これだけ時間があればどこへ行きたいか? 海外旅行という選択肢はあった。個人的には短期の海外医療ボランティアを考えていたが、希望に沿うようなものはみつからなかった。また一年以上前から計画をしていないとだめなようだ。というわけで、まずは北海道から。
8/26(火) 羽田 -(AirDo)- 女満別空港 -(斜里バス) - ウトロ温泉バスターミナル -(斜里バス) - 岩尾別 -(徒歩) - 岩尾別温泉・ホテル地の涯
羽田でとんでもないミスをしたことに気付く。携行品のなかに禁止品がふたつ入っていた。ひとつはガスボンベ。もうひとつは熊よけスプレーである。ここは意を決して「問題ありません」と荷物を預けるときに申告する。なんとそのまま女満別まで飛んでくれたようだ。これが旭川空港だったらX線検査で引っかかるところであった。
熊よけスプレーを搭載したザックを背負って、岩尾別から温泉までの長い距離の車道を歩く。沿線には鹿の親子がのんびりと草を食んでいるのがいくらでも目撃される。岩尾別温泉は、無料の露天風呂である。ただし脱衣場などはないので、それなりの覚悟で来なくてはならない。でも日本人、外国人のカップルがバスタオルを巻いて入っているのを目撃。ここには鹿のみならず熊も入りに来るようで、上流の温泉は進入禁止となっていた。

8/27(水) 地の涯 - 弥三吉水 - 極楽平 - 銀冷水 - 羅臼平 - 羅臼岳 - 地の涯 - ウトロ温泉バスターミナル - 知床斜里駅 - 清里町駅
ホテルを朝五時前に出発する。ホテルのすぐ近くにある木下小屋(自炊・ランプ小屋)のところに登山届を記帳する冊子が置いてあるが、そのところで札幌からクルマを二日間かけて運転してきたという単独行の女性と出あう。大きなグレゴリー(だったと思う)のザックを背負っていて、筒型ではなくキスリングに近いザックだったので、かなり古いものだろう、年季が入っているということである。どこまで行くのか聞いて見ると、やはりピストンや羅臼へスルーするわけではなく、硫黄岳への縦走の予定だということだ。テン場は硫黄岳の火口にするということだから、かなり歩くことになる。とりあえず、テント泊の予定が筆者ひとりでないことにちょっと安心する。
午前中は天気がよいとは言えなかったが、羅臼岳の尾根に乗る展望台から知床五湖が臨めた。彼女とは歩行速度がほぼ同じだったので、抜きつ追いつかれつつしながらほぼ一緒に登っていった。羅臼平に着く頃には天候が悪くなってきたため、雨具を着用する。そこから羅臼岳頂上までは比較的すぐなのだが、頂上付近は岩場となっていて、雨および激しい風のためちょっとだけ危険な状態で、テント泊の重量を背負っているため、慎重に足を運ぶ。羅臼岳の山頂に着いたのは午前九時であった。知床半島をはじめ北方領土が一望できる大展望台のはずが、何も見えない。

ここでラジオで天候を確認して、予定通り硫黄岳まで縦走するか、縦走をあきらめて下山するかを検討した。とりあえずこの時点では縦走するつもりでいたが、羅臼平に降りる途中の岩清水の水場(羅臼岳で唯一煮沸の必要がない水場)で水を補給していたところ、例の女性がやってきて、下山を考えているという。もし筆者一人で縦走する場合、これで人間に逢う確率よりも熊に遭遇する確率のほうが遥かに高いことが明白となった。
最終的な決断は羅臼平の分岐ですればいいのだが、天候が悪いこと(雨だけでなくガスでほとんど視界が利かない)、縦走してもほとんど「行ってきた」というだけに終わってしまう(本来この稜線の眺めはとてもよいらしい)ことを考えて、下山することにした。彼女によると羅臼側の登山路はあまり整備されてなく、天候が悪いと危険個所もあるということだったので、おとなしく斜里側に降りることとした。妙齢の女性とふたりでテント泊をするという愉しみもなくなったし。というより、そのリスクが彼女をして撤退させた理由なのかもしれない!?
さて、降りてみると、そこからの交通がない。宿(地の涯)に聞いてみると、客を迎えにゆくクルマがあるので、それに乗ってもよい、という返事だったのだが、そのホテルのフロントで、何と若いハンサムな男性が、適当な場所まで送っていってもよい、という申し出をしてくれたので、ありがたく厚意に甘えることとした。まだ行き先を決めていない(!)ということだったので、ウトロのバスターミナルまで一緒にゆくこととする。車中でいろいろ話をしたのだが、彼は高知大WVのOBで、現役時代は大雪山や日高の縦走なども経験したそうだ。さいきん行ったのは岩木山だか八甲田山とかで、そのちょっと前には富士山にも行ってきたそうだ。特別なコースから行ったのかと思ったのだが、そうではなくて彼女が希望したからだという。筆者が思うに、このような爽やかでハンサムな男性ばかりなら日本はこれからも安泰であるし、彼女は果報者であると思ったものである。
次は斜里と阿寒を考えている、ということだったので、ひょっとしたら再会できるかも、と思いつつ、厚意を謝してウトロで別れる。ここから知床斜里の駅まではバスである。知床斜里からはJRで清里町駅までゆくことになる。前もって予約してあった民宿に、本日泊まれるかどうか問い合わせ、OKということなので清里町まで電車で移動、投宿した。はっきりいって民宿はいまひとつであったが、どちらせにせよ登山のための一泊ということであきらめる。
8/28(木)民宿 - 三井登山口 - 斜里岳 - 清岳荘ルート(旧道) - 清岳荘 - 民宿 - 清里町駅 - 釧路駅 - ホテル
斜里岳への一般ルートは清岳荘(せいがくそう)を経由して沢沿いに登る旧道であり、帰りは小滝の連続する部分を避けた新道を通って清岳荘へ戻る新道である。さまざまな理由から自治体(清里町)もこのルートを推奨しているようだが(今や百名山ブームで斜里岳は清里町にとっては大変な観光資源となっているのだから)、なるべく一般ルートを通りたくない(笑)筆者は、はじめからこのルートを通る気がなかった。そこで、民宿に、「タクシーを四時に呼んで欲しい」と頼んだのだが、「清里町のタクシーはそんな早い時間にはないよ〜」とあっさり言われて困惑。どうやら、斜里岳はマイカー登山か、マイカーを持たない登山者は前日のうちに清岳荘へ泊まって、そこからアプローチするのが定番となっているようだ。さて、困った。。。
そこで民宿の人が助け船を出してくれた。詳しくは書けないが、世の中いろんな方法があるものである。そこで何とか足を確保し、三井の登山口へ五時くらいに到着。話によると、やはり三井から登る登山者は「百人にひとり」だそうで、筆者のような偏屈者もそこそこいるようである(滅多にいない?)。登ってみて、どうして三井からの登山者が少ないのか、よくわかった。
最初は樹林帯である。ここが一番やばそうな場所で、大動物が移動している足音が聞こえるが、鹿だろうと思うようにする。しばらくすると、涸沢に出る。1時間くらいはこのザレた沢(水はない)を遡行してゆくことになる。あまり人間が通った形跡はない。そして、沢に赤いテープで通せんぼがしてあって、ここから本格的な登山道へ入ってゆく。

ここからは気持ちの良い原生林を歩くことになる。最初は落葉樹主体であるが、徐々に北海道特有の針葉樹林になってゆき、最後はハイマツ帯である。ところどころで後方へ視界が開け、奇麗に並んでいる田畑の向こうにオホーツク海が一望でき、たいへん気分が良い。ハイマツ帯に突入するころから、登山道のヤブ化がはっきりするようになってくる。低木やハイマツをこいでゆくようになるので、それだけでもここが手入れをされた一般登山道ではないことがわかる。

ハイマツ帯へ入ると前方へ斜里岳の頂上へ向かう稜線が見えてくる。展望はきわめてよいルートである。ハイマツ帯が尽きてくると今度は岩稜である。痩せた尾根を慎重に進む。ロープやコンクリで固めたウィンチの残骸がある。最後の急登は崩れやすい岩稜で、ちょっとだけ注意が必要である。ここから頂上まではまもなくだ。
頂上で、ルートのどこかで(たぶんハイマツ帯で)パタゴニアのシェルを置いてきてしまったことに気付く。しかし、いまさら戻ることはできない。帰りに約束したクルマの時間があるし、戻るのはちょっと大変なルートであったからである。仕方なくここから清岳荘ルートへ下山をはじめる。このルートがいわゆる正規の登山道であり、登ってくる多くのひとたちに遭う。登山道は次第に沢化してゆき、新道を分ける分岐のところあたりからははっきり沢下りとなる。そこでわかったのだが、ここ旧道はそこそこ整備されているとはいえ(昔はもっと鎖やロープがあったそうだが、取り外してしまったそうである。よいことだ)、まったく下山でこのルートを使うことは想定されていないのである。この日は降雨の後であり、沢は増水し、下りに使うには危険なルートとなっていた。正規のルートを大きく外れなければ降りられない箇所もあり、スリップ可能性の高い箇所は無数であった。しばらくすると、昨日の彼が上がってくるではないか。挨拶をし、再び別れる。
清岳荘は、ここを登山口としない人間にはわかりにくい場所にあり、約束していた迎えのクルマと入れ違ってしまう。携帯で連絡を取り合い、何とか民宿へ戻る。電車まで時間があったため、清里町内を少し散歩をする。この日は、JRで釧路へ移動、ホテルに投宿する。
どうして三井コースが非推奨ルートかというと、1)熊の出没がある 2)一時間の河原歩きがある 3)上部でちょっと危険な岩稜がある 4)時間がかかる などの理由があるが、おそらくそれよりも清岳荘ルート旧道が、小滝をみながら沢沿いに上がってゆくという、ビジュアル的に受けるルートであることのほうが大きいだろう。しかしだ。ほんとうに山登りが好きな人間ならば、三井ルートのほうが魅力が大きいと思う可能性がたかいように、筆者には思われた。美しい原生林、バックに広がる広大な北海道の大地、正面に頂上が展望できること、スリルのある岩稜帯と、多彩な斜里岳の魅力を知ることができる。この山に一度だけ登るのであれば、筆者は登りを三井コース、下りを旧道(ただし、雨の日はそれなりの危険あり)に取ることを勧めたい。おまけに、登山者が少なく静かであるという特典すらあるのだ。
8/29(金) 釧路駅 - 阿寒湖畔 - オンネトー - 国設野営場
斜里岳では荷物は民宿へ預けて登ったので通常登山であったとは言え、羅臼では長時間20kgの荷を担いでいたため、少々疲れが出ていた。阿寒湖畔までは阿寒バスの高速バスで移動。この日のうちに雄阿寒岳へ登ることも可能であったのだが、取りやめてオンネトーへの周遊バスに乗ることにする。オンネトーは訪れる人の少ない、美しい湖である。この湖畔にある野営場にキャンプを張り、一夜を過ごす。この日も雨であった。

8/30(土) オンネトー野営場 - 雌阿寒岳 - 雌阿寒温泉 - オンネトー - 阿寒湖畔 - 釧路駅 - 帯広駅 - 伏美岳登山口駐車場(野営)
テントの外を走り回るキタキツネに目を覚ます。テント内に荷物を留置し、軽装で雌阿寒岳へ向かう。この山は森林帯(たしか、下部は植林であったように思った)を抜けたあとの、ダイナミックな噴煙が魅力なのであろう、上部は完全に森林限界上の砂礫と岩稜の世界である。はじめに阿寒富士に登ったのだが、あの砂礫のなかでも育つ草花があることに驚く。この山、名前の通り富士山に登山のパターンが似ている。登りは砂の滑りやすいジグザグ道なのだが、帰りはその砂の中を快適に降りることができる。富士山と同じなのである。
ここから雌阿寒岳までは吹き上げる噴煙の音とイオウの匂いをかぎながらの登山となる。頂上は有毒性のガスで長居できる場所ではないので、すぐさま下山にかかる。残念ながら、この日は例の好青年には遭うことはできなかった。雌阿寒温泉からオンネトーまでは、途中までは車道を、そこからはオンネトー沿いの周遊コースを歩く。雰囲気のよい道である。

テントを撤収し、次の目的地である日高へ向かう。帯広駅からはタクシーである。本来は、伏美岳登山口の近くにある避難小屋へ泊まるはずだったが、夜間のことで場所が確認できず、駐車場のところに野営することにする。二組の団体がテントを張っていて、マイナーな山なのにとちょっと驚く。
8/31(土)伏美岳登山口 - 伏美岳 - ピパイロ岳 - 伏美岳 - 伏美岳避難小屋
テントを撤収し、出発。二組の団体のうち、大人数のほうはもう出発を終えており、もう1組のほうはまだテントで寝ていた。ここの登りは結構きつい。途中で「何合目」という表示を何度か見るが、いつまで経っても頂上に着かない印象だ。植林されている気配はなく、原生林が広がっている。展望は悪天のためよくない。山頂付近はハイマツに低木が重なっていて、低木が紅葉していてハイマツとの組み合わせはちょっと珍しい光景だと思った。

途中で「行けるところまで行く」という地元のハイカーに抜かされたあと、頂上で団体さんに遭う。やはり地元の方のようで、「九合目と頂上で熊に遭ったのできょうはここで引き返す」とのことであった。漬物と果物、そしてビールを振る舞われる。勇を鼓して次の目標値、ピパイロ岳を目指す。ここからの道はかなり荒れている印象だったが、あとで知ったことだが、このルートは地元の山岳会のかたがたが二十年を掛けて整備したルートだそうだ。それまではピパイロ岳には沢を登るしかルートがなかったそうである。しかし、あのルートは登山地図実線のルートではない。ヤブ漕ぎもあり、ふつうは破線で記載される道である。いや、北海道ではあの程度では実線とみなされるのだろうか?
明瞭だがかなりの悪路を悪戦苦闘のすえピパイロ岳に辿り着く。ここからさらに稜線を日高の盟主、幌尻岳に向かって進む予定であったが、疲労困憊していて、とてもムリと判断。引き返すことにした。人影絶えたピパイロ岳と伏美岳の山頂では、ナキウサギがその愛らしい声と姿を披露してくれていた。山中で野営するつもりだったが、途中の水場に降りてみても水のある気配がない。しかたなく、もときた道をがんばって降りることとする。何とか避難小屋に辿り着いたものの、携帯も通じず、タクシーを呼ぶ手段もない。約束した帰りのタクシーは三日後である。
水を沸かしながら駐車場に置いておいたストックを取りにゆき、小屋に戻ったところ、五人ほどの団体が小屋を使っていた。これには少々驚いた。こんな夜更けにどこから降りてきたのだろう?? 聞いてみると、沢登りの帰りのようである。先ほどの水場の件について聞くと、「あれは皆が使っている水場だよ。もっと降りないといけない」と教えてくれた。札幌の沢登りの会のメンバーであり、彼らにタクシー会社への連絡を頼んだ。この晩はこの避難小屋で寂しく過ごす。ここで、筆者は致命的なミスをしてしまったことに気付く。あの熊のうようよする日高の山中に、熊避けスプレーを置いてきてしまったのだ。これは、北海道の山の神が、もうこのくらいにしておけ、と言っているのだな、そう思うことにした。
8/31(日)伏美岳避難小屋 - 釧路駅 - 旭川駅 - 神楽岡公園キャンプ場(野営)
当初、新得からトムラウシ温泉へ行く予定であったが、断念、釧路駅まで戻り、バスで旭川まで移動。当日の飛行機は高いチケットしか残っていなかったため、翌日の飛行機を押さえて、旭川で一泊することにした。飛行機待ちでホテルへ泊まるのも癪なので、市内で野営することにした。
神楽岡公園という広大な公園が市街地ちかくにあり、ここに野営することにする。旭川の西武で食料品と酒を買い込み、バスで公園まで向かう。北海道の晩夏はキャンプの季節ではなく、家族連れの姿はなかった。野営していた外人さんに話しかけられる。携帯用のテントマットが機能しなくなったので、入手できる場所を知らないか、というのだ。旭川市内の登山用品点を教える。それからはもう一組(こちらは単独)で野営していた外人さんと宴会である。スイス人カップルとアメリカ人であり、いろんな話をして盛り上がった。一番楽しかったかもしれない。
彼らはともに40歳を超えており、スイス人カップルは一年間で世界中を、アメリカ人は三ヶ月で日本を、それぞれ自転車でバックパックして周るということであった。「パキスタンで市場へ行ったんです。そうしたら、店のひとが果物を振る舞ってくれる。『お金払っていないよ?』と言ったら、そこから去ってゆく見知らぬ人を指して、『あの人が払ってくれてるよ』。パキスタンって、そんなふうに旅人を歓待してくれる国なんです。テロとの戦いをしなきゃ行けない理由が理解できませんね。」彼らはともにインテリであり、市井に生きる庶民ではない(たぶん)。しかし、40を過ぎて、安定した仕事を放棄して、こんなふうに世界中を放浪できるというのは、自信もさることながら、やはり生き方の問題なのだろう。人間がいずれ死んでしまう存在なのだとしたら、自由に生きたいというのがどうして許されないのだろう? 日本では、このようなドロップアウトを決して許さない風土がないだろうか? 死とみずからの生き方について、真剣に考慮をしてみる必要があるように思われた。
そういえば、さすがの彼らも「くさや」は食べられなかったのだった。
9/1(月)旭川駅 - 旭川空港 - 羽田空港
彼らと一緒の朝食を終え、旭川駅から空港へ向かう。さすがに、ザックのX線検査もあり、携帯用コンロをチェックされる。そこから、たくさんの思い出と少々の疲労を抱えながら、東京へ空路を戻ったのであった。