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Comatose

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 Pearl Jamの満を持して出された新譜「Pearl Jam」(まるでデビューアルバムのようなタイトル)は、名実共に彼らを代表するアルバムになるだろう。「Vs.」や「Ten」のような、水墨画を思わせるmonotonousなサウンドから、「Riot Act」からの少々色つきのサウンドへと変貌を遂げる彼らの軌跡が興味深い。
 "Comatose"というと、筆者には彼らの精神的師匠であるNeil Youngの"F*ckin' Up"の一節を思い出す(Pearl Jamもカヴァーしている)。「Pearl Jam」の第三曲目に収録されているこの曲のごとく、昨日は死んだように眠ってしまった。液晶画面の見過ぎが原因らしい。別に、筆者はインターネットがなくても生きてゆけるので、ネット依存というわけでもないのだろうが、やはり眼のせいなのだろう。一日中モニタを眺める職業でなくてよかったとおもうが、電子カルテが導入されたあかつきには・・・

昨日の読了
 鄭大均「韓国のナショナリズム」岩波現代文庫 B

 本書の骨子は、
『韓国は日本以上に「単一民族国家」という、国民国家の純粋な原型にちかい。よって国の内部に少数民族を持たないために、異文化に対する寛容性が低い。在日朝鮮人の存在ひとつを取ってみても、二世・三世が日本国籍を取得しないで在住を続けているという例は世界的にも特異である。いつまでも日本に対して「反省していない」を連呼するのは韓国じしんにとってよくないし、日韓関係においてはもはや韓国じしんの問題のほうが大きいと言える』
 というような内容だ。
 おおむね妥当であろうし、著者も書いているとおり、「本書がサヨク系の岩波書店から出版されたことの意義」を考えるべきだろう。
 しかし、本書の内容を踏まえた対韓関係をすべき、という議論には慎重でありたい。このような本の出版によって、韓国じしんに自省が生ずるのを根気強く待つべきではないだろうか。高揚したナショナリズムに対してナショナリズムをもって臨むのは愚の骨頂だ。相手のナショナリズムに油を注ぐだけの結果になろう。

>ゐさん

 ありがとうございます。
 実は、この写真はとても条件のわるいところで撮ったので、どうかな? と思ったのですが
(光が足りなくて露出不足だし、手ぶれ防止のために感度を上げてシャッタースピードを
稼いだためにノイズも多いし)オウムの色が割とキレイに出たので、ふだんより掲載の
サイズを大きくして載せてみました。
黄色と青のオウムはもっとキレイに撮れているので、また載せます。

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コメント (1)

ゐ:

お写真、ものすごくきれいです。 ゐ

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2006年05月28日 10:50に投稿されたエントリーのページです。

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