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こんかいの登山は、人生とは何か、自分の生き方とは何か、そういうことを考えさせるような何かであった。
大無間を再訪するつもりであった。前回は樺沢登山口から大無間西尾根を登り、山頂近くの水場で取水できずに渇きに苦しんだので、こんかいは水場の調査は念入りに行い、ロープや十分な水、そして万が一の場合、三隅池から取水することも考えて、簡易浄水器も携行する予定であった。
ところが、ガイドブックやネットの山行記を読んでいるうちに、今まで意識して避けてきた深南部の難所「鎌崩」(かまなぎ)にどうしても行きたくなってきた。そこで直前になって予定を変更。大無間ではなくて黒法師から北上し、丸盆岳〜鎌崩ノ頭と縦走し、鹿ノ平から不動岳を往復、帰りは戸中川林道に降りるか、白倉林道に降りるか、三又山から兵越まで縦走するか、その時の状況で決めよう、そう思っていた。
初日、まず黒法師まで行かなくてはならない。水窪側からであれば、最短のコースとしては戸中川林道から等高尾根を上がる方法がある。また麻布山からの縦走は道がはっきりしていて比較的楽なコースだ。しかし、大無間に行くことを前提として、すでに掛川行きの夜行バスの予約を取ってしまっていた。ならば、大井川側からのアプローチということしかないが、1)千頭からタクシーで山犬ノ段まで行き、そこから千石平取り付きまたは南赤石林道経由 2)前黒法師岳から縦走 の二手段しかない。たぶん、ルート的には前者の方が多少楽かもしれない。ところが、、、実はあとで判明したことであるが、山犬ノ段までの大札山林道が崩落していて通行止め、タクシーでは大札山登山口までしか行けなかったのだ。結局、2)のルートしかなかった、ということになる。
掛川へJRの夜行バスで向かい、金谷から始発の大井川鐡道に乗ったのは二人。途中で何人かの乗り降りがあったが、終点の千頭で降りたのはやはり二人だけであった。ここから寸又峡へのバスに乗り込んだのも筆者ひとりであった。朝日岳〜大無間への縦走を考えていたので、それなら朝日トンネル出口での下車となるが、こんかいは前黒法師岳に向かうので終点まで乗ってよい。
寸又峡温泉で降りて、まずは飛竜橋を目指して歩く。途中、いくつか水の得られるところがあるが、飛竜橋を渡るまえに取水しておく。黒法師までに水場がいくつかあることを知っていたので、2Lだけ汲んで予備の水は持たないことにする。
前黒法師岳はこれで三度目の山頂である。先を急ぐ。南赤石林道へ降りるのだが、こんなに急だったか?? だいぶ印象が変わっているものである。林道からは登った前黒法師岳、そして目指す黒法師岳が美しい。
古いガイドブックによると、この先南赤石林道を西へ進むと、水場があるという記載がある。水量は少ないとも書いてある。また、あるブログによると、探しては見たが見つからなかったという記載もある。そこで、探検してみた。

降雨翌日ということもあってか、林道の直下に簡単に見つけることができた。渇水期でも、少し下に降りれば水が取れそうである。おそらく、前黒法師岳方面から縦走する人が少ないせいか、このヘリポート跡で幕営しようという人があまりいないせいか、この水場は注目されていないようである。
ここから再び取り付きに戻り、縦走を再開する。二ツ山を過ぎてほぼ直角に黒法師岳の方面に向きを変える。1812mピークを過ぎて黒法師岳に登り返す鞍部にも水場があることになっているが、ここは見下ろす限りかなり下まで降りる必要がありそうである。先ほどの林道の水場から担いで行った方が楽な可能性はある。
ここから約300mの急登で山頂である。ここは傾斜は急だし道も判然としないため、登りやすいところをゆっくり登る。ようやく待望の頂上である。意外なことにここで一人の男性がすでに幕を張っていた。水窪ダムから登ったという。ということは、麻布山からの縦走コースなのだろう。彼は二つの情報を筆者に告げてくれた。ひとつは、戸中川林道が通行不能になっていること。もうひとつは、数日前から1パーティが入っていて、昨日か今日あたり不動岳から丸盆岳に縦走してくるはずであること。実はこの二つの情報は、今回の山行にあとで重大な影響を及ぼすことになる。
黒法師の山頂で並んで幕を張ってもよかったのだが、せっかくなので初日に距離を稼いでおこうと思い、丸盆岳へのルート途中のカモシカ平まで行くことにする。深南部によくある笹原で、丸盆岳と黒法師岳の格好の展望台であるはずなのだが、雲行きが宜しくなくよい写真は撮れなかった。黒法師岳から下降の際に見える鎌崩はこんな感じである。
夜中に雨が降ったのだろうか。結露だけとも思えないくらいテントは濡れていた。睡眠は十分だが雨こそ降っていないものの、ガスって展望が利かない。草地だけでなく岩場も濡れている。やはり気付かないうちに降雨があったのか。
鎌崩を通過するためには三通りの方法がある。ひとつは正攻法で、崩れた稜線のリッジを通過するもの。ロープで確保しながら進むのが安全である。もうひとつは一般的に取られている方法で、150mほど下ってガレを横切るという方法で、たとえばこのページに詳しく述べられている。最後は、深南部のスペシャリストである永野敏夫氏の著書「南アルプス・深南部」にあるように、300m下って沢の合流部から登り返すという方法で、このやり方で通過している記録としては、このページがある。筆者は最後の方法を取るつもりであった。稜線を通過しない場合の降り口は、地形図の青矢印のところになる。

ところが、ガスで展望が利かないうえに、岩が湿って歩きにくい。丸盆岳から意を決して下り始めたが、この稜線がすでにかなりの悪場である。最初の小ピークを越え、いよいよ次の核心部直前の小ピークに降りてゆこうとするところ(地形図の赤矢印)、時間は朝の6時48分だったが、反対側から来るひとびとに出会った。これが、黒法師山頂で泊まっていた男性が言っていた「縦走してくるパーティ」だとは思ったのだが。
先頭にいたのは精悍な男性で、鎌崩の状態を聞く。マーキングがあちこちにあり、ルートは明瞭だが、かなり悪い。ツアーで客はロープで確保して渡ってきたが、通過に四時間半かかった。やむなく一番悪い場所に30mロープを一本残置してきた。とのことだ。「沢登りで傾斜60度くらいの悪場を登ったことがあるか」と聞かれて、ない、と答えると、そんな感じだとのこと。視界が利かず不安に思っていたこともあり、これを聞いて即、撤退を決めた。
丸盆岳から黒法師岳へ戻ったが、どうも後続の団体が見えない。次第に筆者はある疑問を感じるようになった。通過に四時間半かかったということは、未明の午前二時くらいに出発したのか? それはありえない。では、昨日渡り終えて、この稜線上でビバークしたのか? それも考えにくい。なぜなら、それならばわずかな歩行で丸盆岳まで移動し、そこで幕営したほうが安全であろうから。筆者は超自然的現象を信じるほうではないが、どう考えてもあの時刻にあの場所でツアーのパーティに遭うのは不自然なのだ。
昨日から起こったことを整理すると、黒法師岳で男性に遭い、林道の情報を得た(これは鎌崩ノ頭、六呂場山近辺、黒沢山〜シャウズ山などの、戸中川林道を使用するエスケープコースが取れないことを意味する)こと、好天にもかかわらず夜降雨があり、しかもガスで視界が利かないこと、そして鎌崩直前で別パーティに遭い、道の状態を聞いたこと、これらを客観的に捉えればすべて関連性を持たない現象に過ぎないが、自分の身に引きつけて考えた場合には、すべてある方向を指していると捉えざるを得ない。すなわち、
鎌崩を通過してはならない
というメッセージである。特に、最後のパーティの出現は不自然過ぎる。何かの事情があって、鎌崩通過直後の稜線上でビバークした可能性は残るが、単なる偶然ではなく彼らがあの日あの時あの場所に出現したことに何かの必然性があるとしたら(自分にとって)、それは誰かの強力な意思が働いていた、と思わざるを得ない。たぶん、自分が今ここで死んでしまうことを望んでいない誰か・・・自分は、ここで祖先の誰かだろうと漠然と思っているが・・・が、霧をかけパーティをそこに出現させたのではないか。それが今の自分にとってもっとも納得できる説明に思われる。偶然がいくつか重なった(客観的にはそう捉えるのだろう)と思うよりも、目に見えない誰かの強力な意思によってありそうもない事象が連続して起きた、と考え、その意思に従う生き方をしてゆこう、と今は思っている。筆者は宗教的な人間ではない。これは超自然的なものに対する信仰、ではなく、自分の身に起きた現象や状況に対して、その<<声>>をよく聞いて生きてゆこう、という処世観、と言った方が適切であるように、自分には思われる。
黒法師岳からは、戸中川林道が通行不能とすれば、往路を戻る、幕営の男性のように前黒法師山、麻布山を経て水窪ダムへ降りる(このルートは経験あり)、そしてバラ谷山〜房小山〜千石平と縦走して山犬ノ段に降りるルート、この三つの中から選ぶことになる。筆者は最後のコースを選択した。
このルート、房小山の手前の上西平の通過が大変だという話だったが、笹の背はそれほど高くなく、ルートは明瞭とまでは言わないけれども通過に不安はなく、深南部の中ではむしろ歩きやすいルートであった。そして房小山から南下するルートはほとんど一般ルートといってよく、川根本町によるマーキングが随所にある。1572mコルに降りるところだけがちょっとわかりにくいくらいで、ほとんど迷う場所もない。鋸山を越えて降りると千石平で、ここからさらに南下すると南赤石林道への降下点がある。直進して尾根筋を進んでもよかったのだが、南赤石林道の状態にも興味があったので降りてみる。滝はないものの台風などでかなり荒れた沢を下る。林道に下り立ってからも随所で崩落により土砂が埋まっており、林道は寸断されていた。
山犬ノ段には大量の宿泊者がいた。電話でタクシー会社に聞いて見ると、道路の崩落でタクシーは大札山までしか来られないとのこと。林道を進んでみると、文字通り道路が落ちていて、徒歩での通行すら危険な状態で、林道を歩くことは諦めた。山犬ノ段にテントを張る。夜、シカも出てきたが人間も出てきた。女性が「青い山脈」を歌うと、男性が「代わります」と言って、「ママが来ました」バージョンを歌い始めた(これでわからない方は「青い山脈」と「ママが来ました」の二フレーズをgoogle先生に突っ込むこと)。
こうやってシカが愛を交わしに来る神聖な深山の夜は穢されてゆくのであった。
最終日は下山だけである。まずは蕎麦粒山への300mの登り。ワイルドな雰囲気こそないが、自然林が豊富に残っていて雰囲気のよい尾根道だ。深南部入門として格好だろう。山頂から杉川林道分岐の1140mまで降りるのは結構なアルバイトで、山犬ノ段に泊まった彼らは少なくともここまでしかタクシーが来ないとすれば、予定外の労働を強いられた、ということになるのだろう。
ここから大札山は南赤石林道を使って巻いてもよかったのだが、その場合は尾呂久保から田野口への帰路になり、むしろ山頂を通過して駿河徳山に出たほうが早いような気もしたので、登ってゆくことにする。これはふつうのハイキングだ。しかし次に下山の時に尾呂久保=藤川分岐が出てくるが、筆者が選択した藤川ルートはほとんど整備されていない。この山に駅から直接登ろうという向きには尾呂久保ルートを強く勧める。おまけに藤川ルートでは1183mの尾根分岐がわかりにくい。ここは直進するのが正解だが、指導標はここにはない。
930m付近で林道に降り立つ。しばらく林道を進んで再び山道に入る。これは中部電力の保守道で、ちょっとわかりにくいが例の黄色の矢印マークがあるのでわかるだろう。トラバースがしばらく続き、それから下りになる。最後、林道を横切るところ、筆者は入口に気付かずそのまま林道を降りたのだが、最後にまた落ちがあった。台風の影響かと思われるが、この下の林道も土砂や落石で埋まっているところがあったのだ。少々危険だったがここを通らないと帰れないので強引に通過する。
かくして物語は終わった。駿河徳山の駅舎で電車を待っていたら、赤とんぼが交尾した状態で繋がって飛んできた。盛んに天井に頭をぶつけている。見ているうちに、結合が外れてしまったらしく、メスと思われるほうは窓から出て行ってしまった。残されたオスのほうは相変わらず天井に頭をぶつけながら飛び続けている。
われわれはあの蜻蛉たちを笑うことができようか。
もし次の事実について御存知の方がおられたら、筆者にご教示をお願いできないだろうか?
1)丸盆岳から鎌崩までの間に数人がビバーク可能なポイントはあるのか。
2)30mロープは今も残置されているのか。
3)もしあのパーティに参加された方がおられたら、ぜひ感想を。
筆者が見たのは幻だったのだろうか?
基本的に、just for funの本についてはここには書かないことにしている。たとえば宮城谷昌光の「三国志」とか「草原の風」とかについては、読了後もとくに触れない。
最近の読了
エブリン・フォックス・ケラー「機械の身体」青土社 C
これは筆者の個人的な嗜好なのかもしれないが、科学哲学を取り扱った本で面白いと思う本はほとんどない。そこから、筆者は科学哲学という学問そのものの意義を疑っている。たとえば、今回の原発事故に関しても、クレイジーな対策を提言していたのもある科学哲学者(九大の副学長とかで、そんな役職にもつけるのだなあと呆れた記憶がある)であって、要は
「世の中の役に立たないばかりでなく、有害ですらある学問」
と認識してしまっている。
科学そのものについての本を読んだほうが遥かに有益だと思ってしまうのだが。
和名倉山(白石山)は奥秩父縦走路から北側に外れた、独立峰様に見える巨大な山であり、尾根続きの将監峠(山ノ神土)から往復するのが一般的である。そしてこのコースも、変化に富んだ痩せ尾根を上り下りする、自然林が残る雰囲気の良い奥秩父的尾根であり、この山を登るということだけに限れば、あえて他のルートを選ぶ必要はない。
筆者は二瀬道を登りで一回、下りで二回、川又尾根を登りで二回(うち一回は敗退)、そして仁田小屋尾根を一回(往復)歩いたことがある。GPS記録がなくルートの検証ができないのだが、このうち川又道は、川又バス停から国道140号をわずかに二瀬方面へ戻った場所に河原へ降りてゆく道があり、そこに吊橋がかかっていて、その橋を渡り、左手に地形図にもある沢を見ながら遡り、左手の古い造林小屋と水場の跡の場所を横切り、すぐに植林の中に付けられた林業用の作業道と思われる道に入ってゆく、のがふつうの取り付きと思われ、現に筆者も登りではこれを利用した。しかし、下りでこの道を使った場合、ちがう下山道に導かれるようなのだ。
池袋を7:30のレッドアローで出発するというゆっくりした開始を取った場合、二瀬道の取り付きである埼玉大の山荘に着くのはだいたい十時くらいになる。西武秩父の駅についてバスを待っていると、初老の男性から声をかけられる。三峰神社まで行くから乗っていかないかという。何でも、「業務として人を運ぶ」ことを無免許で行わない限りは、いわゆる白タクには当らないそうで、ちょっと警戒したが乗ってゆくことにした。定年後に秩父を中心にいろんな山へクルマで行っているが、そのついでにガス代くらいを稼ごう、ということらしい。埼大山荘まで乗せてもらう。
この日は森林軌道終点の造林小屋のところで幕営するつもりだったので、急ぐ旅ではなくゆっくりあがる・・・はずだったのだが、ぼんやり歩いていていきなり取り付きを誤る。道はわかっているので、適当に斜面を上がって1007m地点の辺りでルートに合流する。1369mの登尾沢ノ頭からは例の森林軌道跡の平坦な(しかし歩きにくい)トラバース道を延々と歩く。そして水場のある造林小屋跡に着くが、まだ二時にもなっていない。これなら頂上か、あるいはその間の適当なテント場を探して泊まろうと、3L水を汲んで登ることにした。笹ッ場とか、いくつかテント場になりそうな広場を通過するも、もうすぐ着くだろう着くだろうと思って通過するうちに、結局頂上へ着いたのは四時過ぎ。この日の予報は低気圧が接近して暴風雨になる可能性がある、というものだったから、いつもに増して念入りにテントを張って、二箇所は倒木に直接張り綱を結んでおいた。案の定、夜はテントが揺さぶられる風雨。でもアルコールが効いて、特に起きなかった。
さて翌日、風の音がひどいので、出発を延期しようかと思いつつ、外に出てみると風雨はそれほど強くない。あの和名倉山の山頂に行ったことがあればわかると思うが、針葉樹が密生しているために、少しの風でもかなり風切り音がするのだ。ということで、六時頃に出発。もと来た道を戻り、二瀬分岐を南に下り、やたらと文字盤やら赤テープやらがついている川又分岐からあの長い長いトラバース道に入る。道を作った先人には申し訳ないが、とにかく歩きにくい! あれならこの道を使わずに尾根をそのまま下降したほうが早いのではないだろうか・・・。ヒルメシ尾根の複数の分岐を乗り越す。1682mのマーキングある尾根で金山沢と曲沢の源流が分かれているが、この曲沢の、1826m尾根の北側で水が取れそうである。六回小尾根を乗り越すとようやく本命の尾根と伴奏して歩くようになる。尾根を乗り換える1762mピークで行程の半分くらいを歩いているのだが、にもかかわらずまだ高度は300mも落ちていない。川又道がたいへんなコースであるゆえんである。
1669mからのジグザグの急下降には記憶があった。笹は前回よりも減っている印象である。ここで300m近く高度を落として、さらに尾根沿いに進む。ここで、正しいルートは、和名倉山のエキスパートであるすうじいさんのページなどで確認する限り、1165m地点で尾根を乗り越し、川又バス停付近に注いでいる沢(和名沢、というらしい)に向かって下降してゆくのが正解なのだが、ここ尾根を直進する方向にも踏み跡がついているし、赤テープもある。1058mあたりで踏み跡を見失う。ここ、尾根の構造が単純なので、眼下の沢(久度の沢だった)に向かって下降してゆけばよいと判断して、左手に回り込んだところ、踏み跡に降り立った。踏み跡はここから沢をへつるように進んで行き、最後に滝川に架かる橋を渡り、旧軌道跡らしい平坦な道を経て国道140号に降り立った。どうやらこの道は九度の沢に沿って付けられている東大演習林の管理道らしく、踏み跡は明瞭とは言え、やはり川又へ直接降りる道を選択したほうがいいだろう。山行までにGPS記録を付けておく。
最後に、気になる話を市営バスの運転手さんから聞いた。秩父の山を中国人が買い始めた、という。水利を得るのが目的ではないか、などいろいろと推測されているが、不気味な印象を持っているのは筆者だけではないであろう。このまま野放しに土地の取得を漫然と認めていると、いつか原発事故のような事態が勃発するのではないだろうか。
なぜ文系の学部の中では法学部が就職その他で重きを置かれるのだろうか。資本主義の世の中においては経済の知識を身に付けることは必須であり、IT能力、語学(英語)力に加えて、経済の知識を持った経済学部が優遇されてもよさそうなのに、そうはなっていない。
それに理由があるとしたならば、法学部で学ぶ諸科目のうち、立法能力や具体的な条文解釈がそれであるわけはなかろう。もう少し普遍的な能力、言い換えれば「法的思考力」であると思われる。もう少し詳しく知りたい諸氏は、岩波文庫に収められている古典「法における常識」(P.G.ヴィノグラドフ)でもお読み頂くとして、端的に述べてしまえば「比較考量」である。民事事件の判決にわかりやすく現れているのだが、ある一方から判断を下さず、紛争を衡平かつ社会的妥当性を持つ解法を与える、ということである。その際の判断の根拠でもっとも重要なのは、「守るべき法益」である。これはこれからの議論において重要な視点となる。
この「法的思考力」は、行政の場においても強く要求される。たとえば1兆円の予算があるとして、それをどのように分配したら、国家の福祉は最大となるか、このような判断は経済学的には線形計画法のような等式で表される。この場合の守るべき利益は「国民の福祉の最大化」である。
ここで、今問題になっている原発問題についてこれを応用して考えてみる。思うに、除染の問題はすでに政治化していて、除染権益を欲しがる土建業界と政治家、そして「安心感」を求める国民によって、本来あるべき税金の使われ方が大きく歪められようとしている。簡単に言ってしまえば、筆者の考えは、「年間1mSv以上の土地は除染」は国費の無駄遣いであり、大きく国益を損ずるというものだ。
この話題について触れるのはすごくイヤなのだが(たぶん筆者の意見とは反対の方向へ事態は進みそうなので)あえて書いてみよう。世間では、例の「世田谷のこどもを守る会」のような活動に共感する層のほうが圧倒的多数であること、これを筆者をうつ状態にさせるひとつの理由であるのだが、微力ながら何かを言わねばならないだろう。
日本人は、こんかいの事態のような危機に対して感情的に対応する傾向がある。それは歴史が証明している。筆者が真っ先に思い起こすのは、「小児に対するインフルエンザワクチン接種中止事件」である。
説明しよう。この論文には異論もあるのだが、「日本では1987年から保護者が小児へのワクチンの接種を拒否してよいとする法律ができ、1994年からは集団接種自体が中止となった。その結果、人口全体の死亡は増大した。」というものである。いちおうこの論文が正しいとして議論を進めると、日本には、(ワクチンを打たないために生ずる総死亡率の増大)よりも(ワクチンの副作用によって生じる死亡)を重視するという文化がある。そのような風土で、「除染によって使われる予算を別の目的に使用したほうが、結局日本人全体の健康を守る上ではプラスになるのです」という意見が通るとは思われない。
やっぱり不快なので議論を途中で打ち切ることにする。国民の「不安」の解消のために自分が払っている税金が使われるのはたまらない。ならば、自分の払っている税金が不当に使われているというフラストレーションの解消のためにも税金が投入されるべきではないのか。「日本は放射線フォビアによって滅びる」と言ったアメリカの科学者の意見が的を得ているように思われる。正確に言えば、フォビアが原因というよりは、利害得失を冷静に判断して、国民の福祉を最大化するような政策を立案し、そしてそれに国民が支持を与える、という、法的思考力に基づく判断ができる国民がいない、ということが原因なのだが。
この山域の名称として「越後裏三山」というのが適当であるかどうかわからない。越後三山という名称じたいが、新潟という広い地域を代表するものとして広過ぎるように感じられ、魚沼三山という名称のほうが自然に感じられる。
また、「越後裏三山」とは、通常「越後三山」から八海山を除き、荒沢岳を加えた三山を指すようだが、それよりも利根川源流部の三つの山、すなわち荒沢岳、兎岳、そして丹後山の三つを「三山」と呼んだほうが適当な呼称ではないか、という気もする。
なので、こんかいはテーマを「利根川源流部タン訪」としたこともあり、世間で言う「裏三山」ではなく、荒沢岳〜兎岳〜丹後山縦走、ということで話を進める。
まず特筆すべきは南越後交通さんの対応である。浦佐駅8:00発の奥只見行き特急バスは、申し出があれば、シルバーラインから銀山平まで抜けて下車をさせてくれるのである。おそらく、会社側は小出6:30発の急行バスが使われるとみて、積極的にこのことを宣伝していないのだろう。筆者にとってはとてもありがたい話であった。前日までに新潟に入っておかなくてもいいことになる。そうすると銀山平に着くのが9:00を過ぎることになるが、いくら岩場があると言っても標高差1200mしかない山を5,6時間もかけて登るわけにはいかない。
まず、登山口からすぐのところに沢があり、水はここで取れる。前嵓(まえくら)までの登山道は平和な道であるが、この山にはほとんどまったく植林がなく、美しい原生林を鑑賞することができる。左手に渓谷の豪壮な景観が楽しめるが、その渓谷にはこの時期ですら雪渓が残っている。そして奥只見湖が遠望できる。
前嵓からの登りは慎重に行けば鎖に頼らなくても可能だが、このルートを下ることを考えると鎖はあったほうがいいだろう。それに岩が濡れていると結構キケンであり、晴天が続いている時期に計画すべきだろう。結局、頂上到着は14時頃を覚悟していたのだが、12時過ぎには着いてしまった。すれ違ったのはすべて男性の単独5人のみ。山ガールは生息していなさそうな山であるが、前嵓からの登りの途中に新潟大の女子大生の遭難碑がある。
ここから灰吹山〜灰ノ又山〜源蔵山とピークをいくつか越えるが、すべてなだらかな登り下りである。Wikipediaの荒沢岳の記述はやや古くて、最近この縦走路は苅り払われた。しかし、古い道標がところどころにあり、もともと古い道だったことがわかる。ここの縦走路の雰囲気もとてもよい。厳しい気候のためか、縦走路のアップダウンの場所はほとんど笹であり、小ピークの周辺にのみ針葉樹を中心にした木本が生えている。
二時間ちょっとの歩行で源蔵山〜巻倉山鞍部の手前の水場に到着。ここの陽の水と呼ばれる水場は涸れないそうだ。ここのキャンプ地にテントを張る。
翌日の天気予報は午後から荒れるとのことで、三時に起きてしまったのでそのまま炊事をし、四時半くらいにはテントを撤収して歩き始める。夜は風雨でちょっと心配されたが、撤収の頃には中くらいの風のみとなり快適な撤収となった。
ヘッドランプがあればほとんど歩行には問題がない。この縦走路は大型動物の痕跡に乏しく、クマやシカの気配がない。巻倉山にはわずかの歩行で到着する。あまり特徴のないピークであり、暗闇の中に前方の兎岳の大きな山体が浮かび上がる。兎岳への道はやや稜線が細いが特に危険はない。頂上直下の草原のところ、ルートを外しやすいが(日中なら問題はないか?)右手のササヤブの中に道が付いている。かくして兎岳到着。
ここからは中ノ岳〜越後駒への縦走でも十分日帰りできる時間であったけど、予定通り利根川水源碑を目指すことにする。ここは歩いている人が少ないのか、一部ヤブがかかる。ルート自体は明瞭である。大水上山から次の小ピークが利根川水源碑である。ここから丹後山へのルートもほぼササヤブの中の道である。行く手右手に燧ヶ岳の特徴ある双耳が、そして右手には頂上平原を持つ平ヶ岳が浮かび上がる。丹後山には立派な避難小屋が建っている。
時間はかなり早く7時を回ったばかりであるが早々に下山する。ここの尾根からの下山は木の根が落葉で隠され、降雨後は滑りやすく危険な箇所がある。慎重に下る。右手に中ノ岳がしだいにガスの中から明瞭にその姿をみせてくる。この尾根には何合目かを示す石の標識が埋まっている。雨は次第に降ってくるがソフトシェルで十分しのげるくらいの降りである。
三合目は松の廊下となっていて、やせ尾根にクロマツとシャクナゲのコントラストが美しい。ここからが比較的急峻な下りになってゆく。二合目を過ぎてほとんど登山は終わったと思っていたら嬉しいハプニングがあった。登山道の行く手にこんなものが。
登山口から延々と野中バス停まで歩く。十字峡を過ぎ三国川(さぐりがわ)ダムのほとりを歩いているときに、地元の人らしい方に挨拶をする。「上で泊まりました」と言ったら、「源蔵のところですか」と聞かれた。山仕事の方だろうか? 「野中バス停まで送りましょうか」と親切な申し出をされたが、「バスが11時台なんです」と丁重に断る。しかし、結局登山口から野中バス停までは丸二時間ほどかかり、バスの時刻はほとんどぎりぎりであった。
紅葉こそ盛りを過ぎている感があったが、満足度はひじょうに高い山行であった。しかし、前日に新潟入りしていれば、日帰りも可能なコースであって、体力的にはちょっと物足りないものが残った。まあこんかいは利根川の水源を訪ねる旅だったから、これでよい。
原則として本blogでは新書の紹介はしない。本書を取り上げたことには意味がある。
最近の読了
内田貴「民法改正」ちくま新書 B1
本書の一読を勧める理由は、民法改正についての知識を得ることではない。今議論沸騰中のTPP参加に関する意見形成のために読むべきであると考える。
本書での内田氏の意見をTPP問題に適用すれば次のようになる。どのみちTPP参加は避けられないと筆者はみているが、農業団体を中心に日本国内には強硬な反対論があり、即時参加論と対峙している。その結果、慎重参加論、つまり趨勢を見て後から参加を決めればいいではないか、という意見が中道、というようにみなされがちである。
しかし、それではまずい。なぜならば、ルールを作っている段階で参加しないと、日本の意見がまったく反映されない枠組みになるからである。いまTPPの中心となっている国家はシンガポールと思われるが、そのように早期から積極的にいろいろな意見を出す「強国」の意見がもっとも通りやすいのは自明である。あとから、「ジャパンが来ましたJapが来た〜わたしも仲間に入れてよね」(何を言っているのかわからないかたは、拙blogを「青い山脈」で検索してください)と後から言ってミタとしても、家政婦ごときが何を言うか、とあしらわれるのが関の山である。
というわけで、どのみちTPPに参加するのであれば、可能な限り早く参加すべきである。現状のように決定に時間をかけている暇はない。政治家たちは日本の将来をどう考えているのだろうか。