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医療過誤のもんだい(1)

 まえから、このもんだいについてはきちんとしたものをまとめようと思っていた。危機管理との絡みで専門的に論述されることもあるようだが、あまりバランスのとれたものにお目にかかったことがない。その理由は明白だ。目標がはっきりしないからである。医療過誤を100%防止するような体制作り、人づくりはもちろん必要なのだが、それにかかる直接的なコストと、間接的なコスト、つまり、医療者の萎縮を招き(defensive medicineという)医療サービスの低下を招くという点がほとんどなおざりにされてきたのである。ようやく、小児科救急や産科医の不足というじたいをむかえて、この点が認識されるきっかけは出来てきたとおもわれるのだが、報道をみているかぎり、掛け声だけかければ数が埋まるように錯覚しているようだ。小児科や産科医の不足の原因は大きくわけてふたつである。ひとつは、労働条件がわるいこと。これを解消するには、待遇面(給与)と勤務の実態の改善(労働力をふやし、ひとりあたりの負担を軽くする)のふたつの面で対策が必要なのだが、そういった点に着眼されることはないようである。もうひとつは、広義の労働条件にはいる事柄であるが、医事紛争が多発していること、である。つまり、労働条件を改善したとしても、構造的に医事紛争が多発するような分野では、もう人の増加は望めない状態になっていることを認識する必要がある。「やりがい」というだけでは、もう人はうごかない。リアリスティックな認識が必要だ。

 さて、従来の医療過誤についての認識は、決定的に誤っている箇所がある。それは、はじめから医療行為には「過誤」は100%ふくまれないという仮定である。通常、ある手術の同意をとる際のせつめいとして、「成功率は何パーセントです」という言い方がされる。しかし、この何パーセントは、「最善を尽くしたとしても」という前提のはなしであり、医療の現場には無数に生じる「過誤」のリスクについてはふれられないことになる。筆者の主張はある意味かんたんだ。「医療にははじめから過誤が不可避に発生することを前提に政策を立案せよ」それだけである。たとえば、自動車の自賠責保険の強制加入制度のような、事故を前提にした立法を行わないといけない、ということである。

>山村さん

 そうですね、こんかいの株の誤発注もんだいもそうでした。
 さいきんの裁判例をみると、しごく簡単に医療者側の「過失」をにんていしているけれども、現場を知らないで外からみる人間の判定ほどこわいものはありません。医療過誤は構造的におきるようなしくみになっているのですが、裁判所もマスコミもそして大衆も、医療とはしごく危険度のひくい行為だとおもいこんでいる節があります。そんなに危険度がひくいならアメリカにおける「防衛医療」(訴訟を避けるために厄介な症例の診療を忌避する)などおきないはずです。

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コメント (1)

michiaki01:

そ、日本は、起こってはいけないことは、起こらないこととして、すべてが進むんでした。
でも、もちろん、起こらないことなんてないんでした。

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2005年12月28日 00:22に投稿されたエントリーのページです。

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