カメラ

デジカメが入手できたので、手持ちの時計を撮ってみる。
これでは画質も何もわからないか。。。

デジカメが入手できたので、手持ちの時計を撮ってみる。
これでは画質も何もわからないか。。。

適当な項目がないために「時事」につっこんだが、全然世相の話ではない。デジカメの話だ。
購入したRICOHのGR digitalだが、使っていくうちにとてつもなくマニアックな機種であることに気づいた。そう、これは一眼レフを持っているひとが二台目として選ぶのによい機種なのである。カメラの素人が第一に購入すべきものではなかったのだ。
その理由は、本機種が単焦点の広角レンズを搭載していることによる。つまり、ズームができないのだ。今日、港区役所の赤坂支所から新宿の高層ビルを狙って撮ってみようと思ったのだが、カメラを構えてみて愕然とした。そう、肉眼で見えているよりも遙か遠くにしか写らないのだ。それは当たり前だ。何せ広角レンズなんだもん。
このデジカメ、800万画素あって、さらに小型デジカメとしては珍しいRaw format(RNG)での記録ができる。つまり、撮影時のカメラの設定が適切でなくても、現像ソフトで補正が利いてしまうという利点もある。
しかし、今までフルオートの撮影しか経験のない筆者にとっては、このデジカメのかずかずのパラメータを利用するのは難しいようにも思えた。付録で付いてきた「GR DIGITAL パーフェクトガイド」(ソフトバンク)を読んでいて、ようやくわかってきた。ようは、このカメラで必要なのは基本的には露出の設定だけ。そして露出は絞りとシャッタースピードで決まる。通常は絞りさえ決めればシャッタースピードは自動的に決まるから、あとは絞り(F値)とは何か、ということが理解できさえすればよい。
絞りとは要するに眼を細めることである(ホントか?)。眼を細めるとレンズの外側を使わないことになる(のかな?)ので、光の分布は均等になるのだが、反面暗くなる。なのでシャッタースピードを遅くして、露光時間をながくする必要がある。
で、シャッタースピードをあまり遅くすると、手ぶれが発生する。さいきんは手ぶれ防止装置がついているのがデジカメのはやりらしいのだが、これにはなぜか搭載されていない(下位機種にはあるのに)。そこで登場するのが感度(ISO)である。つまり、感度を上げればシャッタースピードを早くできる。しかし、ノイズが増える(当然ですな)。つまり、感度と画質はトレードオフの関係にある、とな。
ということで、同じ建物をちがうF値で撮ったものを載せてみる。左はF=2.4、右はF=9である。ふたつの画像の違いがおわかりだろうか? ここまで圧縮してしまうと、筆者にはよくわからない。ちなみに左でゴミのように見えている二つの黒い物体は鳥である。
ライブドア叩きは、一連の旧守派による反撃とも取れると思うのだが、ジニ係数の増大を総理府が「貧富の格差は拡大していない」と強弁したり、安倍官房長官が「貧富の格差の拡大はよくない。セーフティネット(ついにこの言葉を吐いた!)の構築に努めたい」などの発言をみても、この日本ではまだ「貧富の格差の拡大は個人の能力差を反映した当然のこと」とする、アメリカ流のリバタリアニズム(自由至上主義)を公然と唱えることに社会的な抵抗がかなり強いようだ。この、すくなくとも表向きは貧富の格差の拡大はよくない、とする倫理観が崩れてくるのだとすると、「多文化主義だから人間を評価する共通のモノサシは金銭以外にはない」とするアメリカのような国家に本格的に変貌してゆくだろう。それが日本をどのように変えてゆくのかはわからないが。
デジカメでいくつか写真を撮ってみたので、あとで(いずれ)アップすることにしよう。ようやく、単焦点28mmというこのカメラの特殊性がわかってきた。WYSWIGではないが、人間が見えている様を写してくれるのがカメラだ、という初心者の思い込みでこのカメラに接すると、大変なことになる。どうやら、このカメラは、被写体に思いきり近接して、周囲の風景を一緒に取り込むという撮り方が基本のようである。遠近感のある、例えばビルの真下から屋上をめがけて、とか、歩道橋の上に立って、道の遥か彼方を撮る、といった撮り方が、このカメラの得意分野のようだ。
昨日の購入 なし
昨日の読了
岸田秀/竹田青嗣「現代日本人の恋愛と欲望をめぐって」KKベストセラーズ C
同じメンバーによる「物語批判」に比べて落ちるのは、編集者が介在しているせいだろう。このふたりの直接対談が面白くないわけはないから。
デジカメとは何のためにあるものだろうか? 繰り返しになるが、やはり「写真を撮りたい方が購入する」モノではなくて、「買うと写真が撮りたくなる」アイテムだとおもう。そのほうが、資本主義というシステムに合致している商品といえる。つまり、はじめに撮影したいという欲望があるのではなく、ある商品を購入することで、新たに撮影という欲望が購入者に生じるのだ。そうでなければ、爆発的な売れ行き(ケータイも含めて)は説明ができない。
さて、購入後にいろいろデジカメについて調べてみた(笑)。あとの祭りだという説もあるが、購入して以前の機種に比べて大幅な性能向上を目の当たりにして、もう一度最近の技術の進歩について知りたくなったのだ。情報源としては、AllAboutがよいと思う。以前は、もっぱらここを見ていたのだが。
その結果わかったのは、
・一眼レフが圧倒的なノイズの少なさを誇るのは、撮像素子が大きいから。画素数はあまり関係がない。
・むかしはCCDの方がいいということになっていたが、いまはCMOSが復権しつつある。むしろ、CMOSを使用したキャノンの一眼のほうがノイズは遙かにすくない。
・素子面積のすくないコンパクトカメラで、しかも広角レンズを搭載している場合は、被写体深度が深い。つまり、焦点が広い範囲に合いやすい。逆に、焦点を特定の物体にのみ合わせて、他をボケさせる、という技は使いにくい。
などなど。
ということは、今の程度のノイズは、コンパクトカメラとしてはやむを得ないのだな、ということ。でも、もともと被写体深度が深いのだったら、露出の調整で、F値(絞り)を変えることに、あまり意味がないような気がするのだが、気のせいだろうか。もっとも、マクロ機能を使って、被写体に思い切り接近した場合には、絞りを全開にした場合、綺麗なぼけを得ることができるらしい。花を撮影するときに使えるテクニックである。
また、Raw Data(デジカメで加工される前のデータ)を記録できるので、それを使って現像作業を行ってみたが、改めてGR digital自体の撮影エンジンの優秀さを実感した。通常の使用では、Rawデータを記録しないで、JPEGだけの記録で十分なようだ。不安な場合、露出や色温度をずらして三枚連続で撮影するオートブラケットという技もある。
でも、いろいろ調べて、やはり一眼レフが欲しくなったのだった・・・GR digital自体は、大変優秀なカメラだと思うけれども。
こういうのが資本主義の魔力なのであった。
昨日の購入
ブルデュー「資本主義のハビトゥス」藤原書店
山室信一「日露戦争の世紀」岩波新書
カレル・チャペック「ロボット」
井筒俊彦「意識と本質」以上岩波文庫
ということで、資本主義についてお勉強しましょう。他の基本書は、いうまでもなくマックス・ウェーバーの「資本主義とプロテスタンティズムの精神」だ。他に筆者が推薦するのは、ブローデルの大著「物質文明・経済・資本主義」。
昨日の読了 なし

このホテルの隣には、"変なスパ"という名前のヘアサロンがある。次回はそれをお目にかける。
しかし、「バカサカ」の隣に「変なスパ」とは、出来すぎていないだろうか・・・
ここにJPEGフルサイズの画像を置いておいた。

なかなか従業員のかたがいるので写真を撮れなかった。「BAKASAKA」の左となりにあります。オリジナルの画像はこちら。

うまく撮れない・・・修行が必要じゃ。
デジカメGR digitalにはいくつか欠点がある。28mm相当広角、単焦点というのは、もちろん仕様であって欠点とはいえないのだが、まず気付くのは、屋外での液晶の視認性が極めて悪いこと。これは、フードを付けて写り込みを防止すれば解決する問題ではない。なぜなら、太陽を背にして撮影をする時に、必ずしも体で影をつくれるわけではないからである。つまり、本格的に使うならば、別売外付けのファインダは必須である。
また、ある重要な被写体の撮影が不能であることに気付いた。
それは「猫」である。猫を撮るためには、ズームなし、広角のこのカメラでは、1メートル以内に接近する必要がある。すると、たいてい昼寝中の猫といえども、気付いて逃げてしまう。これから、どうやってこの被写体にアプローチしてゆくか考えなければならない。
結論:猫を撮りたい向きには、このカメラはお勧めできません。
昨日の購入 なし
昨日の読了 なし

このくらいマクロを使わないとだめらしい。

従来、GR digitalでは撮影がむずかしいと考えられていた被写体の激写にとうとう成功した。

筆者はうつ状態を身体的な症状として感ずる傾向がある。「気分が塞ぐ」よりは、腰痛、微熱といった体調不良というかたちでくるようである。また、物事が手に付かなくなる。本を読んでも面白いと感じなくなるので、当然読めなくなる。
もっとも、読書のペースが落ちているのは、デジカメのせいでもある。筆者が前に持っていたNIKONのCOOLPIX 910では、ほとんどユーザー側の介入の余地もなかったし、画質はよいと言われていたものの、撮影者側のテクニックが大きく変わるということもなかった。それが、最近のデジカメは、一眼レフのみならず、高級コンパクト機であっても、撮影者側の設定で画質がかなり変わる。また、この機種(Ricoh GR digital)は、AdobeのDNG formatでの記録ができるので、撮影後、現像ソフトを使って好みの画質へ仕上げることも可能である。要するに、いじる余地がかなりあるのだ。そちらの方に興味と労力を割かれているということもある。
やはり、夜景を撮るためには三脚が必要だということで、これを注文した。ふつうのカメラ店では入手困難らしい。他にもいくつか卓上三脚は出ているのだが、ベルクロテープ(このVelcroということばは、間質性肺炎の呼吸音を表す単語として、医療関係者にはなじみの深いものである)が付いていて、木などに巻き付けられるという特徴は他製品にはないものである。
さて、三脚を使うと、手ぶれを防ぐためには、シャッターを直接押さなくても済む遠隔スイッチが必要だ、とふつうは考える。三脚に固定したとしても、シャッターを押すと、そこでカメラが動いてしまう可能性があるのだ。そこで、リモートスイッチも購入しなくてはならないのかな、と思っていたら、そう、そんな時のための機能がついていたのだ。それは、セルフタイマーである。
カメラの説明書にも、ちゃんと「手ぶれを防ぐためには2秒のタイマーにするとよい」と記載がある。セルフタイマーというと、つい文字通りの目的でしか使わないと思いがちだが、そんな用途もあるのだ。
そこで、今まで手ぶれのためうまく撮影できなかった夜景を、セルフタイマーを用いて撮ってみた。F値9.0、露出時間8秒、感度ISO64。
このGR digitalには、画角を21mmまで広げる純正ワイコンが用意されている。現在、テレコン、つまり望遠側に振るためのコンバーターは存在していない。前にも書いたが、このカメラの最大の欠点は「猫が撮れない」ことであり、猫撮影のためには是非ともテレコンが必要なのだ。同じようなことを考える人はやっぱりいるようで、純正でないテレコンをくっつけて撮ってしまった人がいた。純正のテレコンが出るのを待つか(出ないかもしれない)、こういう冒険をしてみるか、迷うところである。
昨日の購入
R.M.W.ディクソン「言語の興亡」岩波新書
西修「日本国憲法はこうして生まれた」中公文庫
臼杵陽「世界化するパレスチナ/イスラエル紛争」岩波書店
W.S.チャーチル「第二次世界大戦 1-4」河出文庫
いつ読むとも知れずにたくさん買ってしまった。まあ、「パレスチナ」以外は時事性のうすい本だからいいか。
昨日の読了 なし

ちょっと違うような気がしたのは筆者だけではあるまい(笑)

書いた原稿を不注意で消してしまい、泣き・・・
読書とは関係のない話が続いて申し訳ない。
個人的に嬉しいことがあり、一眼レフの購入を検討してもいいかな、と思うようになり、再度調べてみた。
・画質は今でも銀塩が勝る
如何に銀塩一眼レフというのが完成された技術であったかわかろう、というものであるが、逆に数十万も出せるなら、わざわざデジカメを選ぶ理由があるのだろうか? 黎明期のCDとアナログレコードのような関係にあると考えられる。
・デジカメ一眼レフの規格は統一されていない
これは、銀塩には35mmという統一規格があることと比較しての話である。デジカメの場合、銀塩の感光紙(フィルム)に当たるのは、光をデジタル信号へと変換する撮像素子である。これはCCDあるいはCMOSという素子になるが、その大きさが35mmフルサイズ、APS-Cサイズ(24mm)、そしてフォーサーズ(18mm)の三種類あるのだ。キャノンの高級機はフルサイズ、キャノンの普及機とニコンのほぼ全一眼レフはAPS-Cサイズ、そしてオリンパスはフォーサーズを採用している。
さて、単純に考えれば、露光部分が大きければ単純に画質も上がりそうである。しかしそうではないのだ。銀塩フィルムでは、斜に入る光もフィルムを感光させるが、CCDあるいはCMOSの場合、垂直に入ってくる光以外は反応しない性質を持っている。そのために、特にレンズの周辺部の屈折して入ってくる光の受光が十分でなくなるということが起こる。つまり、フォーサーズのほうが、ある意味レンズの性能を生かせるということにも(理論的には)なりかねないのだ。
今のデジカメ一眼レフでは、35mm銀塩時代の交換レンズをそのまま用いることができることが多いのだが、以上の理由より、銀塩よりもレンズの性能を生かせないという事態が起こることになる。
現に、各カメラメーカーおよびレンズメーカーは、APS-Cサイズのデジカメに特化した、またはフォーサーズのデジカメに特化したレンズを発売している。これらは35mm銀塩用のレンズよりもデジカメではよい画質が期待できるものである。反面、もし、この規格が最終的に統一されないために、買いためたレンズの資産が無駄になってしまうということが生じたとしたら、それは由々しき問題である。
一眼レフの場合、銀塩でいうとフィルムの大きさがまだ統一されていない現状において、無難な選択肢は以下の二つとなろう。
1)レンズ資産の繰り延べは考えず、現行で安価に入手できるものを選択する。
この方針からは、フォーサーズ陣営のオリンパスE-500の標準ズームレンズ付き(90,000円くらい)がよい選択と思われる。または、APS-Cサイズの素子を持つキャノンのEOS Kiss digital Nの標準ズーム・望遠ズームキット(120,000円くらい)がもう一つの選択肢となる。E-500もkiss digitalも、一眼レフとしては破格の軽さ(レンズ込みで700-800gくらい)を誇るのも嬉しい。
2)しばらく様子見
取りあえず、手持ちのGR digitalの活用を考える。問題は、「猫が撮れない」という欠点をどうカバーするかだが、おそらく、リコーサイドへ「ワイコンだけでなく、テレコンも出して欲しい」という要望はかなりあるものと予想されるので(二倍テレコンなら55mm標準レンズとなり、ほぼ見たままに撮れることになる)、それを待つか、出る予定がなければ、画質はかなり落ちるであろうが、ケンコーの汎用二倍テレコンを購入して、猫用として用いるか・・・問題は、やはり猫なのである。
どちらにせよ、以前のデジカメから比べると、GR digitalの画質は格段の進歩があるので、猫以外のことはそれほど不満には思わないのだ。冒頭の画像、赤坂見附の歩道橋から、ベルビーを右手に撮った。歩道橋が揺れていたので、多少のぶれは仕方がないところか(補正機構がないから)。
でも、ズーム欲しい・・・^^;
昨日の購入
鶴見俊輔「回想の人びと」ちくま文庫
小島信夫/森敦「対談・文学と人生」講談社文芸文庫
鶴見氏、最後の「戦後を代表する知識人」である。どうかいつまでもご健勝で。
二人の芥川賞作家、作風はかなり違うが、両方とも今の時代には求められない「文芸」的な小説を残している。小島氏の「うるわしき日々」(有名作「抱擁家族」よりは、こちらをお勧め)、そして森氏の「月山」、不朽の名作である。
昨日の読了
岸田秀/K・バトラー「黒船幻想」河出文庫 C
評価Cというのは、つまらないという意味ではない。岸田氏の著作に親しんでいる方なら読まなくともよいだろう、という意味である。はじめて岸田氏の著作に触れるかたなら「なるほど!」と思うであろう。
岸田氏の「外的自己・内的自己」の概念装置は、フロイトが源流と思っていたのだが、実はR.D.レインなのだそう(「引き裂かれた自己」)。岸田氏がレインを読んでいたとはある意味意外だった。
もっとも、レインは二、三十年前に日本でブームになって、かなり読まれた。その影響で、神田古書街などには、みすず書房から出ているレインの古書が大量に眠っている。

一眼レフの話から少しずれる。どうやら一眼レフ分野ではキヤノンの一人勝ちになる可能性がたかそうだ。それは、センサーの大きさをフォーサーズやAPS-Cサイズに止めなかったからである。いずれ素子を作る技術は進歩し、大きいセンサーが安価で作れるようになる。すると、過去のレンズ資産がそのまま生かせる35mmフルサイズセンサーが選択されるのは理の当然だろう。
しかし、筆者は、キヤノンという会社の体質について少々疑問を持っていた。キヤノンはトヨタと会社の体質が似ているといわれているらしい。また、御手洗会長自身も、尊敬する企業としてトヨタを挙げている。トヨタにせよ、また医療の世界では武田製薬にせよ、業界のトップの会社のやり方は共通している。こういうのを「日本的経営」というのかもしれないが、新技術を第一番には出さず、二番手三番手にその改良型を出し、一気にシェアを掠ってしまう、というやり方だ。そして、デジカメに関して、キヤノンはこのトヨタ流を踏襲しているというのだ。
筆者はこういうトヨタ流(というよりタケダ流)のやり方が気に入らない。危険を冒して新技術を出してくる会社を評価すべきであると考えている。だから、薬剤の中では「先発品」を好んで処方するのだが、キヤノンによいイメージを持っていなかったことには別の理由があった。それはキヤノンという会社(というより御手洗氏自身の性格?)の保守性である。
キヤノンはあの「新しい歴史教科書をつくる会」に献金している筆頭の大企業だ。筆者は、たしかに「従軍慰安婦という項目を歴史教科書に載せるのはバランスが悪い」とするこの会の主張はもっともだと思うのだが(他に生徒が学ぶべきことはあるだろう)、さりとてこの会の誇大妄想にもついていけない。ところが、さいきん御手洗氏はトヨタの奥田氏から「忠告」をうけて、従来の保守的発言を撤回しつつあるらしい。さすがに、陰の経産省と呼ばれるトヨタは、対米・対中の輸出台数を自粛したり、中国の反感を買わないような用意周到な発言をしたり、読みが深い。「師と仰ぐ」ことでそういう読みの深さを見習うのはよいことではないだろうか。キヤノンが献金をやめればもっと前向きに製品の購入を考えるのだけれど。
昨日の購入 なし
昨日の読了
エミール・ゾラ「大地(上)」
評価はこれから。「ジェルミナール」よりも、小説としては練れていそう。しかし、これを「自然主義文学」と呼ぶのはなぜだろう? どこが「自然」なんだろう・・・

あー・・・やってもうた。
GR digitalを買って以来、もともと興味があったというのもあったが(筆者はデジカメを購入した時期も比較的早かったと記憶している)、いろいろ調べているうちに一眼レフが欲しいと思うようになった。
GR digitalはとてもよいコンパクトデジカメである。何といっても200gという超軽量、28mm単焦点広角という融通の利かない構成であるがゆえに、レンズの質を高めることができ、しかもF2.4という明るいレンズを用いているために、手ぶれも少なく、暗い室内や夜間でも三脚なしで十分に撮影が可能である(さすがに夜景は必要ではあるが)。毎日腰にぶら下げて携帯するには格好の機種だ。但し、ズームがないために猫を撮るには向かないことはさんざん書いてきた通りである。パンフォーカスな写真でよい風景とか、室内でのポートレートには最適のカメラであろう。
機種選定にはさんざん迷った。カメラはある意味銃に似ている。GR digitalが拳銃ならば、例えば最初候補にしていたCanonのEOS 5Dは重機関銃である。レンズを含めると重さは1kgを優に超える。手ぶれしないで撮影することはかなりの熟練を要するだろう。これは台座に据えて撮るべき機種である。また、さらにこれに高級なレンズをおごろうとすると、二本も買えば50万円をオーバーしてしまうだろう。高級オーディオや機械時計のように、カメラも実にお金がかかるものである。
そこで、リスキーな選択ではあったが、軽量で価格も安いオリンパスのフォーサーズと心中することにした。機種はE-500、本体のみの実売約7万円、レンズキットを購入してもほぼ同じくらいの値段で入手可能。お買い得である。
しかし。
フォーサーズの欠点は、35mm銀塩のちょうど1/4の面積を持つ撮像素子である。今のデジカメで一般的なAPS-Cサイズの素子の約半分。これは、画質というよりも、「ぼけ」にくい。コンパクトデジカメのような、ボケのないパンフォーカスな写真を撮るぶんにはこれは欠点にはならない。
もし、フォーサーズでキレイなぼけを得ようとしたら・・・ぼける、つまり被写界深度の浅い写真を撮るためにはいくつか条件がある。まず、広角ではなく望遠かマクロレンズを用いること。そして、絞りは開放とし、シャッタースピードはなるべく速くすること。これらの条件を満たすためには、F値の少ない、明るいレンズを用いる必要がある。そして、そのような光学特性を持つレンズは、はっきり言って高い。オリンパスのロードマップを見ても、「スタンダード」ではなく「ハイ・グレード」に分類されている。
その結果、オリンパスの一眼レフでよい画像を手に入れるためには、本体はともかく、レンズにしっかりお金をかける必要がある、ということになってしまう。本末転倒とも言えなくもないが、カメラ本体の寿命よりも、メーカーが撤退しないという条件においては、レンズの方が長持ちすることもまた事実である。
そこで、結果的に、レンズ一本がカメラ一台に相当するという、高い買い物になってしまった。
200mm(35mm換算で400mm)という望遠を使って、六本木ヒルズを撮ってみた。三脚は未使用なので思い切りぶれているが、まあご愛敬ということで。
一昨日の購入・読了 なし

自宅から六本木ヒルズを望む。地図で計算するとここからちょうど1.5km離れている。窓の中に人がいるかどうかまで判別できるのには恐れ入った。なんせ、カメラ本体より高いレンズだからなあ・・・
面白いことを書いているひとがいた。もともと、一眼レフはレンズ交換式なわけだが、さいきんのデジタル一眼レフは「カメラ交換式」なのだそう。レンズの進歩に比べて、カメラ本体の改良が著しいために、今はレンズの実力がカメラを上回っているということのようだ。なるほど。
オリジナルはこちら。
昨日の購入 なし
昨日の読了
エミール・ゾラ「大地(下)」岩波文庫 A
前にも触れたが、パール・バックの「大地」を連想させる名作。しかし、自然主義文学の泰斗たるゾラの視線の方がよりリアリスティックであり、また農村や労働運動にかんする実務的な知識は専門家を取材したらしく、それが現実的な印象をさらに強めている。訳は古いが十分に未読に耐えると思われる。
「居酒屋」や「ナナ」といった有名作よりもこちらのほうが出来は上であろう。文学の世界に限らないことだが、有名作と本当の名作がちがう、という一つの例証である。

こんなものが建ちました。

なので、ひたすら眠い・・・
2月26日から3月1日まで、アメリカ・フロリダ州オーランドで、世界第二のカメラショーであるPMA 2006が開催されていた。E-500ユーザーとして嬉しかったのが、独ライカが正式にフォーサーズ規格への参入を明らかにしたこと、日本のレンズメーカーであるシグマが、フォーサーズ用のレンズを五本新発売すること、の二つである。シグマの30mm F1.4単焦点レンズは発売されたら購入したいと思う。ポートレート用には最適であろう。
昨日の購入・読了 なし

ほとんど撮影が目的で、奥多摩の低山に登ってきた。
場所の条件は、アイゼンの必要のないこと、そして眺望のよいこと。この時期は、北側ではまだ残雪があるし、南面は溶けたあとに凍結していることもあり、ちょっと危険である。今回選んだ場所でもその危険があった。なので、当初は奥武蔵の棒ノ折山に登るつもりでいたのだが、これではあまりに歩き甲斐がないために、奥多摩の高水三山とつなげて歩く計画を立てた。
ところが、バスの時間に見事に遅刻したために、急遽コースを変更。休日の特別列車の停車する御嶽駅から登るコースへ変更したため、六時間のロングコースとなってしまった。
撮影のポイントは棒ノ折山山頂。しかし、天気もそれほどよくなく、眺望も榛名山、赤城山などに限られるために、せっかくの望遠レンズもほとんど役に立たなかった。三脚なども含めて、8kgくらい背負っていったのに・・・くすん。
ただ、下山時にはゴルジュ帯といって、沢が岩を浸食したあとにできる狭い谷間を下るなかなかよいコースであったため、通過するときにかなりの枚数を撮影したために、下山したのは四時半くらいになってしまった。終点の有間ダムはロックフィル式のダムである。
帰りには名栗村営の日帰り温泉に漬かる。終バスは飯能行き18時。この味を覚えてしまうと、もう温泉のないところへは行けない(笑)。
一昨日・昨日の購入 なし
一昨日・昨日の読了
R.M.W.ディクソン「言語の興亡」岩波新書 B
豊下楢彦「安保条約の成立」岩波新書 A
前者は岩波新書に収めるには適当な内容ではないと思われる。議論はかなり専門的で、言語学者が読んでもそれなりの評価に堪える学術論文である。
後者の推論はかなり衝撃的だ。ハーバード・ビックス「昭和天皇」の天皇観、すなわち、天皇は能動的に戦争を遂行した、との結論に対して、ピーター・ウェッツラー「昭和天皇と戦争」は、昭和天皇は天皇家および天皇制の存続が彼にとってのすべてだった、との昭和天皇観を提示して真っ向から対立していた。豊下氏の安保成立史観は、後者に近いものであり、さらに衝撃的である。つまり、米軍の日本駐留、沖縄占領を積極的に推し進めたのは昭和天皇である、という仮説を提示している。思うに、この推論はかなり信憑性の高いものであるように思われる。著者が最後に書いている事実もショッキングだ。つまり、沖縄の米軍基地内に存在する遺跡が次々と破壊され、民俗学者を嘆かせているという。日本で最後に残った聖域は、天皇陵(あるいは宮内庁・外務省に眠る天皇関係の資料)と治外法権(米軍基地)だということなのである。
筆者の推論は資料公開がないかぎり立証されることはないが、これが真実だとすると、昭和天皇こそ史上最悪の売国奴、ということになる。右翼はこれをどう考えるのか。十五年戦争への天皇の態度も併せて、天皇制存続のために、どれだけ国民は犠牲になったのか、計り知れない損失かもしれないのである。

中高時代、筆者はここの信者でありました(笑)。新年になると、両親がここに連れて行ってくれて、帰りに船橋屋のくず餅と、亀戸駅から蔵前橋通りに出るところの角にある豆屋で塩豆を買って帰るのが楽しみであった。
さて、亀戸天神は梅と藤で有名である。祭神である菅原道真は、「東風吹かば・・」(「東風」は読めるだろうか? では、りんかい線の駅名にもなっている「東雲」は、意味もご存じだろうか?)という名歌を残しているので、梅は道真ゆかりといえるだろう。
さて、この亀戸天神の名物が「五賢の梅」である。一本の木から白梅と紅梅が両方咲いているというしろもの。これは、やはり接木で作成したものなのだろうか・・・
こんかい、船橋屋のくず餅を買って帰ったが、このくず餅には「葛」は含まれておらず、くず餅とは実は小麦粉を乳酸菌を使用して発酵させた「和菓子のなかで唯一の発酵食品」であることを初めて知った。

都立公園は意外によく整備されている。あの吝い石原都知事も「自然」は好きなようである。本日は眼科の帰りに夢の島公園へ寄ってきた。新木場駅から徒歩すぐであるが、ここには都立公園唯一(実は23区でただ一つでもある)の熱帯植物園がある。
病院の帰りで、しかも雨だったので、E-500は置いていった(しかも三脚使用禁止だし)。GR digitalで熱帯の草花を激写してきた(笑)のだが、日差しがないために高感度の撮影を余儀なくされたうえに、このデジカメのひとつの致命的欠点に気づいてしまった。そう、一般的にデジカメは「紫」が弱点といわれているのだが、このGR digitalは全然ダメなのだ。赤紫の花をホワイトバランスを調整して何度も撮ってみるが、青に撮れてしまうのだ。仕方がないので、紫の物体については、RAWファイルで撮影しておいて、あとで現像の時に調整するしかないようだ。まだまだデジカメも発展途上なのである。
今、ここの目玉商品? として、「プリンセス・キコ」「プリンセス・マサコ」という蘭が開花している。皇位継承や皇室に何の興味もないのだが(あるとすれば、ただ一点、女系天皇が認められたときに、タイとかブルネイとかブータンとか(笑)青い目のヨーロッパ・中近東の王族らとの国際結婚がありうるのか、ということか)、話題性ということで撮ってきた。コメントの方に「マサコ」を載せてある。
昨日・一昨日の購入
アイザイア・バーリン「自由論」みすず書房
「自由論」の古典である。「〜からの自由」と「〜への自由」(消極的自由と積極的自由)の二分法を提唱し、前者を擁護したことで有名。最近のアメリカのやり方を見ていると、「消極的自由の追求」というスローガンさえアブナイとおもうのだが。
昨日・一昨日の読了
エミール・ゾラ「制作(下)」岩波文庫 B
トルストイ「人生論」新潮文庫 C
ゾラの作品は、「ルーゴン・マッカール叢書」の中の異色作品であり、自伝的な側面が濃いとのことだ。また、盟友セザンヌとの絶交のきっかけになった作品とのことで、芸術史的にも興味深い。A評価にしてもよかった。解説も、作品背景についての記述が適切だ。
「人生論」、これはどういう読み方をするかによって評価が分かれよう。トルストイの作品解説として読むなら必読(A)、「人生論」として読むならCだろう。この本の大意は、「人間の生は動物的生ではなく、『愛』によって死後も続くものである」という、キリスト教的な色彩がきわめて色濃いもの。仏教の輪廻転生に親しんでいる日本人にはなじみ深い、と勘違いしてはいけない。輪廻転生とは悟りを開いていないがゆえの「業」であって、悟りをひらくと永遠に涅槃におもむくことになる。すなわち、仏教において、救いとは永遠の死で輪廻転生にピリオドを打つことなのである。

先日の登山(とも言えないような低山だが)以来、右の膝を痛めてしまった。あまりに痛いので先日レントゲンを撮ったが、骨折はないようだ。捻挫(関節包の損傷)にしては激痛なので、もしかすると半月板(関節軟骨)の損傷か? と思っていたが、ようやく軽快してきた(と書いていて、変な風に膝の屈伸をしてみたら、やっぱり痛い)。
Lekiのphotostickを使ったらかなり楽に感じたので、もう一本購入する必要性を感じたのだが、Lekiのスティックは原則ばら売りをしないらしい。Lekiの関連会社でレキスポーツというのがあり、日本では岩谷プリムスが扱っている。これは一本売りをしているようだ。もうスティックなしには山に登れない年齢になってしまったらしい。
先日、紫が撮れないと書いたが、花によってはうまく発色しているものもある。単に光線が足りなかったからだろうか? たしかに、何度撮ってもブルーになってしまう花はトンネルの中にあったのだった。
昨日の購入 なし
昨日の読了 なし

武蔵丘陵森林公園に写真を撮りに行った。あとで載せようと思うが、ここは埼玉県では一、二を争う梅林ではないだろうか。
周りに三脚を抱える中高年が異様に多かったが、どうも団体さんだったようだ。抱えている写真を見ると、どうやらデジカメは少数派で、銀塩一眼レフが多かったもよう。ニコンにしても、キャノンにしても、明らかに筆者のOlympus E-500よりも大型だ。また、撮り惜しみしているようにも見えたので(現像が前提だから)枚数を気にせず撮れるメリットと、構図を深く練らずに撮ってしまうデメリットと、どちらが問題なのかと思った次第。
とにかく、三脚なしで撮れるメリットを生かさない手はない(といいつつ、筆者も軽量三脚を抱えていったが)。しかし、軽量とは言え、やはり全装備で10kgくらいになってしまい、完治していない膝には辛かった。
また、懸案のトレッキングシューズを入手した。ローカットタイプで、店のお兄さんの話では、やはりこれにはアイゼンはつかないので、雪山はもちろん、今の時期の登山路が凍結している奥多摩・丹沢北面の登山はできないそうだ。あくまで条件のよい場所のトレッキング用のようだ。
一昨日・昨日の購入 なし
一昨日・昨日の読了
難波田和英・内田樹「現代思想のパフォーマンス」光文社新書 B
臼杵陽「世界化するパレスチナ/イスラエル紛争」岩波書店 B
高橋たか子「意識と存在の謎」講談社現代新書 C
「パフォーマンス」だが、いつ読んだか忘れたのだが(一昨日・昨日ではない)、さいきんのものなのでここに記しておこう。「ツールとして使える現代思想の紹介」ということだが、筆者たちの意気込みにも拘らず、ここで紹介されている「現代思想」がこの本を読んでツールとして使用できるようになるとはとても思えない。また、内田がラカンについて述べている「難解すぎるために誰にでも使える理論というものがあるのだ」というのは、まやかし以外の何ものでもないだろう。このひとの本は筆者も嫌いではないが、こういう発言は無邪気な読者(がこのひとのファンには多いと思われる)を惑わせるだけだろう。また、たくさんの臨床家が支持しているから、それが理論として妥当である、という判定もまちがっている。精神分析の理論とは、それがいかに荒唐無稽なものでも役に立つからである。こういうところ、内田氏の弱点が現れている。
臼杵氏の本、この話題にはじめて触れる読者(例えば、パレスチナ人は自爆テロを繰り返していてよくない、などと、アメリカ/イスラエル側の宣伝を鵜呑みにしている方にはよい本かもしれない。ただ、サイードを称揚するところで、すでにそれはひとつの政治的な立場の表明になる、ということについての自覚は持っておいた方がいいだろう。また、すでにパレスチナ問題についての予備知識がある方々にとっては、読む必要がない本のような気がする。
高橋たか子氏のこの本は、著者が問題にしようとしていることがらについて、興味のない方にとってはまったく時間の無駄であろう。普遍的な議論とはあまり思えないからだ。ふつうは、意識を問題にしようとすれば、脳科学か現象学的なアプローチがふつうだと思われる。ただ、これは偏見を承知で書くのだが、日本人でキリスト教に入信し、神職についたり著者のようにフランスで修道院生活を送ったり、ということには、どうしても筆者は抵抗を覚えてしまう。たとえば、日本でムスリムについて同じことをする人間がどのくらいいるだろうか? キリスト教が韓国のように定着しているとはいえない国において、それだけキリスト教に深くかかわるということに、かたちを変えた西洋崇拝(あるいはコンプレックス)をみるのは筆者だけであろうか。

ライトアップされている桜、風が吹くと揺れるので、シャッタースピードを遅くするとブレるのだった。しかし、シャッタースピードを速くすると、露出が足りないために感度を思い切り下げないといけないのだった。
事前にそれを計算していかなかったために、ほとんど撮影が失敗に終わってしまった。むなしい。

オリジナルはここ。
Olympus E-500に安いお散歩用レンズの35mm F3.5 Macroで撮ってみた。値段の割にはなかなかの解像度ではないだろうか。
条件は、F7.1, 1/250sec, ISO400。Lightroomで現像してみた。

不在にしておりました。本日帰還いたしましたので、この間に読んだ本のレビューを。
・大西巨人「神聖喜劇1-5」光文社文庫 A
評価に迷う本だ。著者が二十年以上の歳月をかけて完成させた巨篇にケチをつけるのも何なのだが、まず読んでいると、著者の衒学趣味に辟易してくる。つまり、他書からの引用は、小説の構成に必要不可欠であるばあいに限って有用だとおもうのだが、本書には西洋・東洋からの小説や論文、その他の引用が必要以上に盛り込まれており、小説として本書を読む上で有害無益なように筆者には感じられた。主人公の東堂太郎の学識と記憶力を示すため、というにはあまりに浩瀚であるし、また東堂の思想や趣味を知る上で、筆者にはそれほど有用でないと思われた。このように、まず小説としてこの著作には欠陥がある。
その二。本書の主題は、日本軍の体質批判、国家・戦争そのものの批判、学歴・身分(部落)による差別・偏見の批判、男女の恋愛のありかた、と多岐に渡るが、東堂太郎の自省の中に、筆者はその傲慢さを感じてしまうのだ。つまり、「差別を糾弾するというのは、自分がその被差別集団に含まれていない、つまり、差別を高みから見下ろせる身分・学歴を持っているからでしょ?」という批判を、あらかじめ著者が封じていること、そしてその封じかたに対しても、著者が自覚的であること、に非常なうさんくささを感ずるのだ。
これに関しては、むしろ、差別に関心がある、ということは、自らが人一倍差別的な発想、生まれながらの身分・学歴に敏感な体質(これらはおおよそ教育によって形成されるものだから、本人の帰責性はかならずしも明確とは思われない)を認めてしまった方が、フェアではないだろうか。例えば、筆者がいわゆる部落の問題に関心が極めて薄いのは、筆者自身が被差別部落出身者に対する差別感情を、ほとんど全く持ち合わせていないからであり、これは生育状況によってたまたまそう作られただけで、差別意識を持っていないから、その人間が高等であるわけではない、と筆者には思われる。逆に、文化資本や学歴による差別、社会の階層化に対して、筆者が特別な反感を持っているのは、まさしくそのような差別意識を自らも濃厚に抱いている、その反作用にほかならない、と思われる。
差別意識を持つかどうかは本人の問題ではない(と、筆者には思われる)。そうではなく、多かれ少なかれ皆がある局面に対して持つ差別意識を、どのように社会化するか、が問題であるように、筆者には感じられる。主人公(=著者)の差別観は、この点明確に筆者と対立している。
その三。ストーリーとしての面白さは、人物設定に多少の無理が感じられるとはいえ、面白く読める。ただ、主人公と愛人の芸者との交情を描く部分は、つまらない。未熟と言わざるを得ない。
以上の否定的な評価にもかかわらず、筆者がAを進呈したのは、権力装置としての国家や、それと密接に関連していると著者が考えている(このことについては筆者は同意したい)、差別の問題(つまり、差別とは、ある意味権力による統治の道具としての役割を担ってきた)を描いた小説としては、やはり秀逸である、と判断せざるを得ないからだ。また、引用部分が冗長とは言え(筆者はすっ飛ばした)、筋の部分だけ拾って読めば、小説としての面白さにも欠けないからだ。
ということで、一部では有名な小説でもあるし、このような問題に興味をもつ諸氏にとっては、一読の価値はある小説であった。

とくに意味はない。
ケンコーの500mmミラーレンズが届いたので試写してみた。どうかんがえても盗撮用としか筆者には思えない。
まず、500mmをそのまま付けた場合。筆者のフォーサーズ規格の場合、35mm換算1000mmの超望遠になる。ちなみに、自宅からヒルズまでの直線距離は、約2kmである。


注文しておいたレンズが届いた。30mmだから、フォーサーズでは実質60mm、つまり標準レンズである。F1.4という明るさから、室内撮影用として欲しいと思った。
さっそく試し撮りしてみる。
・・・・・なるほど。
ピントが合わんこと。よくボケルこと。開放では、あきらかに解像度が足りない。
オリジナルはここに置いておこう。
でも暗い室内で手ぶれせずに平気で写真が撮れるのはやはりアドバンテージだろう(というか、その積もりで買った)。
これから猫以外のモデルを探さねば。
昨日の購入
リデル・ハート「第二次世界大戦(上)(下)」中央公論新社

花火とはいうまいよ。

筆者はウヨクを撮るのが好きである。
自宅で静養していたら、時ならぬスピーカーの演説。「ミンシュシュギが〜どうたらこうたら!」 おお、ウヨクらしい。撮らなきゃ、ということで、まずはZD 50-200mmにレンズを付け替え、撮影に。4/3システムの場合、望遠側で400mmの大きさだ。
ここ一ヶ月間で、新たにデジイチ業界に参入したソニーと松下の明暗がはっきり別れたようだ。
http://www.asahi.com/business/update/0824/118.html
ライカのセットレンズのみ抱き合わせで販売して高価格設定で売り出した(しかも月産3000台という売る気のなさ)松下と、一挙に新レンズを12種類も発表、しかも手ぶれ防止とアンチダストシステムを内蔵させたソニーでは、蓋を開ける前から勝負は明らかだった。
しかし、フォーサーズのユーザーとしては、松下が売れないのは困るんだよなぁ。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dslr/2006/09/14/4596.html
ほ、ほすぅい。。。
防塵防滴、手ぶれ補正あり、ダストリダクションあり、だと、破格値だよね。。。
これで、21mm,40mm,70mmのパンケーキつけたら軽量で最強よね。。。
正直に言って、売れるとはとても思えない。これならエプソンのRD1s買うわね。
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dslr/2006/09/15/4623.html

この話を書くには、先日の東京港野鳥公園における失敗の話をしなければならない。
ここには、東京で筆者の知る限り三つある(ほかの二つは都立水元公園と葛西臨海公園である)バード・サンクチュアリがある場所である。先日、この安いミラーレンズを抱えて撮影に行った。
周りは、びっくりするような超望遠(筆者は「大砲」と呼んでいる)を抱えたその道の猛者ばかり。しかし、筆者の持っていったミラーレンズは、大砲に勝るとも劣らぬ焦点距離を持っている。x2のテレコンをつければ、35mm換算の2000mmの超望遠だ。
しかし、結局ほとんど手持ち撮影を余儀なくされた。というのは、相手が野鳥で動くこと、持っていった三脚が軽三脚であり、このような超望遠での使用を想定してないものだったからである。もっとも、手持ち撮影でもそこそこの写真が撮れたので、いずれアップしてみようと思う。
そこで筆者は、まともな三脚を購入すべくカタログを逍遥した結果、ベルボンのハイ・カルマーニュ635という機種に決め、通販で購入した。
そして、本日届いたこの三脚の実力を試す機会が早くも現れたのだった。
そう、ウヨクの再来である。今回は放送を聞いている限り、亀田に対するTBSの報道が気に入らなかったようである。
どうやらクルマを見る限り、前回のウヨクと同一の団体たちであるようだ。
最初に500mm F6.3のみで撮影した画像を掲載する。続きはコメントにて。

まあ、思い当たることもあるのだが。
昨日の読了
ウィンストン・チャーチル「第二次世界大戦(1)」河出文庫
ぜひ、コメントもご覧頂きたい。

またまたやってきました。
秋葉原から帰ってくると、何とあの「外松」の外に街宣車の集団が! きょうは日曜だし、政治家を脅しにきたわけではないだろうに・・・と不思議に思っていたが、やはりTBSのほうを目指してゆっくり走ってゆく。お決まりの彼らの登場である。
逸る心を抑えて、まずは一脚に500mm F6.3のミラーをつけて撮影してみる。
ついに、ウヨクの本拠を突き止めることに成功!

おのれ、「非理法権天」ってコトバの意味、ホントに知ってるの?このナンバープレートの数字にも着目。

さいきんのウヨクはホームページ持っているらしい。最後が、-sumeraで終わっているのも微笑ましいが、taikousya-sumera.comじゃみっともないでしょ。せめて、-sumera.netにしたら?

これ、いつもTBSに来る連中だな。。。

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/review/2006/11/17/5070.html
ほすぅい、と思っていたのだが、別の場所の記事。
世界中で、ライカのカメラが一番売れている国は、日本らしい。
ので、ライカは日本法人を設立した。そして、その出資元は、本家と同じくエルメス。
57万円か。。。
まあ、日本の会社なら、30万くらいでつくれるよな。。。
エルメスのハンドバックを男性が買うようなものか。。。
やっぱ、これはカメラぢゃなくて、「写真も撮れる置物」だよな。。。

このことばには、human(ひと)の概念が入ってはいないのだが。。
さいきん群馬藤岡市と合併した、鬼石町には、桜山公園という観光地がある。これは、一年に二度咲く冬桜という品種をひとつの山に7,000本植えてあるというものだ。この季節だと、紅葉と相俟って素晴らしい見物になるのだという。
行ってきた。しかし、すぐに帰ってきた。自分にそぐわない場所だと感じたからである。
筆者はもともと、このような人里離れたところに、人を呼ぶための工夫を凝らすという考え方そのものが好きではない。
しかし、その発想を否定しようとは思わない。自治体にしてみれば、観光客を呼ぶための必死の生き残り戦略なのであろう。しかもこの桜山の冬桜は結構歴史があるということだ。
筆者がいたたまれない気持ちを感じたことには、三つ理由がある。ひとつは、「冬桜祭り」なるイベントにちょうど重なってしまったことだ。歌を唄うとか、地元の汁を振る舞うとか、やめてくれよ。もうひとつはあの駐車場の込み具合。どうしてこんなに来るんだよ。他に行く場所はないのかよ。
しかし筆者が速攻で帰ることを決意したのは、別の理由である。それは、このような「観光化」された場所には、それなりのふさわしいメンバーで来るべきだ、と思ったことである。このような場所には、家族連れ、夫婦、恋人(?)といった団体で来るべきなのだ。そして冬桜や紅葉の美しさを愛でながら、「きれいだね〜」と皆で楽しむ、そのような場所なのだ。
速攻で帰ったといっても、ここはバスと電車の便が不自由なのだ。昼過ぎに現地を出ても、東京へ戻ってこれるのは夕方。ふぅ、疲れた。。。

新しい朝を迎えた。悲しかった。気分が沈んでどうにもならなかった。
海を見に行こうと思い、一時過ぎの東海道線へ乗った。
小田原を過ぎると海が目前に迫ってきた。なぜか、涙ぐんでしまった。
真鶴へ着いたのは三時。岬行きのバスにはもう一人しかいなかった。その一人も途中で降りて、終点に着くまで客は筆者ひとりだった。
真鶴岬。十年振りだった。
寄せては返す波を眺めていたら、また涙が滲んできた。
明日からはどんな生活が待っているのだろうか。

しばらく、読書量がぐっと減る予定なので、更新はまばらになると思われる。
午後、浜離宮へ行ってみた。紅葉は今一つ。遠くにレインボー・ブリッジを望む。年配の団体と、カップルがほとんどだった。
一昨日は仕事納めであった。朝、出勤時に、比較的近くのバード・サンクチュアリ(といっても、二キロはゆうに離れている)から飛来したと思われるアオサギが、職場近くの公園で悠々餌探しをしている現場に遭遇。28mm広角専用のGR digitalしか持っていなかったので、それで撮影。画質が悪いのは拡大しているためで、ご愛嬌ということ。

昨日の読了
フランツ・カフカ/池内紀訳「断食芸人」白水社カフカ・コレクション B
表題作以外はペケ、だと思っていたのだが、この表題作、何とカフカじしんがまったく食事がとれない状況で書かれたのだという。カフカは周知の通り結核のため死去したわけだが、病気の末期には喉頭結核に罹り、アルコール以外は咽喉を通らなかったのだという。
「断食芸人は、『自分に合った食事がない』と嘆くが、カフカは食から拒まれたのだった」
という訳者の解説が心に染みる。
文字通り、命を削って書かれたこの作品、もう一度ゆっくり読んでみる必要があろう。

ここのところ、PC関連のトラブルではまっている。それは別項で書くことにしよう。
昨日は久しぶりに公園に行って、鳥その他いろいろなものを撮ってきた。何でも、鷹だかノスリだか猛禽類がいたということで、birder(こういう英語はないと思っていたが、どうやらあるようだ)が大騒ぎしていた。東京港野鳥公園などでは時々みられるようだ。しかし、当然ながら、猛禽類が出現すると、他の鳥がいなくなってしまうことが難点である。
どちらにしても、デジスコを持たない筆者は、大きな鳥しか撮影しないのであった。
去年、ちょうど今の一眼を買った頃、カワウの繁殖期であった。今もせっせと親鳥が木の枝を自分の巣に運んでいるのは、まだ産卵がはじまっていないせいだろうか。餌をねだるヒナの姿もみられ、また年を重ねてしまったのだなと感慨深い一日であった(笑)。
昨日の読了
坂部恵「カント」講談社学術文庫 B
個人的にはCにちかいBである。しかし、一冊でカントの思想を概観するには便利な本かもしれない。内容的には伝記的な部分と著書の抄訳である。最後にカント思想の現代性につきさらっと触れてある。
現代は宗教(カントにとってはキリスト教)に基づく絶対的な価値が崩壊した時代である。つまり「正しさ」というものがあくまで相対的な意味付けしか与えられず、最後は個の尊重という名のもとに、「ボクの流儀ではこれが正しいのだ」というニヒリスティックな相対論に陥ってしまう嫌いすらある。価値の崩壊を経験せずに済んだカントは幸せな時代を生きたということができようし、われわれの出発点としてこの幸せな時代の価値観を共有の土台として議論をしていきたいという(広い意味での)思想家の考えもわかる。読み方によっては今も尚アクチュアルなのであろう。

こちらによれば、月産200台という希少価値のある、Four Thirds待望の標準レンズである。こちらがレンズについての説明だが、9群10枚のレンズ中、非球面レンズ1枚、スーパーEDレンズ1枚、そしてEDレンズ3枚が使用されている。シグマの30mm F1.4 EXに一見似ているが、こちらは7群7枚、非球面レンズ1枚、スーパーEDレンズ1枚、そしてEDレンズ1枚の構成となっている。
シグマの30mm F1.4は、開放で甘さがあり、やや周辺部で像が流れる傾向があった。このLeicaブランドを冠するSummiluxでは、開放からきちんと解像するという。値段のこともあって最初は入手しない予定であったが、長く使えるレンズであろうし、入荷まで長くかかることを覚悟して、4月26日に予約をしたところ、何と30日本日に入荷してしまった。増産したのか、キャンセルが出たのか定かではない。
このとおり、でかい。重量も値段もE-500より上(苦笑)。アンバランスだが、店員さんの話によると、最近発売されたE-410と一緒に購入してゆくひとも少なくないという。その場合は、このE-500よりもさらに頭でっかちとなる。
日比谷公園で試し撮りしてみる。
ISO100, F2.0, SS 1/4000
ISO100, F1.8, SS 1/4000
ISO100, F4.0, SS 1/200
F1.4の絞り開放ではいい写真が撮れなかった(ひょっとしたら前ピン?)が、F1.8でも素晴らしい解像度。F4.0で撮ったチューリップ(?)、花と葉がこんなにくっきり撮れている写真ははじめて。
性能のよいレンズを使うことの凄さをあらためて思い知った。さて、次は人物だな。。。

写真の整理をしていたのだが、疑問に思うことがちょっと。銀塩カメラでは撮ったままを現像するしかないわけだから、撮影後に手を加える余地はないのだが(事前に、さまざまなフィルタをレンズに付けて、特殊効果を狙うことはあるし、それはデジカメでも可能だ)、デジカメの場合は、まだカメラとしての完成度が低いためか、ホワイトバランスだけでなくて、露出やもろもろを含めて、撮影後にレタッチを必要とするケースが多いように思われる。
レタッチには、一番必要なツールは、トーンカーブの調整であろうと思われる。筆者が使っているSILKYPIXにもこれは付いているし(あまり使ってきたことはなかったが)、iPhotoにも、トーンカーブそのものではないけれども、「レベル」という部分のスライドを変えると、ほぼそれに準ずる効果を得ることができる。
でも、そんな操作が不要になる日が来るのだろうか?
昨日の読了
ガルシア=マルケス「百年の孤独」新潮社 B
南米コロンビアのノーベル賞作家であるガルシア=マルケスの代表作。筋は・・・「はじめて愛によって生を授かった者が出現したとき、羊皮紙の謎が解読され、一族の歴史が終わる」というものである。
小説らしい小説である。つまり、筋を追って楽しむものではなく、挿入されたエピソードや、文章上の表現、そして時間的・空間的な配置などを周到に追いながら読む小説であろう。つまり、筆者のような読み飛ばしかたでは、十分にその真価を読み取ることはできまい。つまり、読み手の力量をある程度必要とする小説と言えると思われる。
いづれは有料になると思はれるが、有用だと思はれるのでメモしておこう。
http://www.gazou-fukkatsu.com
デジタルカメラが未だに銀塩の持っている情報量を超えるのに苦労しているのと同じ現象が音楽の世界でも生じている。もちろん、レコードの話である。
以前、デジタル・マスタリングの際に基準となるサンプリング周波数をよりたかくしたり(CDの再生の場合は44.1kHzだが、Sonyなどが中心となって取り入れているSACD(スーパー・オーディオCD)では2822.4kHzである)、クロック発振器をより精度の高いルビジウムを使用したことで劇的(とまではいかないが・・)な音質改善をみたことを書いた。いま、読書が思うようにできないこともあって、以前持っていたCD(今は手元にないもの)を購入し直してみたのだが、そのCDではDSDマスタリング、つまりSACDに使用されているDirect Stream Digital方式という1bit方式のマスタリング手法が採用されている。
もう以前のCDを聴いてから時間が経っており、直接の比較ができないのが残念であるが、たしかに細部の響きなど改善されているように思われる。ということは、まちがいなくCDは、アナログテープに録音された情報の100%の再現にはいまだに成功していない、ということを意味する。
ここで筆者が不思議におもうのは、'80からはじまったデジタル録音についてである。DENONはもっと早く'70からデジタル録音をはじめていた。使用されている機器については、たとえばTELACではCDに表記されている。それをみるとせいぜい20bitのD/A変換器を用いていたに過ぎないし、もちろんクロック発振器は水晶であり、現在一部で使用されているルビジウムや、原子時計に用いられているセシウムなどの超高精度の発振子は用いられていない。
ということは、同時にアナログテープによる録音が行われていないかぎり(筆者の知る限りそのようなケースはないと思われるが、ありそうでもある)、その年代のデジタル録音は、マスタリングの改良による音質改善の恩恵に与れる可能性は、かなり低い(もちろん、ルビジウム発振子を用いたカッティングなどは、デジタル録音のばあいにもメリットはあろう)とおもわれるからである。
録音技術はLPレコードが登場した1950年代前半頃から飛躍的に進歩しはじめ、録音史上に残るゲオルグ・ショルティ指揮の「指輪」が登場したころにはほぼ完成されていたようだ。それから後の時代には、マイクロフォンといった基本的な機器については、ほぼ性能向上はフラットになってしまった印象すらある。あまりよい印象を持っていなかったステレオ最初期の米RCAによる録音(たとえばフリッツ・ライナーとか)も情報量がきわめて多かったことがわかっているし、米ブルーノートや米コンテンポラリーなどの名録音は、現代のスタジオで録音されたものを上回る音質であることがしばしばだが、それは録音媒体(デジタルかアナログか)よりも、録音されたスタジオやホール、そして用いられたマイクロフォンやその配置のほうが遥かに音を決定するのに重要であることを示している。
ということは、やっぱりデジカメの画質を決定する最大の要因は、撮像素子ではなく、レンズだろうと思われるのだが・・・もちろん、撮影を行う人間の技量という要素がlimiting factorであることは、いうまでもない。
東丹沢、塔ノ岳山頂より。Olympus E-3 + ED 50-200 F2.8-3.5 + Teleconverter EC-14にて。ISO 200, 焦点距離 283mm (35mm換算566mm), 絞りF5.0, シャッタースピード1/5000sec。 手持ちで撮ったので、強風もあってカメラはゆらゆら揺れた状態で撮っている。まあ、いくら高速シャッターを切っているとはいっても、登山道まではっきり撮れているのはきちんと補正が効いているからではないだろうか?
山頂近くにいた若いシカ。ちょっと逆光気味。
昨日の読了
ミアシャイマー&ウォルト「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策I,II」講談社 B
何も特別のことが書いてあるわけではない。「アメリカの異常なイスラエルへの肩入れは、アメリカ自身の国益を損なっている」それだけである。にもかかわわず異様なブーイングが巻き起こるのは、イスラエルとの関係においてアメリカが異様な国家となっているあらわれであろう。つまり、この本の内容よりも、この本に対して巻き起こった論争のほうがより問題視されなければならないということである。
しかし、正直なところ、反ユダヤ主義と無縁の日本という国に立脚して眺めてみたときに、
「やっぱりホロ○○○○には理由があったんだな・・・」
という感想を持つのは、ごく自然なことではないだろうか。「現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることは、ヒトラーがユダヤ人にやったこととまったく等価である」という命題は、さすがに言い過ぎのきらいはあるかもしれないが、ヒトラーによる迫害を経験した民族が取る行為として賛同しがたいものがあることも、多くの日本人が認めることだろう。
にもかかわらず、「日本の国益のためにはイスラエルと友好関係を深めるべきだ」と主張する佐藤優に対しては、やはり筆者は近視的な視野しか持っていないように思われるのである。早晩イスラエルの暴挙に対しては「天罰」が下ってもおかしくないからである。
#一度天罰が下ればもう二度は起きないというのだろうか?
きのう、九時近くに(だっけ?)自宅に電話があった。そんな時間に何かと思ったが、なんと
「お客様のお申し込みになった、浅田姉妹の撮影会に当選なさいました。」
だそーだ・・・
しかし、当選するくじ運もさることながら、オリンパスの言葉は非情であった。
「一月七日の十時から十七時までです」だそーだ・・・
そんな時間に行けるのは学生くらいだろう・・・だから筆者のところにまで「当選」が回ってきたのだな。ということで、涙を飲んで辞退。
最近の購入
ウィリアム・マクニール「疾病と世界史(上下)」中公文庫
Jack Kerouac "On the Road"
Kazuo Ishiguro "Never Let Me Go"
カズオ・イシグロは、翻訳で読むとあんなに面白いのに、どうして英語で読むとこんなにつまらないのだろう?(爆)
最近の読了
ミラン・クンデラ「生は彼方に」ハヤカワepi文庫 B
「存在の耐えられない軽さ」でもそうだったが、この小説家の文章はやや晦渋である。「存在」もよく映画にしたなあと思うくらい。この作品もフランスで賞を獲得しているそうだが、その独特の実験的技法がどうも筆者には気になって、楽しんで読めるまではいかないのであった。
登山、というよりは、ハイキングと言った方が適切だが。
症状が軽くなってきたとはいえ、やはり定期的な運動療法は欠かせないと考えているので(そういえば近くの小学校がプールを開放しているからそこにも行ってみたいし、千駄ヶ谷の東京体育館のプールなら時間の都合もつけやすいのであった。少々値段は高いけれど、しょっちゅう行くのでなければ、一回800円はリーズナブルとも言える)、お金のかからないスポーツと思われている(これは絶対に嘘だと思う・・・)山歩きをすることにしている。
で、今回行ってきたのは、秋川の入り口にあたる戸倉三山というところである。ここの標高は1000mないから、冬期向きの低山ではあるが、かなりの距離を縦走しなくてはならないために(コース全長は15kmくらいになるんじゃないか?)なかなかのハードコースとして知られている。
で、8:10に武蔵五日市に近い(京王八王子からバスで行ったのだが)今熊バス停で降りて、ここから今熊神社 - 今熊山 - 刈寄山 - 市道山 - 臼杵山と縦走。ここから秋川沿いの荷田子のバス停まで歩いた。地図によればコース時間は八時間強と書いてあるが、五時間強で踏破。それもそのはず、ここはさいきん流行りのトレイル・ランニングのコースになっていたのだった。道の途中に「日本山岳耐久レース10km地点」という立札をみかけた。ようするに飛ばそうと思えば飛ばせるコースなのだ。しかし、筆者には、こんなのはさすがにむりである。
下山したのが13:30で、ちょうど荷田子バス停には五日市に戻るバス便はなかったので、ここから瀬音の湯という第三セクターの温泉施設に向かう(徒歩八分)。ここがまたすごい賑わいで、「混浴はただいま大変混みあっております」という表示が、渋滞した道路のあちこちに出ていた。何も混浴が目当てで男性陣が押しかけてくるというわけではなくて、家族連れが単に多いからというだけなのだろうが。
で、混浴が45分待ちという状況から推して、山登りの帰りに気軽に寄る温泉施設ではないと診断、帰ろうとしたところ。
何やら、人が集まって、足を水に突っ込んでいる。よくみると、「足湯」と書いてあり、ここは(第三セクターらしく)無料で開放しているようである。

仕方がないので、筆者もバスの時間まで、このように足を突っ込むことにしたのである。
もちろん、望遠をさらに延長するためのテレコンではない。広角を標準レンズへコンバートするためのテレコンである。
それなら最初から広角28mm単焦点なんか買うなよな、と言われそうだが、じっさいに使ってみて、やはり28mmは筆者には広過ぎる。それで、お散歩カメラとしてもだんだん登場の機会が減ってきていた(お散歩自体の回数も減っているのだが、すると山で手ごろなスナップ用のカメラが必要となる。E-3は必ずリュックの最深部に積んでいくにしてもだ)。タウン用、山用、そして仕事用(広角接写では被写体のデフォルメは避けられないために、記録写真用カメラとして使うのは問題があるのだ)として、40mmくらいの手ごろな焦点距離のものがあるといいなと思っていたのだが。
GT-1。これは、GR digitalおよび二代目digital IIに装着可能な、1.43倍テレコンである。35mm換算40mmの単焦点標準レンズへ化すツールである。GR digitalに装着すると、こんなかんじになる。
このテレコン、二群四枚のレンズを使用、先端に取り付けるタイプだから、デジイチ用の汎用テレコンと違って、焦点距離は伸びてもF値が低下しない。つまり、40mm F2.4の単焦点となるから、その明るさが最大のメリットであろう。
さて、問題はまずは価格だ。テレコンじたいの定価が15,750円、それにテレコンを装着するアダプタGH-1が5250円する。二万円出してGR digitalを生き返らせるべきか、それとももう少し投資して高級コンパクトを買ってしまうか(たとえば同じRicohのGX 100は実売50,000円くらいまで下がってきている)という選択肢が生ずるだろう。
で、筆者はテレコンを選択したのだが、次なる問題はその重量である。

GR digital単品では202g。小型軽量である。これが・・・

テレコンGT-1を装着すると、一気に356gまで跳ね上がる。じっさいに手に取ってみてもテレコン部が重くて前掲する。アルチザン&アーチストで作っている、GR digital用の特製ストラップなどが欲しいところである。
で、肝心の画質についてはどうか? まだ枚数を撮っていないから何ともいえないが、逆光性能はさすがに弱いようだ。いわゆるハレ切りをしないと、こんなふうに盛大にハレーションが出現してしまう。

前のblogで出した足浴の写真はこのテレコンを装着して撮っているが、画質はともかく画角だけでみるとすこぶる快調で、40mm専用機として使いたいくらいである。広角が欲しいときはテレコンを外すだけでいいのだから、お手軽である。
ステルスソールを持つGK-26と、インソールであるsuperfeetのテストを兼ねて、トレーニングに行ってきた。今回のルートは、西武池袋線の終点飯能の駅からバスで一時間にゆられて到着する名郷の集落から、浦山への生活路であった鳥首峠を経由して有間山(橋小屋ノ頭〜タタラノ頭〜仁田山)を縦走し、奥多摩の長沢背稜の一峰である日向沢ノ峰に抜けるというコースである。
鳥首峠には一時間で到着。うーん、どうも普段よりも多めに汗をかいているようだ。まともに歩くとこのコースは八時間強、この季節だと下山前に日没になってしまうために、飛ばそうと意識したのがいけなかったのかもしれない。
橋小屋ノ頭、タタラノ頭でこまめに休憩を取り、カロリーと水分の補給をする。さて、問題はここからで、タタラノ頭から奥多摩側はあまり登山道の手入れがなされていない。道は明瞭なのだが、笹藪がひどく、それをかきわけかきわけ上り下りを繰り返してゆく。途中の仁田山などは、文字通り「ヤブの中」であった。結局、日向沢ノ峰に到着したのは十二時過ぎ、つまり登りはじめてから四時間弱である。
ここで下山路を再検討する。ここから長沢背陵を雲取山側に遡り、蕎麦粒山、三ツドッケと縦走してから東日原に下山することもできたのだが、そうするとバスの関係上帰宅が七時を回ってしまう。早く帰りたかったので、川苔山経由で鳩ノ巣駅に直接下山するルートを取ることにする。
川苔山山頂に着いたのが十三時十分くらい。驚くべきことに、山頂には誰もいない。名郷から日向沢ノ峰までは誰にも会わないことを予想していたのだが、まさか川苔山に誰もいないとは思わなかった。もうかなりばて気味であったので、予定通り鳩ノ巣に降りる最短コースを取ることにする。途中で、大仁田山から降りてくる登山者にあったが、彼が唯一の出会った人物であった。
この下山コースを半分くらい降りたところで、突然飛ばせなくなった。足がだるく痙攣ぎみで、心拍数が上がっているわけでもないのに(下りだから)息が苦しい。駅伝の脱水症状のようなかんじである。そこで、仕方なくゆっくり歩くことにした。途中の大根ノ山ノ神という小さな祠のところで写真を撮ろうとするが、カメラがない。GR digitalを川苔山山頂に置いてきてしまったらしい。おそらく先ほどの好青年が山頂でカメラを手にすることになろう。今から山頂に戻るのは、体力的に不可能である。足を引きずりながら鳩ノ巣駅に十五時十分到着。幸いすぐに青梅線がやってきて、五時過ぎに帰宅できた。
さて、今回の反省である。まず、家を出るときから少々脱水気味であったこと。持って行った水筒の水1000mlを使い切ってしまったが、普段は1000ml持って行っても、全部飲まず半分くらいは持ち帰りするのだが。今回飲み切ってしまったことより、発汗が著明であったことと、出発時の脱水のためであろうと考えるのが妥当か。
また、寝不足が続いていたこと。やはり普段からきちんと睡眠を取っていないと、かなり影響してくるようだ。
いずれにしても、次回からはちゃんと体調を整えていかなければならない。
さて、肝心の靴とインソールの評価。後者については、ちょっとわからない。
靴であるが、まず路面では無敵のキックアップ性能である。でも、それでは登山靴の評価にはならない(笑)。やはり、ガレ場や岩場などでよいフリクション性能を発揮するようだ。逆に言えば、足離れが悪くて(ちょっとひっかかる)却ってバランスを崩しそうになることがあり、注意が必要だ。木道に関しては乾燥していても濡れていても、岩よりはフリクションが弱めである。しかしビブラムに比べればずっとよいであろう。
靴としての総合性能に関していえば、まだわからない。体調万全時にどんな歩きができるか、であろう。
リハビリの一貫として、今回は西丹沢の畦ヶ丸へ行くことにした。
8:10新松田発のバスに乗り込んだのは筆者も含めて六人。途中で一人が乗ってくる。そのうち四人が早々に下車。医療機器関連の会社の社員で、通勤だったようだ。残りの二人も高松山、不老山へのハイキングコースへ下車し、丹沢湖を過ぎたところでは筆者一人に。結局、終点の西丹沢自然教室で降りたのは筆者一人だった。あの狭い道路(片側一車線しかない)を乗客なしで運転するのも辛かろう・・・
下車後、西丹沢自然教室へ登山届を出す。「他に降りた人はいましたか?」と尋ねられたので、「いいえ」と答えた。「檜洞ですか?」の当然の質問(この寒さのなか、わざわざ新松田から一時間の奥地へやって来るのは、西丹沢の盟主檜洞丸へ登るのがふつうだろう)には、「いえ、畦ヶ丸です」と返事をする。丹沢程度の低山でここまで徹底しているのは珍しかろう。もっとも、登山客のケタ違いに多い表丹沢(大山や塔ノ岳)では、当然ここまではやっていない。放置状態である。
昨日降雪があったとのこと、アプローチの沢からずっと一、二センチの積雪がある。滑らないよう慎重に足を運ぶ。入山者もすくなく、踏み固められたり凍結している箇所はなく、アイゼンもスパッツも不要である。途中でこんなものを見つけた。ここは西丹沢の一般コースなのだが。

バス停から二時間、あっけなく山頂へ着いてしまった。ガイドブックや地図では三時間かかるようなことが書いてあるが、特別飛ばしたわけでもなく、むしろスリップに注意しながらゆっくり登ったつもりだったのだが、何だったのだろうか。
十二時前に着いてしまったので、早期に下山して帰宅を目指す。ここからは意識して飛ばした。ゴールの大滝橋バス停に着いたのが十三時四十分である。これも地図によれば二時間四十分かかることになっているので、約一時間の短縮である。が、しかし、、、
帰りのバスがないのだった(涙)
仕方なく中川バス停まで歩く。このあたりは古くからの温泉郷であり、日帰りで入浴できる施設がいくつかあるのだ。そのなかで、町営のぶなの湯を選んで入る。残念ながら大浴場は一日おきに男女が交替となっており、たまたま女性の順番に当たる日であったため、小浴場の入浴となった。しかし、脱衣場には何人か客がいたものの、結局筆者が入浴したときには、他に客がいない状態であった。たしかに、わざわざ日帰り温泉のためだけに、こんな山奥まで危険を冒して(クルマで来るのも路面凍結などで容易ではない場所である)来ることもないしな、と納得である。まあしかし内風呂のほうが露天風呂よりも温度が低いのはどうかとは思った。湯質は単純アルカリ泉。これに関して、「肌がつるつるになる美人の湯」と謳ってあるが、これには筆者はむかしから疑問を抱いている。なんとなれば、化粧水には「肌に優しい弱酸性」とあるものが多くなかっただろうか? もちろん、弱アルカリで角質を溶かすピーリング作用を期待して入浴するのはありかもしれない。
ただ、「信玄公の隠し湯」の伝承は、ほんとうだろうか。この中川温泉から少し北へ行ったところに「犬越路」という場所がある。信玄が小田原に攻め入ったときに軍犬を先頭に越えた場所だということである。犬越路の先は南都留郡道志村。ここは信玄の時代、郡内領主小山田氏が領有していた地域である(よく誤解されているように、小山田氏は武田氏の配下ではなく、対等に近い同盟関係であったらしい)。そして中川温泉は山北町、ここは足柄上郡となり、戦国時代は北条氏の領土であったはずである。だから、「信玄の隠し湯」ではあり得ないはずなのだが・・・
けっきょく、登山をはじめてから下山するまで、ひとりにも逢わずじまいだった。なお、履いていったGOROの山靴(こないだソールを張り替えたやつ)はなかなか積雪時にはよいことがわかった。

首都圏に近い山岳に登って、もっともフォトジェニックなものは「富士」である。これが、八ヶ岳や日本アルプスだと、雲海の上の「日の出」とか御花畑とかいろいろあるのだが、低山ではそれも期待できない。
富士山の近くだと、「霊峰眺望」のためによいとされている山がいくつかあるが、最も有名(キレイかどうかは別にして)な山は、河口湖町にある「三ッ峠山」であろう。もうちょっと知名度のひくいところだと、岩倉具視の五百円札(といっても、さいきんの若者はもう見たこともあるまい)における富士の撮影地として有名な、雁ヶ腹摺山(がんがはらずりやま)というようなところだろうか。富士の直近だと、愛鷹連峰とか、パノラマ台というようなところも有名だ。
降雪が続いた翌日の晴天日に、カメラを抱えて三ッ峠へ行ってきた。「山と渓谷」のwebに載っている山荘の記事では、「アイゼンが必要。できれば6本爪以上が望ましい」とか書いてあったので、2.5kgの三脚を担いでゆく度胸はなく、E-3の手ブレ補正を信ずることにした。
富士急の三ッ峠駅で下車。同じ電車で降りて、登山をする人間は例によって誰もいない。さて登り4時間(標準コースタイム)のうち、いちばんきつかったのは、最初の1時間の車道であった。南面の斜面なので、積もった雪が溶けて、凍結して滑るのである。まさかここでアイゼンをつけるわけにもいかない(着けたところで氷の厚さは数センチだから意味もない)。慎重に滑らないように歩くのにとても神経を使う。
コース半ばくらいまで登ったときに、軽装の若者が筆者を追い越してゆく。みると、運動靴にスパッツも付けずにほいほいと登っている。「最低軽アイゼンが必要」と書いてあったのになあ・・・しかし、あの服装では靴もズボンも寒かろう。しかし、軽快に、あっという間に姿を消してしまった。
しかし、彼が先行してくれたおかげで、その後の登りは楽になった。彼の踏み跡を辿って行けばいいからである。これは下りでたまたま彼の選んだコースが筆者とおなじであったために、ますます顕著になった。
降雪が多かったため、頂上へ着いたのは標準コースタイムを三十分上回る4時間半であった。富士の写真を撮りまくっていたら、電池がなくなってゲームオーバーになってしまった。
下りは西面の尾根を河口湖駅まで降りるのだが、ここの降雪はところにより50cmを越えているところがあって、太ももまですっぽり雪に埋まって、歩行困難となった場所もいくつかあった。でも、彼がすでに踏み跡を残してくれたおかげで、そのかなりを再利用できた。歩幅がちがうために、自分で踏み抜かなければならない部分も結構あったが。しかし、雪のクッション性のおかげで膝をそれほど痛めずに歩行が可能であった。
最後の三十分は早く帰りたかったので、かちかち山ロープウェーで降りてしまった。終わってみれば、けっきょくアイゼンは使用せず(というか、使うような箇所がなかった)。「六本爪以上を持ってきてくれ」はいったい何だったのであろうか(どこで使えというのだ??)。
まあ、登山道ははっきりしているからあまり問題はないのだが、降雪直後でトレースのない山は大変よね。。。
最近の購入
スティーブン・ジョンソン「感染地図」河出書房新社
まあ、職業柄買わないといけないかな。

奥多摩湖にかかるドラム缶橋。もう写真のようにドラム缶は使われていないのだが、この名前だけは継承されているようだ。
まだ体力に余裕がありそうだったので、今度はさほどきつくないと思われる奥多摩の三頭山へ行ってきた。
登山口である小河内神社前で降りたのは筆者以外にもうひとりだけ。三頭山は、都民の森として整備された数馬口から登山されることが圧倒的におおいからであろう。
雪は多くない、と思っていた。登り始めは。ところが、登りのちょうど半分くらいのヌカザス山ふきんの傾斜がきつく、筆者のキャラバンGK-26では(いやほかの登山靴でも同じだろう)とにかく滑る。数度滑落しそうになった。
ここで、アイゼンを装着するべきだったのだ。GK-26はもちろん冬山での使用を想定していないから、四本爪の軽アイゼンもほんらいは「想定外」なのだが、これが付けられることは確認済みであった。
で、ここの急傾斜が終わった後で、高校生(中学だったか?)の白馬大雪渓以来となる、久しぶりのアイゼン装着を行ったのだが、その後傾斜は急に緩くなり、ほとんどまったく役に立たなかった。結局、山頂への所要時間は、標準コースタイムを三十分ほど上回る三時間半であった。
さて、ここから当初の予定であった「日帰り入浴」を実現すべく急いでみた。山頂を出発したのは十三時、数馬バス停の発車時刻は十五時十五分、常識的にはコースタイム二時間の下りは間に合いそうにない。ここから走った。積雪の中を走ることはお勧めできないが・・・
で、結局バス停のある数馬に着いたのが十四時四十分。蛇の湯温泉たから荘という由緒ある(蛇の湯という温泉名は武蔵国風土記にも登場するそうだ)温泉宿に一浴をお願いする。たかだか十分少々の行水に1,000円は高いと思ったがしょうがない。しかし、入浴してみると、浴槽は狭いものの、湯質はたいへんよさげで、たいへん疲れが取れるような気がした。お勧めの温泉である。もう少し歩くと檜原村村営の「数馬の湯」というのもある。
で、当初の目的を達成し、のうのうと戻ったのであった。でも、三時十五分発のバスに乗って、自宅着が十八時というのはちょっといただけないが。
昨日の読了
Kazuo Ishiguro "Never Let Me Go" A
TIME誌の、「1923年から2007年までの、英語で書かれたベスト小説百選」の中にも入っている小説であることを、読後知った。
これから読もうというひとのために、ネタバレすると申し訳ないので、筋は書かない。英語のレベルはたしか英検(だったっけ?)二級程度と書いてあったような気がするが、ボキャブラリはそれほどむずかしくないものの、全文の半分くらいが理解できて、ストーリーは追えるというくらいだったので、決してやさしい小説ではあるまい。読了に一ヶ月くらいかかっているはずである。
しかし。
翻訳で読んでももちろんいいのだろうが、がんばって読むだけの価値のある小説だ。最初はホラーかミステリーのように思って読み進めていたのだが(話の流れは理解できても、どういうシチュエーションなのか全然わからなかったから)、エンディングのラスト40ページで謎が解き明かされる、というミステリー仕立ての小説なのかと思いきや、最後まで読了するとまぎれもない純文学であり、しかも控え目ながら筆者の主張ははっきり読み取れる。たいへん優れた小説であると筆者にも思われた。
筆者のPlympus E-3において、ファームウェア・アップデートによって、Pentaxと同様に、焦点距離を入力すれば、フォーサーズ純正のレンズでなくとも手ブレ補正が利くようになった。
さっそく所有しているKenkoのRefexレンズ500mm/F6.3にて試写を行ってみる。ISOは800に設定。まずオリジナルを呈示。露出時間は1/3200秒である。

描画ソフトで調整すると、こんなもの。

では、テレコンを付けて、1000mm/F12.6のレンズとして使ってみよう。フォーサーズでは実焦点距離の二倍、つまり35mmフルサイズ換算で2000mmの超望遠レンズとなる。こうなるともはやデジスコ並みとなる(盗撮用ともいう)。ISO 800, 露出時間1/500秒。カメラはゆらゆらしている状態である。

ソフトで補正。

ケンコーは、800mm/F8の販売も予定していたということだが、まだ発売はされていないようだ。レンズ内手ブレ補正が使えるならば、かなり実用的になる(マニュアルフォーカスだから、フォーサーズでは光学ファインダの大きなE-3しか対象にはならないだろうが)。
500mmを抱えて鳥を撮りに行くのもよいかもしれない。
に、なるところだった(ちょっと大げさ)。写真は、尾根筋から道志村の村落を臨んで。

うちのすぐそばに住んでいるお兄さん(名字はしらないが、ナルちゃんとか徳仁とか呼ばれているらしい)が行ってきたということなので、あちきも行ってみんとてしたなり。
御正体山は山梨県道志村と都留市との境に位置する、道志山塊の最高峰(1628m)である。この山の主な登山ルートは五つある。
1)都留市細野より
2)道坂隧道より
3)道志村白井平より
4)山伏峠より
5)都留市鹿留(池の平)より
1)がクラシック・ルート。2)は都留市と道志村の境である道坂峠より、御正体山と今倉山との分岐に出ることになる。4)の山伏峠は道志村と山中湖村の境界で、ここからは1時間ほどあるくと山中湖畔の平野集落に出、そこから東京に向かう高速バスに乗れる。5)はさいきんまであまり知られていなかったルートのようだ。事前情報ではナルちゃんは4)の山伏峠コースを使ったらしい。彼とおなじコースを辿るのはなんとなくイヤなので道坂峠から登って細野に出ることにした。
高速バスで中央道都留で下車、都留市駅まで歩いてタクシーを拾う手もあったが、時間を稼ぐために中央線で大月下車、富士急に乗り換えて谷村町下車。タクシーは当然いないので、電話をかけて来てもらう。ここから都留道志線の道坂隧道まで乗るのだが、なんと4,300円もかかってしまった。
タクシーの運転手さんによれば、ナルちゃんは、5)を使って登山し、4)に降りたらしい。どうやらそれが、ペンペン草も生えないくらいに4)5)ルートが過剰整備されてしまった理由のようだ。
さて降ろされたのは道坂隧道の東側出口、つまり道志側である。降りてみると、登山道を示す標識がない。困った・・・と思いきや、左側に使われていない道路が見えた。これが旧道坂トンネルに繋がる道であろうと推測し、入って行った。もうこの時点で雪が30cmくらい積もっている。トレースはない。なんのことはない、今の登山道は都留側に付けられていたのである。
旧道は閉鎖されたトンネルで終わっており、左側に「御正体山登山道」との標識がある。しかし・・・登山道の影はみあたらない >_< このあたりにも30cm以上の積雪があり、それで消えてしまっているのか、荒廃して消滅してしまったのかは定かではない。しかし、この隧道の上に稜線があるのはわかっていたので、登山道を無視して急峻な坂を無理やり登ってゆく。スギの植林帯がなければとうてい登攀不能な傾斜である。途中で直登をあきらめ、スギづたいにトラバースしながら少しづつ登ってゆくと、小さな尾根に出た。よくみると植林帯から道が上ってきているようにも見えるので、雪がなければ登山道はあるのかもしれない。そこから数分で道坂峠上の稜線に出ることができた。
ここからが地獄のはじまりだった(なんちて)。さきほど引用したページによれば、三時間半ほどで到着可能であったということだが、考えてみればこれは積雪が20cm以下の記録なので、無雪期と所要時間は変わらないはずなのだ。しかし登ってみたら、30cmはおろか、膝関節を超えてふとももの真ん中くらいまでずっぽり埋まってしまう箇所もあって、本格的なラッセルが必要なコースだったというわけである。
もちろんトレースはない。ときたま人の足型のようなはっきりしたトレースが登山道を横切っていたが、あれはシカのそれだろうか? ほかはウサギや鳥とおぼしき足跡ばかりで、これを見る限りは動物たちの楽園という風情のところである。雪は軟質で、まったくアイゼンは必要がない。登山靴が雪に埋まって歩きにくいことおびただしい。ようは、この時期のこのコースに必要なのは、アイゼンではなく、わかんあるいはスノーシューだったのである。
コースの2/3くらいのところで、登攀不能箇所に行き当たった。コースらしい左側のガケは危険で、右側の緩やかなところは潅木が生い茂っており、通過不能だ。少し戻ってトラバースできそうなところを探すが、左右はかなり急な斜面で、回り込めそうもない。意を決して左のガケを登ることにする。木や岩を掴みながらなんとか通過。
コースの3/4のところで、白井平からの道と合流。こちらからは誰かがさいきん登った形跡があり、トレースがついていた。これでじゃっかん登りやすくなるかとおもったが、道はここから300mを一気に登る最後の急登だ。稜線も細くなり、トレースは最後には完全に新雪に覆われ、消えていた。登ろうにも足がざっくり雪に埋まり、キックステップも利かない。ひざや上半身を使って地道にラッセルをするしか登る方法はなかった。
頂上が見えてきてからも長かった。膝上まで雪に埋まり、文字通りの匍匐前進になった。かくして頂上に到着したのは二時過ぎ。登山をはじめてから五時間半ほどが経過していた。昼食を取る元気もなく、パンをひとつだけ食べ、お茶を少し口にして山頂をあとにする。写真も撮らなかった。頂上にあったのは、小さな祠(御正体という山名からもわかるとおりここは本来信仰の山である)と「皇太子登頂記念」の誇らしげな看板、さいきん設置されたと思われる新しい木のイス(もちろんかまぼこ上に雪が積もっており、休憩は不可能である)そして超りっぱな指導標である。指導標には先ほどの各コースが全部網羅されていた。しかし・・・
ここから細野コースへ向かって下山を開始。途中で鹿留コースへの分岐を経て(ここにも立派な指導標あり)あとはほぼ下りオンリーの道である。二時間ちょっとでバス停に降りることができた。
さて、降りてみると、道坂みちにも細野みちにも道標はほとんどまったくなく(道坂コースでは白井平への分岐にあった古いものがほとんど唯一のもの)、ぺんぺん草どころか、雪の中から笹がこんにちわ状態であった。ということは、頂上の道標には各コースが記されていたものの、頂上および峰宮跡の道標は、あきらかに鹿留コースならびに山伏峠コースのみを念頭においたものであることはあきらかだ。ということは・・・
ナルちゃんにはもうすこし登山を控えてほしいと切にねがうのであった。
大辞林第三版によると、「遭難」の語義は、「生死にかかわる危険な目にあうこと」とある。しかし、この定義はちょっと正確性を欠くのではないだろうか。同じ電子辞書に収録されているウィスダム和英辞典によれば、「遭難」の英訳はget, lost, go, missingとなることもあるとある。つまり、「行方不明」もその語義に含まれると考えられる。
先日、道志山塊の最西部、富士吉田ちかくの杓子山へ行ってきた。この山は、ここから尾根伝いに縦走可能な石割山(ここは山中湖畔の平野集落からすぐに登頂可能である)と同じように、富士展望の峰として知られている。しかし、この付近の山がみなそうであるように(石割山は例外)、傾斜が急であり歩行距離が長いことから、一般的にハードコースであると認識されている。
しかし、ふつうに登ると他の登山客に遭遇するのがイヤだから(これは事故が起きたときに誰にも発見されない危険を強く伴うので、いけないことだ)、今回もあまり人が登らないであろうバリエーションルートから登頂することにした。
ところが、今回、いきなり登山口から現在地を見失うというミスをしてしまう。これは、立派に「遭難」に値する出来事である。どうしてそんなことになったのか? これはあとで地図を載せるので、その地図を見ながら説明をしたいとおもう。
富士急の寿駅からタクシーで「明見根元神社」へ向かう。運転手のおじさんは、この神社の位置を知らなかった(あまりメジャーでない小さな神社なのだろう)。この神社までは、1/25,000の地形図によれば、幅1.5m~3mの道路が通じている。これは通常車道だから、筆者の先入観として、ここまでタクシーで入れるものと思っていた。ところが降ろされたのは地図上の工場の先であり、つまり運転手の誘導はまったく正しかったのだ。ところが、これを筆者は根元神社の左側(北側)の枝道だと錯覚してしまう。筆者が、自分が降ろされたと錯覚した地点を青字Xで示した。しかし、本当は赤い線の起点で降ろされていたのだ。

紫のラインが筆者の予定していたコース、赤のラインが実際に登ったとおもわれるコースだ。
山道を歩きはじめた時点で正規の登山道から外れてしまっていることはもうわかっていたが、登る尾根が異なるだけで、同じ縦走路に出ることはわかっていたので(つまり、尾根は登って行けば合流を繰り返し、最後は頂上になるから、高度を上げてゆく限り道迷いはありえない)、気にせずそのまま登り続けた。しかし、そのあきらかに正規の登山道ではない部分に、足跡が残されていたり、赤いリボンまで残されていた。いったい、こんな場所を誰がどんな目的で登った(下った)のだろう? 道迷いか、意図的なコースはずれか?
隣の尾根に合した、展望のある小ピークに出る。あれ? 下吉田や富士吉田の市街だけでなく、登ってきた工場付近も展望できる。予定の南北に延びている尾根からは、工場が見えるのはヘンだ。
さらに、その狭い尾根(岩場もあれば潅木が道を塞いでいる場所が数え切れないほど)を進んで行くと、送電線の鉄塔に出た。あれ?? 東西の尾根には送電線はないはずなのだが・・・
あらためて地図を見て、愕然とした。南北の尾根ではなく、明見集落へ直接出れる、杓子山から西に延びている尾根に向かって南下していたのだ。
この間違いの原因は、もちろん登山を開始した現在地を誤認識していたことにある。しかし、山中でコンパスを使って尾根の方向を確認していれば、南下していたことが認識できていたはずだ。「尾根を登っている限り杓子山に到着する」という考えは正しいのだが、尾根の方向を外してしまうというのは致命的なミスである。
さて、この時点では、この道迷いの理由は判然としなかった(タクシー運転手が道を間違えていたと思い込んでいたから)が、現在地は明確になったため、まず(いちおう正規ルートの)西の尾根に出ることにした。さて、そこからが大変だった。正規ルートのはずなのが、ほとんどまったく手入れもされていない状態だし、さらに傾斜が急で積雪も多く、今までの非正規ルート以上に登攀がたいへんだったからだ。登山靴に8本爪アイゼンとカンジキを装着するが、それでも沈む。またかんじきの装着法が適切でなかったために、靴からずれて大変に歩きにくい。そして降り掛かってくる潅木をなぎ倒し、よけながら進まなければならない。
それでも結局四時間ちょっとかかって目指す杓子山には到着することができた。残念ながら抜けるような青空ではなく、じゃっかん雲がかかった状態ではあったが、富士の撮影には成功した。メジャーな山なのに、なぜかそこには誰もいなかった。
帰りは、慎重に地図を見ながら(笑) 下山予定の尾根を降りてゆくが、あれ? 隣の尾根にトラバースしてゆく。これは、高座山にゆく別のルートのはずだが? もう少しあるくとコルになっている場所があるはずなので、そこで強引に再トラバースして、元の尾根に戻ることも考えながら歩く。
コルに到着したら、そこにはハンググライダーの練習場が建設されていた。そして、何と隣の尾根にゆく林道が建設されていた! つまり、筆者が強引に進もうと思った方向へ、すでに新しく林道があったのである。つまり、筆者のルート・ファインディングは正しかったわけである。
林道を下ってしばらくすると、「不動の湯」なる湯治場に到着する。三十分後にタクシーを呼んでもらうように頼み、うららかな日を浴びながら湯に浸かって、生きててよかった〜と感じるきょうこのごろなのであった。
これ、ほすぅいんだけど、E-3だけで810gあるからなぁ・・・意味なし芳一 ;_;

本社ヶ丸から三ツ峠を臨む。
山梨県大月市は、東京からはあずさやかいじなどのJRの特急を使えば一時間足らずで到達可能な近場である。富士急や京王の高速バスを使うアプローチもある。てなわけで、週末にはハイキング(というには、少々ハードなところがおおいのであるが)で賑わうところである。
大月市は霊峰富士のちょうど真北に位置する。ので、富士山の展望のよい山が市内にたくさんあるのだが、観光客誘致のためか市が十二の山(じっさいにはもう少しおおい)を選定し、「秀麗富岳十二景」として発表している。筆者は別にそれを全部踏破しようとしているわけでもなく、特別富士に思い入れがあるわけでもないのだが、対象としている山域が奥多摩--丹沢--道志--南大菩薩と移ってきているのに呼応して、この十二の山に足が向かうことが増えている。というわけで、今回はその十二番目、本社ヶ丸へ行ってきた。
本社ヶ丸はその隣にある鶴ヶ鳥屋山と結んで登られることが多い。今回は、長い車道歩きを避けるために、行きは大月の駅からタクシーを使って初狩の鶴ヶ鳥屋山登山口まで行ってしまうことにした。
やはり、早起きとC-06を履き続けたダメージから回復していないのか、最初の急登でばててしまう。鶴ヶ鳥屋山に到着したときには、途中の笹子駅へ抜けるエスケープルートから下山してしまう予定であった。しかし、途中からこれは行けそうだという自信が出てきたため、結局予定通り本社ヶ丸まで行ってきた。しかし・・・
ここからルートは清八峠に向かい、そこから清八山まで往復し(筆者は省略した)笹子まで降りるのが定番である。じつは、本社ヶ丸よりも、本社ヶ丸と清八峠を結ぶ稜線上の富士展望のほうが遥かによいのだ。ということは、笹子側から登った場合、本社ヶ丸に着いてみたら実はそれほど展望はよくなくがっかり、ということになりかねない。というわけでこのコースは初狩側からゆくのがお勧めである。
歩きはじめたのが8:20くらい、笹子の駅へ着いたのが15:20で、けっきょくコースタイムをじゃっかん上回ってしまった。片足1300gと、E-3+標準・望遠ズーム2000gの負荷はかなりこたえる。次回からは膝を壊さないためにちょっと軽装でいかないとね。
一種、陸の孤島のような場所ではある。
相模川水系の道志川の流域沿いの細長い山村である。北は道志山塊を挟んで桂川流域の上野原市と、南は丹沢山塊であり、神奈川県松田町や清川村に接する。一般的には、この場所へ行こうとすると、自家用車が必要になる。公共交通機関はバスのみである。西に位置する都留市、南西に位置する山中湖村からそれぞれバスが一日数本が、東の相模原市橋本あるいは藤野からは、バスを二回乗り継いで行く必要がある。
そんな場所へいったい何のためにゆくのか? 通常は、魚釣り、あるいはキャンプくらいしかありえない。あるいは、道志山塊へのハイキング、あるいは南側から登山をすることに飽きた丹沢愛好家が北稜からアプローチしたいという場合に選択することになる。というわけで、こんかいは先日の御正体山(これが道志山塊の最高峰である)、杓子山に続き、再度の道志山塊へのアプローチとなった(こないだ行った高柄山や高畑山は正確には前道志山塊、つまり桂川流域と、そのすぐ南、道志川流域よりは北に当たる秋山川流域(旧秋山村、現上野原市)に挟まれたところとなる)。
相模原市橋本からタクシーに乗車。運転手は四十位の女性で、筆者が「道志村まで」と行った時はちょっと驚いたであろう。国道413号、通称道志みちを西に向かって走る。津久井湖を過ぎるまで渋滞に悩まされる。津久井湖を過ぎてまもなくこの付近の交通の要衝である三ケ木(みかげ)を過ぎた頃に、ようやく車影がまばらになってくる。ここで相模湖から半原、厚木に抜ける国道412号と交差し、カーブの多い山道になってゆくが、ほとんど信号というものが存在しない。つまりこの国道以外で交通量の多い道路はほとんどないのだ。
青根で藤野からくる県道と合流し、しばらく西へ進むと、神奈川県境を超え山梨に入ることになる。その道志村にある最初のバス停が月夜野である。ここで神奈中バスは終わりとなり、ここから富士急バスに乗り継ぐことになるが、とても接続がわるく、実用的ではない。この頃になると丹沢山塊の最高峰である蛭ヶ岳や西丹沢の盟主桧洞丸が見えてくるが、何と冠雪している。当然そのことは読みに入っていなければならなかったはずだが、迂闊であった。先日からの雨は気温の低い山間部では、たとえ1,000m級の低山と言えども雪になるのである。
大室山を過ぎ、ようやく道志温泉への道を左に分ける大久保に到着。バス停は道志温泉である。ここまでの料金は約12,000円である。某製薬さん、ありがとう・・・
さて、ここで気温がとても低いことに気付く。で、筆者は大きく選択の過ちをしたことに気付く。ひとつは、靴である。この雪の中を歩くのであれば、アイゼン着用可能な1300gのC-07を穿いてこなければならなかった。しかし、どうもさいきん膝の調子がわるいので、重い登山靴は控えたいという心理が働いてしまった。もうひとつはアウターである。同じソフト・シェルでも、防風と耐水にすぐれたタイプにしておかねばならなかった。水分も、こんかいはお茶を携行せず、経口補液OS-1を持ってきてしまった。こんなに寒いのに・・・
歩き出すと、みぞれ交じりの雨が降ってくる。木の上に積もったものが雨と一緒に落ちてくるようだ。仕方がないので、レインウェアを羽織る。この時点で筆者は重ね着の選択を間違えたことに気付いた。八本爪アイゼンを持ってこなかったため、四本爪の簡易アイゼンを装着。結局、最初の目的地菜畑山(なはたうら)に着いたのは、予定時刻を少々上回る二時間後であった。頂上には誰もいない。北風が冷たい。

バナナを一本、マフィンをふたつ、そして水を少々飲んで、次の今倉山へ向かう。あいかわらず道は雪に覆われてさだかではないが、稜線上なので迷う心配はない。上り下りの多い尾根道を縦走し、次の目的地に到着したのが二時間後。予定よりも四十分近くかかっている。
ここで時刻は1:10くらい。このまま二十六夜(いざよい)山まで激走しようと思ったが・・・
今倉山からはかなり急な下りとなる。延々と稜線を降りていって、鞍部が都留の菅野川へ降りるエスケープ・ルートである。この時点で1:30。ここから二時間で二十六夜山、さらに一時間で都留市営の芭蕉月待ちの湯。そうすると、中央道都留に16:50に到着する高速バスに乗れない可能性が出てくる。さて、どうしよう?
ここは「引き返す勇気」を持って、いったん二十六夜山への縦走路へ向かった足を引き返し、下山路へ向かう。また、この下山路が雪で覆われて見えず、途中で谷に転落しそうになるが、何とか一時間ほどで県道へ下山した。そこから道路を延々と二時間歩いて富士急の谷村町駅へ、さらにそこから二十分ほどで中央道の都留インターへ到着。予定より一便早い高速バスに空席があったために、それに乗り込んで東京へ向かった。
無雪期に、こんどは道坂隧道(先日、御正体山へ登るのに使ったルートである)から今倉山へ登り、そこから二十六夜山へリベンジしようと考えている。帰りは、もちろん温泉につかって。
買ってしまった。こんどGR digitalのかわりに山へ持っていくことになろう。サンプル画像はまたそのときにでも載せようとおもう。
さて、単行本ではないが、青土社の「現代思想」二月号、「医療崩壊」について簡単にまとめておこう。いちばんすぐれていたのは、石井暎禧氏の「「医療崩壊」 の真実」という論考。これを読むだけでも本雑誌を買う価値はある。戦後日本の医療政策の光と影について、簡潔かつ的確にまとめられている。著者の石井氏はある病院の院長のようで、筆者は名前を知らなかったが、きわめて参考になる記事であった。
逆に最悪なのが美馬なにがしという神経内科医/医療社会学者の「リスク社会と医療 「崩壊」」という記事である。これは象牙の塔に住む学者の悪い部分だけを取り出したような論説である。特にイヴァン・イリイチを引いたようなところは救いようがない。先ほどの石井氏も医師であるが、これほど格差があるのもある意味日本の医療を象徴しているとも言えよう。
さて、個々の論説がどうというよりも、筆者には、このラディカル左派を象徴するような雑誌である「現代思想」誌が関心を持つ「医療崩壊」が、「救急車がたらい回しにされる」とか「お産ができない」ということよりも、「高齢者が切り捨てされる」とか「神経難病や末期患者、認知症の患者のような『生命の価値の低いと考えられる患者』の合法的殺人が可能になる」というような側面に光を当てていることが、ある意味興味深いし、ある意味社会的な認知を得られにくくしているようにも感じられた。つまり・・・
合法的安楽死や「生命の価値の低い患者の殺人」は、「ふつうに社会生活を送っている人間」からすれば、優先度の低い問題である、と通常は感じられるはずだ。なぜならば、それは医療資源が有限である、ということと密接に関係してくるからである。
飢餓で子供が何人も死んでゆき、人間の平均余命が三十代であるようなアフリカ諸国では、そもそもALS(筋萎縮性側索硬化症、徐々に寝たきりになる神経難病)のような病気を発病した場合、生きることはできない。生命維持に必要なコストを、経口補液やワクチンに回した方が医療政策上適切であるからだ。
日本のように、医療にある程度のコストをかけられる状況では、ここまで極端なベンサム的予算配分は幸いにして必要がない。しかし、政策的に高度先端医療には、その直接的なベネフィットを超える比重が与えられているのは、それによる将来の患者救済の可能性をも含めた「国策」であろう。現行ではそれはもったいないというほかはない。逆に、認知症や神経難病・高次機能障害のように、「誰でも起きる可能性はあるが、発病した場合、そのコストが病人本人の社会的生産性を上昇させない場合」への医療費の配分は、最終的には社会的な合意のもとに行われることになろう。
で、喫緊の「二次・三次救急崩壊」などの問題を置いておいて、ある意味マイナーな問題を「現代思想」誌が訴えなければならない理由は、悪意に取ればそれが哲学・倫理学的に面白いがゆえに専攻する学者が多いという事情と、善意にとれば「社会的な生産性のない人間にはカネをかける必要はない」という右派の見解を戦うべき対象とみなしているからなのであろう。
ただ、その左派の意見が実現されるためには、やはり金銭的な余裕がどうしても必要なのである。ムダな出費(公共事業や防衛費などだろうか?)を削って医療・福祉費に充てろ、という議論はもともと共産党や社民党のお得意とするところだが、公共事業を無駄と断罪したところで、それによって生活の糧を得ている人間が無数といる以上、結局は適切な所得の再配分などは不可能とも言えるからである。
だんだん山登り専門サイトみたいになってしまっているので、そろそろカテゴリ追加しなくてはいけない。
さいきん、足の腐った患者に対する「無菌ウジ虫療法」というのが一部で話題になっているらしい。内科医の大半が加入している「日本内科学会」の学会誌にも記事があったから、かなり知名度は高いのであろう。太平洋戦争の戦記を読んでいると、かならずといっていいほど傷病兵の足にハエがたかってウジが湧いている記載が出てくる。その中のコメントに、「ある意味ウジは傷口の掃除をしてくれているのだが・・・」などというのがあり、むかしからウジは創傷治癒にかならずしもマイナスにならないという認識はあったようだ。しかしそれらのウジは無菌ではなくさまざまな細菌を背負っているわけだが、それはもともと患部に住んでいるもので、それほどの実害はないものなのであろう。
さて、こんかいは奥武蔵の秘められた山である(この形容詞が当てはまるのは、ほかには有間山くらいしかないだろう)矢岳へ行ってきた。この山は通常奥多摩、長沢背稜の酉谷山と結んで縦走されることが多い。単独でこの山へ登ろうとすれば、武州中川の駅から直接登るルートと、武州日野の駅から林道を延々と歩く烏帽子谷ルートのふたつを組み合わせていくしかない。筆者は烏帽子谷から登って武州中川へ降りるルートを考えていたが、車内で気が変わってその逆ルートでいくことにした。結果的にはそれが幸いしたのだが。
武州中川からは指導標などはなく、自力で1/25,000の地図をみながらルートを探す必要がある。浄水所の左手から山道になる。しばらく行くと農家数軒の集落となり(ここは梅や季節の花が植えてあってとても雰囲気のいいところだ)そこに「大反山、矢岳」方面を示す道標がある。
しばらくは営林署の水源林監視道と重なるため、極めてよく整備されている。とても登山地図で点線で記されている道とは思えない。しばらくしてこの監視道から外れ、尾根を上がるようになるが、この道はたしかにあまりはっきりしない。しかし、霧で視界が利かないことでもないかぎり、たとえ雪道でもコースを外すことはなかろう。
若神子山は気付かずに通り過ぎ、次の大反山を若神子のピークだと思っていたが、次の電線の鉄塔のところで誤解に気付く。その鉄塔へ到着する前に、次のような山岳救助隊のメモが貼り付けられてあった。矢岳から大反山方向へ向かうハイカーのためのものらしい。「この先は大反山への道がはっきりしないので・・・引き返す勇気を」というようなものである。しかし、矢岳からここに到着するということは、酉谷山から来たか、烏帽子谷ルートから来たということである。酉谷山へ引き返すわけにはいかないし、烏帽子谷ルートのあの箇所を渡ってこれるということは、全然先へ進む心配はないということなのに・・・

次の篠戸山のピークくらいから目立って鹿のフンが多くなる。ようは、あまり人が歩かない道である、ということらしい。そしてこんどは「ここから矢岳までは道不明瞭・・・引き返す勇気を」のメモである。さて、もしこの警告に従った場合、先の警告の箇所まで戻ることになる。そして、警告に従った場合、ハイカーは永遠にこのふたつの看板のあいだで往復運動を強いられるわけである(笑)。

そこから少々の上り下りを経て、程なく矢岳へ到着。駅からほぼ四時間の工程である(予想通り)。軽い登山靴あるいはトレランシューズを履いて行けばもっと早く到着可能だろう。ここまでは危険な岩場などは一切なかった。さて、問題はここからの下山ルートである。頂上から北西に向かう尾根があって、そこを降りることが可能なのだ。問題はそのルートを外した場合には、かなりの危険が予想されるということだ。さあ、どうする?

いったんは西北に向かって降りてみたものの、傾斜が急でしかも未整備の道のため、下降は困難と判断。ふたたび頂上へ登り返す。ここで三十分弱ロスをしてしまった。結局は山岳救助隊のお勧め通り、南へ抜け旧荒川村へ降りる烏帽子谷ルートを選択した。さてここからも鹿のフンを大量に踏みながらヤブをかき分けるという道が続く。降雪のため足下も滑り、慎重に進む必要があった。道は明瞭ながらもたしかに一般ルートではない。三十分強進んだところで荒川分岐に到着。ここもはっきりしない看板がひとつあるだけである。「2002年の時点で林道は崩落、危険」とのこと。じゃあ、あの山頂の看板は何だったのだろう??

意を決して進むことにした。たしかにヤブはひどく、夏期にここを辿るのはたいへんであろう。しかし今の時期はまた積雪のため通行はかなり危険で、スリップ・滑落の可能性もたかい。ルートはある程度明瞭だが、ルート・ファインディングは必要。かなり神経を使う道であった。さすがに、倒木が道を完全に塞いでいる箇所へ来ると、「これはどうしたものか・・・」と思ったが、意を決して枝を跨いでゆくと、その木全体が動いた。根元から切られているから当然ではあるが、この木が落ちて行ったら助からない。そぉーと越え、なんとか通過。

ようやくの思いで林道へ到着。ここに、おそらく一年以内に立てられたであろう、立派な指導標があった。そこには何の注意書きもないから、通常は、ここから林道歩きの気楽な下山となるはずだった。しかし、そうはいかなかったのだ。まず、第一の崩落箇所へ到着。道が50cmくらい残されていたから、その部分を注意しながら通過。けっこうスリリングだ。ほかは崩落ではなく崩壊箇所であり、大きな石がごろごろしているような場所を通過してゆく。崩落箇所は二箇所だと書いてあったのだが・・・
地図上ではここにあたる部分が大きく崩落していた。道は完全に落ちて、通行は不能だ。いったん下に降りて道路へ登り返すか、上から回り込むかどちらかしかないが、共に傾斜が急過ぎて登り、下りともに危険である。しかし、ここを通過しない限り、家に帰れない。困った・・・・・

これ、写真では遠近感が掴みにくいが、右の崩落箇所に下から這い上るのはほとんど不能である。
崩落したガケの先をみてみると、林道が下を通行しているのが見えた。そこまでの道は、急な沢であり、ガレ場となっている。降りれないことはなさそうだ。転倒しないよう、慎重に足場を選んで降りる。何とか下の林道に降りることができた。しかし、この箇所、下りはよいが、上りの場合、ここから上の林道へ登らなければ通過不可能であるということは、理解し難い。おそらく上の崩落箇所へ至って、途方にくれるであろう。崩落箇所から林道へ出ることはかなりむずかしいからだ。いったん下にさがって、先ほどのガレ場を上がらなくてはならない。ここは、何らかの道標が欲しいところである。しかし、致し方あるまい。そういった整備がされてないがゆえに、貴重なコースなのであるから。たとえば、万が一ナルちゃんが登頂でもしたらどうなるだろうか? こんなマイナーコースに彼が来ることはないだろうが(しかし御正体山へ登ったということは、ありえるか?)、この山が整備されたら「奥武蔵一のプリミティブな山」ではなくなってしまう。そうしたら、もうこの山へくる登山客は多いに減るだろう。整備されれば何でもいいというものではないのである。

崩落箇所の下を走る林道からガレ場をみたところ。ここを登らないと林道に上がれない。
けっきょく、武州日野の駅へ着いたのは四時を回った。下山のほうにより時間がかかったわけである。帰りに地元のひとから声をかけられた。そのひとも去年の十一月に上ったそうだが、すでに崩落があったそうである。やはり道路特定財源は必要なのかもしれない(関係ない)。
というわけで、写真はあとで掲載します。もういちど読んでみてください。
修理の代金が38,000円とのこと・・・OMG
実売価格9-10万のカメラでこの価格は許し難いが、もしCCDがやられているのなら(やられていないと思うが)Foveonのものだし、高価格だろうからしかたがないのでOKということにする。
このカメラが右耳を直撃したのがきっかけでひどい外耳道炎になったわけだし、ほんとうに踏んだり蹴ったりである。
筆者は2ちゃんねるが基本的に好きでない。インターネットを通じた「ワールドワイド
で匿名性が高い」コミュニケーションによって、それによらなければ生まれなかったであ
ろうプロジェクトが発足し、高い成果を挙げる(Linuxなど)といった喜ばしい出来事が
生まれている反面、国民、あるいは世界人類という、ひとりひとりが希薄な人間関係でし
か結ばれない、弱い紐帯によるコミュニティのなかでは、結局匿名性は不特定多数あるい
は特定少数へのやり放題の誹謗中傷を助長するだけになってしまう事態もあちこちで生じ
ている。2ちゃんねるはその代表的な温床であり、これによって廃業や自殺に追い込まれ
たりする不幸なひとびとがすくなからず存在していることを、この2ちゃんねるを利用し
ているひとびと、あるいは運営している人間(彼は民事訴訟で多数敗訴し、損害賠償請求
を課されているにもかかわらず、支払いにまったく応じていないそうだ)はどう考えてい
るのであろう。
googleなどで検索をかけると、2ちゃんねるの記事はすくなからず引っかかってくる。
筆者が八ヶ岳に関する情報を収集しているときに、「八ヶ岳が嫌い」なスレッドというの
が引っかかってきた。当然、「八ヶ岳」が嫌い、ということは、登山が好きな人間の集ま
りであろう。こういう記事はおおむね無害であろうから、ちょっと読んでみた。面白いこ
とがいろいろ書いてある。代表的登山口である美濃戸口付近に駐車する人間たちのマナー
の悪さからはじまって、「登るならせめて諏訪側からじゃなくて、佐久側からにしろ」と
か、「杣添尾根を往復するのが通」とか、参考に(?)なりそうな興味深い記述もある。こんかい、こういった2ちゃんの記事の検証もかねて(嘘)八ヶ岳を実踏破してみることにした。
すでに八ヶ岳、編笠山には二回、権現岳には一回登頂している。いろいろ考えたが、次のどちらかのコースに行こうと決めた。
a)佐久側から主峰赤岳に登り、阿弥陀岳を経由して(美濃戸を通らずに)美濃戸口へ降りるコース
b)杣添尾根を経由して横岳に登り、硫黄岳を経て夏沢峠あるいは赤岳鉱泉に降りるコース
b)はまたの機会とすることとし、a)の赤岳に最初に行くことにした。
新宿駅17:00のあずさに乗ると、小淵沢に19:01に到着し、小諸行き19:38の小海線に乗ることができる。21:36発小海行きの終電に乗るためなら、新宿19:00発のあずさでよい。19:38発の小諸行きなら、清里には20:02に到着である。この電車、19:10くらいにはもう小淵沢駅に到着するので、この車内で夕飯を食べた。清里は無人駅である。この広い待合室に寝袋を広げ、寝る。どうやら土曜日にもかかわらず、この日駅で寝たのは筆者ひとりだけだったらしい。小淵沢の駅なら週末にはかならず駅寝のひとびとがいるのに・・・
4:00に起床、4:45くらいには清里を出発する。ここから美し森までは約1時間、ようやく空が白みかけてくる頃である。美し森には駐車場があって、二、三台クルマがあるが、ほとんど人はいない。ここで缶コーヒを飲み、トイレを済ませてまず美し森山に向かう。ここの頂上は展望台になっていて、清里の市街や八ヶ岳の展望がよい。目指す赤岳と思われる山頂に、灯が点滅しているのが見える。赤岳頂上山荘だろうか。ここから北杜市営のたかね荘、羽衣池を経て、スギの植林の中を歩いてゆくと、やがてスキー場のリフトが見えてくる。ここから数分進んだところが賽の河原と呼ばれるところで、展望が開けている。ここからは南ア北部と赤岳が望見できる。


明らかな尾根道になると、植林は消えてブナなどの原生林になってゆく。ここから一時間ほど歩くと牛首山という小ピークに着く。権現岳方面の展望がある。

この辺りからは割と平坦な道となる。ブナはダケカンバやシラビソなどの針葉樹の原生林に変わってゆく。扇山、2316mピークを過ぎると、正面に赤岳が立ちはだかるのを間近にみることになる。

ここからは手足を使った岩稜登りである。上部に行けば行くほど傾斜は急になり、鎖場も出現する。このあたりから昨晩赤岳頂上小屋に泊まったとおぼしきパーティとすれ違う。全部で十人くらいで、とても八ヶ岳の主峰を休日に登っているとは思えない静けさである。ここまでひとりの快速のおじいさんに追い越されただけで、同じ方向に登っている登山者はまったく見かけない。登ってきた牛首山の向こうに富士がうっすらと見える。この辺りから権現岳から赤岳に向かう、キレットを含む主稜線を臨むことができる。


右が登ってきた真教寺尾根、左が山梨県北杜市と長野県南牧村を分ける県界尾根である。その真ん中にみえるのが美し森の駐車場だ。

最後の岩稜のツメ。左上に主稜線との合流点の道標が見える。

清里駅を出ること五時間あまりで、ようやく頂上へ辿り着く。しかし、「弥栄」って、「すめらみこと、いやさか、いやさか!」という掛け声を思い出して、イヤなのだが。

頂上からの展望はさすがに素晴らしい。このところ好天に恵まれることがなく、ついつい一眼レフを持たずに登ってしまったのだが、遥かに北アルプスが望めるここには、やはり望遠は必須のようであった。さすがに日本百名山だけあり、山頂に来るとどこから湧いてきたのかと思われるくらいの人出であった。
これは方向からすると北アルプスのはず。肉眼では槍ヶ岳らしい鋭峰が確認できた。

ここから阿弥陀岳へ向かう。遠くに見えるのは南アルプス。

一時間半弱で阿弥陀岳山頂へ着く。ここも360°の大展望だ。ここから阿弥陀岳北稜(御小屋尾根)を降りてゆくのだが、おそらく阿弥陀岳には行者小屋経由で登る人が多いらしく、御小屋尾根はそれまでの賑わいが嘘のように静かな尾根であった。それもそう、えらく足場が悪いのだ。筆者も急な下りで数回転んでしまった。土尾根なので危険はないのだが。
諏訪の御柱祭のためのモミを切りだすという御小屋山で、筆者は道間違いをしてしまう。少し直進して御小屋山頂上から北西に下るところ、その手前の分岐で北のほうに道を取ってしまった。筆者が持っている1995年(!)のエアリアマップで、「財産区境界標識、踏み跡に入らぬこと」と書いてあるところである。この踏み跡に入るとどうなるか。地形からみて<<絶対に>>迷子になることはないはずの場所なのであるが、着いた先は筆者が通るまいと思っていた行者小屋・赤岳鉱泉からの下山口である美濃戸だったのである@_@
1995年のマップでは、茅野からのバス終点である美濃戸口にゲートがあり、一般車はその先には進入できず、美濃戸口から美濃戸の登山口までは一時間の車道歩きが必要だということになっている。しかし、このゲートは開放され、今は美濃戸の登山口までクルマの乗り入れが可能になっているのだった。そして、それが美濃戸=諏訪側からのルートが八ヶ岳(赤岳)の標準ルートとなっている理由だったのである。
例えばクルマを使って佐久側から登ってみよう。使える駐車場は美し森のそれと清里スキー場山麓のそれくらいしかない。このふたつを使って、真教寺尾根〜県界尾根の周遊コースを取ることは可能であるが、それには約十時間を必要とする。諏訪側から登れば、行者小屋からの周回コースで七時間くらいで可能であるし、行者小屋または赤岳鉱泉に一泊すれば、まったくムリのない登山が可能である。佐久側には適当な宿泊施設がない。登り始めたら山頂まで到達し、頂上小屋または展望荘に泊まるしかないのだ。要は、諏訪側から登った方がいろいろな意味で<<楽>>なのである。美濃戸の上高地を思わせる賑わいはそれが原因だったのだ。
筆者はここから約30分くらいで美濃戸口まで徒歩で降り、バスを待った。何でも15:10発、19:00新宿到着の高速バスが新設されたそうだが、当日は予約客不足のため運行されなかったそうだ。しかし、バスを利用する人間はごく少数で(休日にもかかわらず全員が座れた)、マイカー登山が八ツの基本らしい。そして、皆アプローチが楽な諏訪側に集中する・・・2ちゃんねるの八ヶ岳非難はそれなりに理由があることだったのである。
筆者もあの山頂(はまだよかったけど)と美濃戸の喧騒にはうんざりしたので、もう八ツには行かないかもしれない。硫黄岳と横岳には行っておきたいのだが、夏沢峠からアプローチするか、2ちゃんねらーのように杣添尾根を往復するか、どちらかを選ぶだろう。「荷物を軽くして楽に登りたい」ツアー登山客のように、安易な方向へ流れてゆくのは時代の流れなのだろうが、すると何のための登山なのだろう? 「テントと食糧を担げない人間は山に登るな」という意見は、筆者にはごくまっとうに思われるし、北海道でも飯豊でも、筆者よりもはるかに高齢のパーティが30kgを超えていそうなザックを担いで登っているのを目撃した。もう日本のかなりの山は高齢者を中心にしたツアー登山客に占領されつつあるが、それがイヤなら避難小屋がない山域にするか(南ア深南部!)、歩行距離が長くヤブっぽい難路(やっぱり深南部?)をルートに選ぶしかないのであろうか。ともかく、赤岳には諏訪側から登ってはならない、と筆者もおもった。
先日の読了
Graham Greene "The Third Man/The Fallen Idol" B
「日本の百年8 果てしなき戦線」 B
グレアム・グリーンの小説、小説的な表現が多く、筆者にはむずかしく感じた。ただ、幸い文意の正確な把握はむずかしくても、ストーリーを追うことはできる。しかしそれができたとて、やはり彼の英語表現を正確に理解しない限り、文学としての妙味を味わうことはできまい。
「果てしなき戦線」は大東亜戦争を描いた章であり、当然読みごたえがある。通常の戦記と違うのは、「なるべく庶民の感じ方、考え方を描こう」というこのシリーズ全体に共通する意図がみられることである。戦争を扱っている本としては大部とは言えない量なので、その視点のユニークさがなかったら平板に終わっていたかもしれない。
東京都の最高峰、雲取山からは、いくつかの峰が延びている。西へ向かうのは、笠取山、将監峠を経て甲武信岳や金峰山へ連なる奥秩父縦走路である。北へ向かうのは三峰神社に終わる、昔からの表参道である。東京都側に延びている尾根はいくつかあるが、そのうちで顕著なものがふたつある。一つはいったん北へ向かい、芋ノ木ドッケから三峰神社へ向かう縦走路から分かれて東側の長沢山、水松山、そして酉谷山といった峰へ向かう、長沢背稜と呼ばれる尾根であり、もうひとつが鷹ノ巣山を経て奥多摩駅へ直接降りる尾根である。この尾根上には七ツ石山、六ツ石山という「石」を持つ山がふたつあるため、この尾根は石尾根と呼ばれている。こんかいの筆者の山行の目的は、この「石尾根」へ日帰りでゆくことであった。
新宿を最も早い時間に出発しても、奥多摩の駅に着くのは7:20頃となる。この時間、例えば奥多摩の代表的な登山基地である東日原へ行こうとすると、土曜日ではバスは8:35となり(7:02には間に合わない)かなり遅い時間になってしまう。日曜日なら7:25のバスにぎりぎり間に合うのだが。土曜日、この時間に合うバスは30分発の小菅行きか50分発の峰谷行きである。しかし、峰谷からはどの山に登るにせよ、かなりアプローチに林道を歩くことになる。ので、選択肢は奥多摩駅から直接石尾根に乗り、行けるところまでゆくか、小菅行きに乗って適当なところからアプローチするか、である。
大菩薩峠越えをするときに奥多摩側からの起点となるのが、小菅と丹波のふたつの村である。このふたつの村はそれぞれ小菅川、丹波川というふたつの多摩川の源流沿いにある。バスは奥多摩湖の深山橋までは共通の道を行く。深山橋を越えるとあとは小菅川に沿ってゆくため、石尾根からはどんどん離れてゆくことになる。よって、小菅行きのバスに乗って石尾根を目指すには、深山橋バス停で降りるのがよい。
深山橋の先、奥多摩湖沿いには、小留浦、留浦、そして鴨沢という集落がある。鴨沢こそ、雲取山への最短アプローチとして知られる鴨沢コースの出発点である。このルートには筆者は二度降りたことがあるから、時間的な制約もあってここは避けることにした。筆者がこんかい選んだのは、国土地理院の地形図で破線で書かれている小留浦からのルートである。このルート、登山地図では「登山道でない小道」として書かれているから、どんなルートなのかはだいたい想像はついていた。
深山橋バス停を降りて、そのまま端を渡らず西のほうに進んでゆくと、すぐに短いトンネルがある。そのトンネルを抜けてすぐ右側、山側へかなり急な、コンクリートで舗装された道がある。ここが登山道の入口である。ちょっと進むと小さな集落があり、数件の家があるが、実際に住んでいるのはほんの一、二軒だけのようである。ここから先は沢に沿って進んでゆくことになる。が、道はない。かすかな踏み跡が沢沿いに延びているだけである。ところどころかなり辿りにくい箇所もあるが、よくみると沢沿いに電柱が建っており、この電柱を追いかけるかたちで踏み跡があるようである。にしても、ふつうの登山道のような整備は期待してはならない。かなり時間がかかることは覚悟しておこう。
一時間弱歩くと、地形図にあるように、800m付近で沢が三股になっている場所に出る。その真ん中の本流を遡ってゆくと、そこに広がっていたのは、インド的風景だった。

さらに進んだところの写真を、インドの写真と比べて欲しい。
人は住んでいないっぽい。

ここからさらに上に進むと、うち捨てられた集落があり、そこから数分で尾根上へ出ることができた。
ここから先は特に迷うところはない。踏み跡は薄いが、尾根を直進してゆくだけである。わかりにくい分岐もない。途中で地形図にない林道と交錯して一瞬迷うが、林道は無視してとにかく尾根を直進すればよい。途中で、こんなものに出会う。

クマを捕獲して電波発信機を着け、ふたたび放すんだそうな。でも、そんなことを言われても、もう来ちゃったんですけど。
クマが入っていたと思われるオリ。

しばらく進むと、赤指尾根の名称のもととなった赤指山に着く。展望はない。

ここから、峰谷への分岐を経て、石尾根縦走路までは一時間半くらいである。縦走路から十五分くらいで七ツ石山へ着く。展望はまあまあある。ここからは雲取山頂上が臨める。

が、、、筆者はここで昼食を取った後、レイテ湾を前にした栗田艦隊のように、ふたたび縦走路を反転してしまった。ここから雲取山までは一時間半ほどで着くというのに。
が、謎の反転であったわけではない。筆者なりに計算したすえの結果であったのだ。ここから雲取山に行ってしまうと、日帰りで石尾根から帰ることは不可能になってしまう(絶対に、ということではないけれども)ことを恐れたからであった。
ここからは小さな上り下りを経て、高丸山、日陰名栗峰といった無名の峰を経て、鷹ノ巣山へ至った。ここは大きなピークで、日原側、奥多摩湖側へ向かうルートが共にある。もしエスケープするならここである。しかし時刻は二時四十分ほど。まだしばらく尾根を歩けよう。六ツ石山まで歩いて、そこから水根に降りれば、奥多摩駅までのバス便は大量にあるから、そうしようと決めてそのまま進むことにした。
ここからまもなく進むと、絶好の撮影ポイントがある。

その後は植林の中の人工的に付けられたトラバース道を主に歩く。このあまり愉快でない道を延々と歩いた先が六ツ石山である。この時点で三時四十分。ここから水根に降りるつもりであった。しかし、よく地図をみると、水根への下行路と、そのまま奥多摩駅へ向かう尾根とで、それほど時間に差はないように思われるのだ。さらに、途中から林道になるはずなので、日が暮れてしまってもそれほど危険はないように思われた。さらに尾根を進むことにした。
予想通り尾根を下っている最中に日が落ち、辺りは真っ暗になった。しかし暗闇に眼が慣れてきたので、ヘッドランプは使わずに歩く。自然の中にいるような感覚が心地よい。結局、最後までライトは使わずじまい。奥多摩の駅に降りたのは五時半。三十分以上も無灯火で歩いていたことになる。
さて、石尾根の筆者的評価は、どうなるだろうか。
A:とてもよかった。ひとにも勧めたい
B:それなりによかった
C:たぶん二度は行かないだろう
とすると、Cである。理由は、道が人工的な感じが強いこと、植林された部分が多いこと、あまりにたくさんの人に歩かれていること、だろうか。前半の赤指尾根のほうが雰囲気もよく、また登山者も少ない(筆者はだれにも会わなかった)こともあり、お勧めできる。ただし、尾根までの沢道が崩壊していて危険個所もあることからすれば、万人向きではない。たぶん、峰谷橋のあたりから赤指尾根に直接取りつく道がありそうなので、そのほうがよいだろう。
最近の読了
厳家祺・高皋「文化大革命十年史(上中下)」 B
加々美光行「歴史の中の中国文化大革命」 C 以上岩波現代文庫
読むならこのふたつはセットにするのがよいだろう。もちろん、「文革とは何だったのだろう」という興味が皆無なかたにとっては無駄な読書である。
厳氏・高氏(ふたりは夫婦である)らの見解は、「文革とは毛沢東による劉少奇・鄧小平らの失脚を目的にした政治闘争であった」ということであり、ゆえに文革の歴史はその否定的な側面にもっぱら光が当てられている。実際、文革を推し進めた一派や革命小組の中でもイデオロギー的な違いはあり、毛沢東と林彪の確執からはじまり、紅旗兵同士で相争うという大規模な内紛が起き、何万という人命が失われたのみならず、貴重な文化財や近代化の基礎的な部分がかなり失われてしまったのである。よって、前者では、文革とはあくまで愚行であったという観点が貫かれているのもある意味当然であろう。
しかし、葉群(林彪夫人)や江青(毛沢東夫人)といった、能力も政治感覚もなく、みずからを誇示することしか念頭になかったような人物が権力をたやすく握ってしまうようなシステムが異様であることは否定のしようがないものの、毛沢東がいかに耄碌していたとはいえ、権力闘争だけが目的でそれほどの政治的な愚行を犯したというのは、おかしいのではないだろうか。むしろ、毛沢東はすでに国家主席として揺るぎない名声と権威を勝ち得ていたわけだから、それほどの愚行を行う動機は、ほかにあったのではないだろうか。そのような史観のもと、文革の肯定的な意味を探り出してみたのが加々美氏の著作である。すると、毛沢東の「永久革命」的な意図が透けて見える、というわけである。厳・高氏の著作は文革を描いたものの中では定評あるものだが、その欠けている部分を補うのが加々美氏の著作である、ということになる。
にも拘らず後者の評価がCなのは、単独で読んだ場合、あまりに学術的な色彩が強いからである。つまり、文革について一定の歴史的な知識がなければ、本書はほとんど理解不能である。単独で読める本ではないのである。
きれいに晴れていたので、カメラ(レンズ)の比較試験をしてみる。すると、予想通り、がっかりさせられるような結果が。
・Olympus E-3 + Leica 25mm/F1.4 F6.3
・Olympus E-3 + ED 14-35/F2.0 F6.3
・Sigma DP2 F6.3
ダウンロードしてみないとわかりにくいかもしれないが、一番解像度が優れているのはどの写真か、一目瞭然だろう。
手首のリハビリ用に買ったPowerballがようやく回せるようになった。これ、結構握力いるよ・・・
去年の登り初めは九鬼山であった。ほとんど道志山塊の山には行ってしまった気がする。高川山にはまだ行っていないがあれは分類上は大菩薩山塊になるだろう。今年は、「温泉に入れる山」に行こうと思っていた。温泉、いろいろあるがあまり混んでなくて清潔なところがいいなあ、と思っていた。今までで好印象を持っている温泉としては名栗川の「さわらびの湯」がある。ここはボーリングで掘られた温泉だから、天然温泉ではないが、清潔感がある。場所柄あまり混まないのだろう。そしてここへ入るためのルートは、奥武蔵の蕨山か棒ノ折山を経由するルートとなる。そういえば、前に棒ノ折にE-500を持って行って、感度不足で敗退した経験がある。今回、明るいレンズ(F2.0)と5段分手ブレ補正のあるE-3なら行けるだろう、と思い、棒ノ折を再訪することとした。
単に棒ノ折に行くだけなら三時間ハイクである。なので、奥多摩、それも高水三山とではなく、日向沢ノ峰に連なる埼玉=東京県境尾根を縦走することとする。そして日向沢ノ峰に出るためには、鳩ノ巣〜本仁田山〜川苔山のコースにするか、蕎麦粒山経由にするか迷ったが、この酉谷山・芋ノ木ドッケに連なる長沢背稜東側のピークのうち、まだ踏んでいないのが蕎麦粒山だったので、ここに直接アプローチのできる鳥屋戸尾根経由で登ることとした。
東日原行きの7:25発のバス(6時台を除けば、23区内からアプローチできる初バスである)に乗ると、もっとも降車数の多いバス停は、意外なことに終点の東日原ではなく、川乗橋バス停なのである。ここからは石尾根方向へ登ることはできず(できるのかもしれないが川乗橋バス停からは橋の関係で不可能である)、ここを降りた乗客はほとんどすべて百尋の滝から川苔山へ向かうことになる。筆者の目的は川乗橋バス停からすぐ左側の尾根に入ることである。この蕎麦粒山へ突き上げている尾根が鳥屋戸尾根である。
むかしのガイドブックをみるとここは「バリエーション」と書いてあるが、ちゃんと取り付きに「蕎麦粒山方面」とか書いてあるし、一般ルートに昇格した感がある。下山時に迷いやすい場所にも指導標がある。また上流の縦走路との合流点にも「鳥屋戸尾根 川乗橋」とあるから、もうバリエーションとは呼べない道となっている。
尾根に上がって、植林と自然林が交互にあらわれる道を(結構急だ)上がってゆくと、二時間ほどで笙ノ岩山である。ここまで、一箇所だけわかりにくいところがあるが、迷いそうになったら基本的に尾根筋を行くのが正しい。見通しはそれほどよいとは言えないが、樹間より時折左手に石尾根が、右手に川苔山が望見できる。
笙ノ岩山を過ぎてしばらくすると前方に長沢背稜が見えてくるが、距離はそれなりにあり急がない方がよい。地形図から想像できるが、それほど登り返しはきついものではない。一時間ほどで縦走路との合流部に着く。ここから蕎麦粒山山頂まではほんの数分である。蕎麦粒山は写真からわかるように眺めが良い山頂である。ここでひとりの男性にはじめて逢う。
ここから東方面の下山路を取る。この道でよかったのだが何となく逆方向を歩いているような気持ちになってしまい、右側(=南側)の縦走路に降りて反対方向へ歩いてしまった。もう何かこのあたりでは地図とコンパスを見ても自分の現在位置が把握できていなかった。それは当たり前で下山路にいるうちにきちんと方向を確認していなかったからなのだが。そしてこの縦走路を引き返しているうちに、トヤド尾根と踊平(=川苔山)方向が逆になっている道標を発見してパニックに陥るわけだが(大げさ)、この地図をあとからみれば当たり前なのだ。
このあたりの地形図は間違っている。で、この南面の縦走路はどうやら主脈縦走路には東側で繋がっておらず、蕎麦粒山の東側の二つのピークに沿って下降していくようなのだ。しかも二つのピークのうち、西側のピークの尾根には道がない(地形図では道があるように書いてある)。それがこの尾根を乗り越える時に筆者が混乱した理由である。しかし、次のピークから派生する尾根に縦走路が降りてゆくときにはさすがに間違いを悟り、強引にピークに登り、尾根上に出たところ、蕎麦粒山からの縦走路に合流した。たぶん、これが正しい地図である。
ここまで来ると防火帯上の道は迷うことがない。しかも、<<秘峰>>有間山への道も、筆者が今回取った県境尾根の道も、しっかり道標がある。県境尾根の道は送電線鉄塔の保守路であり、メジャーな道ではないのだが。
この道、かなりアップダウンがあり、しかも北(東)向きなので残雪があり、下山路に取るのは大変だ。いくつか踏み跡があったが、すべて筆者と反対側の方向であった。
ところどころ樹間に有間山と川苔山が見える。無雪期に登ればかなり雰囲気のあるいい場所である。かくして、棒ノ折山へ。
帰りはE-3でしっかりリベンジしてきた。30日の転倒に懲りて、アイゼンを装着したが全くの杞憂であったようである。しかし、のんびり歩き過ぎて、せっかくの「さわらびの湯」には間に合わず。例によって写真やルート図はpicasaに載せてある。