆者は何の興味もないし、特に冬季のそれはブルジョア五輪なのだからなおいっそう興味はないのだが、オリンピックの政治性を如実に表しているのがスケートペアの規定。

「男女の国籍が同じでないと出場資格がない」

 要するに、「国別対抗」であることに、意味があるわけだ。


 ばかばかしい、勝手にやってろ。

2010年02月21日

御坂山塊デビュー

 以前から行こうと思っていた富士五湖を取り囲む山々へ行ってきた。

 登山は河口湖と西湖を結ぶ湖北ビューラインの文化堂トンネルからはじまる。ここには登山者のための駐車場があるが、誰もいない。無雪期なら考えられないことだ。ここからこのトンネルが貫いている足和田山〜毛無山の縦走路に出て、南側すなわち毛無山に向かう。樹氷が寒々しい。前回の大沢山のように雑木が進路を邪魔することはないが、吐く息も白々しい。

 トレースがトンネルの反対側から登ってきていたが、途中で消滅してしまう。山仕事のひとのものだったか。この厳冬期にこのような中級山岳へ登るひとはあまりいないのか。南斜面であり、積雪はそれほど多くなかったが、おそらく雪は雨に変わり、朝の冷え込みで雪の下は氷に変わっていた。アイゼンなしでも登れないことはなかったが、付けたほうが楽と判断して8本爪軽アイゼンを付ける。ここの登りは何ということもなく、一時間半ほどで毛無山到着。名前から想像が付くように、展望はよい。

 さてここから十二ヶ岳までの縦走路は破線がついている。冬季に歩くのは危険だろうか? アイゼンは外さず歩くことにする。地形図通り、小さなアップダウンを繰り返し、一ヶ岳、二ヶ岳と順に名前がついている。下りでやや急な場所もあり、部分的にロープもついているが、どうということもない。慎重に降りてゆく。地形図では、最後の150mの登りの等高線が非常に混んでいる。ここをまっすぐ登山路は通過しているようだが・・・

 十一ヶ岳からの下降が約40m、ここも鎖やロープ頼りの急下降である。のんびり歩いていたためか、後ろから単独行の男性と女性が一人づつ追いついてきたが、彼らもアイゼンの装着がうまくいかなかったりして、再び追い抜いた。彼らも下降には難儀しているようだ。さて・・・

 前には、絶壁が屹立していた。地形図の印象以上だ。ロープや鎖が垂れ下がっているのが見える。このための破線路だったのだ。なるほどね。

 ここはとにかくアイゼンを利かせて登っていくしかない。手がかりは太い木の枝や根以外には、雪に埋もれ凍結している。鎖やロープも埋まっており、剥がしてゆく。さすがに軽アイゼンと言っても、8本爪くらいになれば、このくらいの登攀は難なくできる。前爪もピッケルも必要ない。しかし、他の軽アイゼン組は苦労しているようだ。男性はカジタのアイゼンを装着しているようだったが、6本爪だったのだろうか。

 で、十二ヶ岳。ここも南側の展望は雄大、西湖と河口湖が眼下に見渡せる。遠く山中湖も見える。

 ここからはもう登攀系の道はないと思っていたが、最後50mの下りだけはロープが張ってあった。このロープも切れかけていたり、支点の木が腐りかけていたり、100%信用してよい代物ではなかった。固定ロープを信じてはいけないというのはこの世界の常識ではあるけれど。

 次の金山から右に入り、節刀ヶ岳を目指す。ここは無雪期15分(積雪期でもあまり変わらない)の道のりだから、ぜひ寄っていきたい。ここも富士の展望が良好である。

 ここから金山分岐まで戻り、右の鬼ヶ岳のほうへ向かう。ここはさしたる難所もなく、ほどなく鬼ヶ岳へ到着。ここは360度の大展望。南アルプス・八ヶ岳・奥秩父とすべて見渡せる。素晴らしい。

 ここからは王岳への縦走路は辿らず、西湖畔へ降りる予定である。しかし、赤線ルートは直場集落へ下る道。途中、「絶景」のお花畑からルートは右(西)の尾根へ落ちるのだが、ここを直進して1334mのピークを経由して帰るつもりだった。しかし・・・潅木が多いこと多いこと。しかもその半分くらいがバラ。こんなに辛い下りはないという難ルートになってしまった。ここ、登山あるいは下降に使ったという人はいると聞いていたのだが、踏み跡が見当たらない。

 こういう事態になると距離感も何もあったものではない。1334mへの尾根より一つ西側の尾根に入ってしまったことに気付き、けもの道を使ってトラバースする。シカやイノシシやらが縦横に走り回っているかんじのところである。で、1334mピークに達した、と自分では思い込んでいたのだが、ここから西側へ尾根が回り込み、前方に20m以上の標高差があるピークが聳えているのを見て、これはおかしい、と思いはじめる。1334mピークより下でこんなに高いピークはないはずだ。1183mピークか?

 ここを直進すると根場集落に近いところへ出てしまいそうだ。ならば、とにかく東へ進んで桑留尾集落にできるだけ近づいておきたい。そう思って、登りにさしかかるよりも手前の平坦な部分から、下に落ちはじめる。でも、おかしい。ここ、全然尾根になってないよ。。。それもそのはず、ここの斜面は真っ平ら、尾根が現れるのは250mくらい下った後であるからだ。最後はこの尾根に乗り、狙い通り桑留尾集落に下り立った。

 この南尾根、この部分から1334mピークを経てお花畑に至った場合、バラの潅木群をうまく切り抜けるルートがあるのかどうか、謎である。たしかに、お花畑の中には下へ下る踏み跡はあるのだが、その後は赤テープも踏み跡も見当たらなかったのだが、何かうまい抜け道があるのだろうか。


 例によって写真はこちらである。まだGPSの解析は終わっていないが、上記が真相であると思われる。

2010年02月28日

オリンピック(2)

 オリンピック、特に冬季のそれが「ブルジョアの祭典」であることは前にもどこかで書いたことがあるが、いわゆる国別メダル数を見ると、大ざっぱにその数が国力(経済力)に比例していることが見て取れる。中国や韓国がメダルを量産しているところをみると、国内でウィンタースポーツができるかどうかは、あまりメダル数に関係はしていないようだ。もちろん、韓国も中国も、自国内でできる施設はあるのだろうが。

 となると、次にオリンピックに進出してきそうな国は、人口と経済力から言ってインドとブラジルの二国であるが、可能性はあるだろうか。あまりないような気がする。というのは、両国とも、国内向けにナショナリズムを宣伝する必要はある(と言い切ってしまうと、インドではヒンドゥー・ナショナリズムという厄介な問題を抱えているし、ブラジルでは先住民問題がまだ現実のものとしてあるから、あまりに単純化しすぎてはいるが)けれども、韓国や中国のようにメダル数で国際的なプレゼンスを誇る必要があまりなさげだからである。それは国家の体質が違うということに尽きる。インドはそれよりも軍事的に優位を誇示できればいいということなのであろう。

 見ていて思ったのは、各選手がそれぞれ努力を積み重ねて来ていることとは別のこととして、「日本、どこまでオリンピックに付き合うの?」ということだ。例えば、キム・ヨナと浅田真央の間には、少々のミスでひっくり返らないような大差がついているように思えたけれども、それは選手の力量だけでなく、チームとしての力量の差であるとも言えるだろう。要は、国家としてどこまでメダルに金をかけるか、という話にだんだん集約されてきているように見えるのだ。つまりアベベはもうマラソンで金は取れない時代になってきている、ということだ。

 民主党の仕分けでスポーツ助成金が削減されることに選手が異を唱えていたけれど、国際試合に勝利するために国家がどこまでスポーツにつきあうべきなのか? オリンピックが年々その政治性を強めつつある中(筆者以外の他の日本人は、あまりそういう印象を持たないように見えるのだが)、どこまでオリンピックという政争に付き合っていくのか、考えてもいい時期に来ているのではないだろうか。誰かが「メダルを何個取ろうが何の意味もありません」と言い、それにコンセンサスが得られればいいのだが、メダル競争はそもそも国家(政府)にとって(民主党政権にとってさえ)都合の良いお祭りなのだから、期待できないのが正直なところか。

 でも、そろそろみんな、「オリンピックに付き合うのはばかばかしいからやめよう」と思うようにしませんか? あれは平和の祭典でもアマチュアの祭典でもなく(プロも出るし)、一種の塹壕戦なのであると。

 それとも、いっそ国威発揚および消費拡大(公共事業だから)のため、消費税を上げてオリンピックにつぎ込むか?

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