
単なる飲み過ぎである(笑)。
昨日は某社(眠くなるのだがとても評判のよい某薬を発売しているメーカーさん)とのお付き合いで六本木レジデンスなるところへ行ってきた。ここはA棟からD棟まであって、昨日行ったのはB棟なのだが、C棟にはホリエモンが住んでいる由。住居スペースを通り抜けて飲食店街へ行く。わりと高級な店が並んでいるようだ。バブリーな印象である。自腹で来ることはまずないと思われた(笑)。
一昨日・昨日の購入 なし
一昨日・昨日の読了
トクヴィル「アメリカの民主政治(中)」講談社学術文庫 A
まず評価についてひとこと。内容だけなら問題なくS(最高評価)である。Aとしてのは翻訳に難を感ずるからである。岩波文庫の新訳のほうがいいのかもしれない。この有名な古典は、(上)(中)(下)でかなり内容が異なる。上巻はアメリカの政治制度(この時代の)概説であり、重要性は少々落ちる。この中巻はとても大事な巻である。主にアメリカの民主制を、イギリス(貴族制)やフランス(王制)と比較しつつその得失を論じている。ここでのトクヴィルの視点が新鮮かつ必読なのは、彼が現代アメリカ合衆国が連呼する「民主主義を守れ、民主主義を布教させよ」というドグマに冒されていないことである。つまり、トクヴィルの生きた十九世紀には、まだ民主主義が最上の政治制度である、という、はっきり書いてしまうと「偏見」は存在しなかった。われわれは、アメリカの宣伝(どうしてかの国が「民主主義万歳」をアピールするのかも、この本にその回答のひとつが示されている。また、わが国の岸田秀によると、それはインディアンを虐殺したトラウマによるものであるという)を戦後無条件に受け入れさせられているために(もちろん、それが世界的な傾向であることも認めなくてはならないけれども)、「民主主義はひょっとしたら政体としては問題があるのかもしれない」というスタンスを取れなくなってしまっている。これは、形式的には民主制を採りながら、その実態はかなり専制政治を引きずっている運用がなされている日本のような国家においては、かなり問題のある態度であると言える。
トクヴィルは決して一方的にアメリカを批判しているわけでも、逆に賛美しているわけでもなく、淡々とその功罪を論じているという印象を与えているが、「民主主義は絶対に正しいのだ」という風説がアメリカを中心勢力として流布されている現状においては、トクヴィルを勧めることにはまちがいなく政治的な意味合いがある。しかし、こういう本は、中学・高校生にしっかり読ませるべきではないかと思われる。
まだこちらには手を付けていないが、ハミルトン、マディソン、ジェイ・ジェイによる「ザ・フェデラリスト」と並んで、アメリカ民主主義(だけではなく、民主主義一般としても)をきちんと考え、理解する教科書として、必読の本の一冊と考える。
>山村さん
「住んでいた」と過去形にするべきか迷いましたが、やはり突っ込まれてしまいましたか(笑)
佐伯啓思は、「現代思想が正しいとするものは、目的ではなく手段である」というような趣旨のことを述べています。つまり、民主主義によって達成される政治の質という「目的」よりも、民主主義という統治の「手段」が正当化されるということです。ひとびとがさまざまな考えを持つようになり、最大公約数的な「正義」を樹立できなくなったために、正義に到達するための「手段」にしか絶対的な正しさを見つけられなくなってきている、というのが彼の主張です。
まさに、デリダやフーコー、そして社会構築主義などを見てみるとその批判は当てはまるように思われます。「道具としての使い方が大事」というご意見はまさに正当だと思うのですが、その道具としての正当性じたいにも再検討が必要ではないか、というのが筆者の主張です。
少なくとも、他国に戦争を仕掛けてよい理由には到底なり得ないことは一見自明なのに、それについて「民主主義は絶対的に正しい」ことを理由に反駁しない、というのは敗戦の呪縛を引きずっていることなのではないか、とも考えます。
コメント (2)
>>ホリエモンが住んでいる由
え!拘置所にいるんでないの?(爆)
投稿者: michiaki01 | 2006年03月24日 20:01
日時: 2006年03月24日 20:01
民主主義についても、市場なんかと同様、それをどう使うのかが大事なのであって、それそのものが正しいわけでも大事なわけでもない、他よりはマシかもしれないけど、と言いたいね。
投稿者: michiaki01 | 2006年03月24日 20:13
日時: 2006年03月24日 20:13