
読んでもいない本の書評を書くのは気が引けるが。
Michael Crichtonの最新作である。題材は「環境テロ」という、クライトンのいままでの作品と同じく未来志向のもの。このひとの先見性はだれもが認めるところだろう。
問題は、この本の中で環境保護活動が批判されていること。現在行われている活動は、必ずしもプラスにならず、却って環境を破壊してしまっている例もすくなくない、などの指摘は傾聴すべきだし、また環境に関しては科学的なデータを抜きにして語られている部分もおおい、マスコミやネットによって"State Of Fear"の状態がつくられている、地球温暖化は起きていないし、またCO2との因果関係も明瞭でない、との指摘は、「科学的には」ただしいかもしれない。
では、これらの科学的に正しい主張は「政治的に」正しいのだろうか。筆者は間違っていると思われるし、いかにもアメリカ人らしい(悪い意味で)主張に思われる。
まず、地球温暖化がなければエネルギー消費を増加させてよいか、という命題は誤りであろう。化石燃料はいずれ掘り尽くされるだろうし(されない、という説もある)、エネルギー消費の著しい不均衡(日本人は世界平均からするとずいぶんと使っている)を考えると、省エネじたいはCO2とは関係なく行うひつようがある。
それよりもなによりも、「プロパガンダに惑わされず、冷静な科学的討議に基づいた政策をすべきだ」というしごくまっとうな主張は、容易にアメリカのエネルギー政策を擁護するために使用されることになる。その陥穽に気づかないCrichtonではあるまい。むしろそれを目的として書いたと筆者は見たい。それならば、主張が一見科学的な、妥当な議論に見えて、政治的なプロパガンダを最初から狙っていたという意味では、どうしようもなく悪質なのである。
昨日の読了 なし