
昨日の記事で、網野史観についてちょっと触れた。これも網野氏の本の記事だったかもしれないが(出典を失念した)、日本の「家」制度というのは、世界的にも珍しい制度らしい。
「家」のような共同体を構築してゆくこと自体は普遍的に見られる現象だということだが、日本の場合、「家」が絶えそうなときに、他家から養子を迎えて存続させるということをやる。その際に、諸外国では原則として血縁関係にある家からひとを迎えるのに対し(血縁重視)、日本の場合は血縁はほとんど全く無視されている。例えば徳川時代などひどい。例えば幕末の島津家など子だくさんで、南部家、黒田家、讃岐松平家(だっけ?)など、さまざまな家に養子を入れている。こういうケースは希だそうだ。
家の存続が「先祖の祭りを絶やさない」ことがもともとの理由だというのはこれも普遍的なことだろうが、にしても日本のこの無節操さは特筆に値する。それは悪い意味で書いているのではない。むしろ、最近の風潮が生物学的血縁を極端に重視していることに対するアンチテーゼとして使えないか、と筆者はおもうのである。アジールで授かった子供を「神の子」としてこだわりなく育てるような文化は、もう消滅するしかないのであろうか。
昨日の読了
ジョージ・エリオット「ミドルマーチ(1)」講談社文芸文庫
これからどのような方向へ話が進んでゆくのか・・・