だんだん山登り専門サイトみたいになってしまっているので、そろそろカテゴリ追加しなくてはいけない。
さいきん、足の腐った患者に対する「無菌ウジ虫療法」というのが一部で話題になっているらしい。内科医の大半が加入している「日本内科学会」の学会誌にも記事があったから、かなり知名度は高いのであろう。太平洋戦争の戦記を読んでいると、かならずといっていいほど傷病兵の足にハエがたかってウジが湧いている記載が出てくる。その中のコメントに、「ある意味ウジは傷口の掃除をしてくれているのだが・・・」などというのがあり、むかしからウジは創傷治癒にかならずしもマイナスにならないという認識はあったようだ。しかしそれらのウジは無菌ではなくさまざまな細菌を背負っているわけだが、それはもともと患部に住んでいるもので、それほどの実害はないものなのであろう。
さて、こんかいは奥武蔵の秘められた山である(この形容詞が当てはまるのは、ほかには有間山くらいしかないだろう)矢岳へ行ってきた。この山は通常奥多摩、長沢背稜の酉谷山と結んで縦走されることが多い。単独でこの山へ登ろうとすれば、武州中川の駅から直接登るルートと、武州日野の駅から林道を延々と歩く烏帽子谷ルートのふたつを組み合わせていくしかない。筆者は烏帽子谷から登って武州中川へ降りるルートを考えていたが、車内で気が変わってその逆ルートでいくことにした。結果的にはそれが幸いしたのだが。
武州中川からは指導標などはなく、自力で1/25,000の地図をみながらルートを探す必要がある。浄水所の左手から山道になる。しばらく行くと農家数軒の集落となり(ここは梅や季節の花が植えてあってとても雰囲気のいいところだ)そこに「大反山、矢岳」方面を示す道標がある。
しばらくは営林署の水源林監視道と重なるため、極めてよく整備されている。とても登山地図で点線で記されている道とは思えない。しばらくしてこの監視道から外れ、尾根を上がるようになるが、この道はたしかにあまりはっきりしない。しかし、霧で視界が利かないことでもないかぎり、たとえ雪道でもコースを外すことはなかろう。
若神子山は気付かずに通り過ぎ、次の大反山を若神子のピークだと思っていたが、次の電線の鉄塔のところで誤解に気付く。その鉄塔へ到着する前に、次のような山岳救助隊のメモが貼り付けられてあった。矢岳から大反山方向へ向かうハイカーのためのものらしい。「この先は大反山への道がはっきりしないので・・・引き返す勇気を」というようなものである。しかし、矢岳からここに到着するということは、酉谷山から来たか、烏帽子谷ルートから来たということである。酉谷山へ引き返すわけにはいかないし、烏帽子谷ルートのあの箇所を渡ってこれるということは、全然先へ進む心配はないということなのに・・・

次の篠戸山のピークくらいから目立って鹿のフンが多くなる。ようは、あまり人が歩かない道である、ということらしい。そしてこんどは「ここから矢岳までは道不明瞭・・・引き返す勇気を」のメモである。さて、もしこの警告に従った場合、先の警告の箇所まで戻ることになる。そして、警告に従った場合、ハイカーは永遠にこのふたつの看板のあいだで往復運動を強いられるわけである(笑)。

そこから少々の上り下りを経て、程なく矢岳へ到着。駅からほぼ四時間の工程である(予想通り)。軽い登山靴あるいはトレランシューズを履いて行けばもっと早く到着可能だろう。ここまでは危険な岩場などは一切なかった。さて、問題はここからの下山ルートである。頂上から北西に向かう尾根があって、そこを降りることが可能なのだ。問題はそのルートを外した場合には、かなりの危険が予想されるということだ。さあ、どうする?

いったんは西北に向かって降りてみたものの、傾斜が急でしかも未整備の道のため、下降は困難と判断。ふたたび頂上へ登り返す。ここで三十分弱ロスをしてしまった。結局は山岳救助隊のお勧め通り、南へ抜け旧荒川村へ降りる烏帽子谷ルートを選択した。さてここからも鹿のフンを大量に踏みながらヤブをかき分けるという道が続く。降雪のため足下も滑り、慎重に進む必要があった。道は明瞭ながらもたしかに一般ルートではない。三十分強進んだところで荒川分岐に到着。ここもはっきりしない看板がひとつあるだけである。「2002年の時点で林道は崩落、危険」とのこと。じゃあ、あの山頂の看板は何だったのだろう??

意を決して進むことにした。たしかにヤブはひどく、夏期にここを辿るのはたいへんであろう。しかし今の時期はまた積雪のため通行はかなり危険で、スリップ・滑落の可能性もたかい。ルートはある程度明瞭だが、ルート・ファインディングは必要。かなり神経を使う道であった。さすがに、倒木が道を完全に塞いでいる箇所へ来ると、「これはどうしたものか・・・」と思ったが、意を決して枝を跨いでゆくと、その木全体が動いた。根元から切られているから当然ではあるが、この木が落ちて行ったら助からない。そぉーと越え、なんとか通過。

ようやくの思いで林道へ到着。ここに、おそらく一年以内に立てられたであろう、立派な指導標があった。そこには何の注意書きもないから、通常は、ここから林道歩きの気楽な下山となるはずだった。しかし、そうはいかなかったのだ。まず、第一の崩落箇所へ到着。道が50cmくらい残されていたから、その部分を注意しながら通過。けっこうスリリングだ。ほかは崩落ではなく崩壊箇所であり、大きな石がごろごろしているような場所を通過してゆく。崩落箇所は二箇所だと書いてあったのだが・・・
地図上ではここにあたる部分が大きく崩落していた。道は完全に落ちて、通行は不能だ。いったん下に降りて道路へ登り返すか、上から回り込むかどちらかしかないが、共に傾斜が急過ぎて登り、下りともに危険である。しかし、ここを通過しない限り、家に帰れない。困った・・・・・

これ、写真では遠近感が掴みにくいが、右の崩落箇所に下から這い上るのはほとんど不能である。
崩落したガケの先をみてみると、林道が下を通行しているのが見えた。そこまでの道は、急な沢であり、ガレ場となっている。降りれないことはなさそうだ。転倒しないよう、慎重に足場を選んで降りる。何とか下の林道に降りることができた。しかし、この箇所、下りはよいが、上りの場合、ここから上の林道へ登らなければ通過不可能であるということは、理解し難い。おそらく上の崩落箇所へ至って、途方にくれるであろう。崩落箇所から林道へ出ることはかなりむずかしいからだ。いったん下にさがって、先ほどのガレ場を上がらなくてはならない。ここは、何らかの道標が欲しいところである。しかし、致し方あるまい。そういった整備がされてないがゆえに、貴重なコースなのであるから。たとえば、万が一ナルちゃんが登頂でもしたらどうなるだろうか? こんなマイナーコースに彼が来ることはないだろうが(しかし御正体山へ登ったということは、ありえるか?)、この山が整備されたら「奥武蔵一のプリミティブな山」ではなくなってしまう。そうしたら、もうこの山へくる登山客は多いに減るだろう。整備されれば何でもいいというものではないのである。

崩落箇所の下を走る林道からガレ場をみたところ。ここを登らないと林道に上がれない。
けっきょく、武州日野の駅へ着いたのは四時を回った。下山のほうにより時間がかかったわけである。帰りに地元のひとから声をかけられた。そのひとも去年の十一月に上ったそうだが、すでに崩落があったそうである。やはり道路特定財源は必要なのかもしれない(関係ない)。
というわけで、写真はあとで掲載します。もういちど読んでみてください。