
ほとんど撮影が目的で、奥多摩の低山に登ってきた。
場所の条件は、アイゼンの必要のないこと、そして眺望のよいこと。この時期は、北側ではまだ残雪があるし、南面は溶けたあとに凍結していることもあり、ちょっと危険である。今回選んだ場所でもその危険があった。なので、当初は奥武蔵の棒ノ折山に登るつもりでいたのだが、これではあまりに歩き甲斐がないために、奥多摩の高水三山とつなげて歩く計画を立てた。
ところが、バスの時間に見事に遅刻したために、急遽コースを変更。休日の特別列車の停車する御嶽駅から登るコースへ変更したため、六時間のロングコースとなってしまった。
撮影のポイントは棒ノ折山山頂。しかし、天気もそれほどよくなく、眺望も榛名山、赤城山などに限られるために、せっかくの望遠レンズもほとんど役に立たなかった。三脚なども含めて、8kgくらい背負っていったのに・・・くすん。
ただ、下山時にはゴルジュ帯といって、沢が岩を浸食したあとにできる狭い谷間を下るなかなかよいコースであったため、通過するときにかなりの枚数を撮影したために、下山したのは四時半くらいになってしまった。終点の有間ダムはロックフィル式のダムである。
帰りには名栗村営の日帰り温泉に漬かる。終バスは飯能行き18時。この味を覚えてしまうと、もう温泉のないところへは行けない(笑)。
一昨日・昨日の購入 なし
一昨日・昨日の読了
R.M.W.ディクソン「言語の興亡」岩波新書 B
豊下楢彦「安保条約の成立」岩波新書 A
前者は岩波新書に収めるには適当な内容ではないと思われる。議論はかなり専門的で、言語学者が読んでもそれなりの評価に堪える学術論文である。
後者の推論はかなり衝撃的だ。ハーバード・ビックス「昭和天皇」の天皇観、すなわち、天皇は能動的に戦争を遂行した、との結論に対して、ピーター・ウェッツラー「昭和天皇と戦争」は、昭和天皇は天皇家および天皇制の存続が彼にとってのすべてだった、との昭和天皇観を提示して真っ向から対立していた。豊下氏の安保成立史観は、後者に近いものであり、さらに衝撃的である。つまり、米軍の日本駐留、沖縄占領を積極的に推し進めたのは昭和天皇である、という仮説を提示している。思うに、この推論はかなり信憑性の高いものであるように思われる。著者が最後に書いている事実もショッキングだ。つまり、沖縄の米軍基地内に存在する遺跡が次々と破壊され、民俗学者を嘆かせているという。日本で最後に残った聖域は、天皇陵(あるいは宮内庁・外務省に眠る天皇関係の資料)と治外法権(米軍基地)だということなのである。
筆者の推論は資料公開がないかぎり立証されることはないが、これが真実だとすると、昭和天皇こそ史上最悪の売国奴、ということになる。右翼はこれをどう考えるのか。十五年戦争への天皇の態度も併せて、天皇制存続のために、どれだけ国民は犠牲になったのか、計り知れない損失かもしれないのである。

コメント (1)
なるほどね...。
そんな天候だったら、望遠持って山に入るより、都心で女の子釣ってる方がいいかも...なんて。(笑)
投稿者: michiaki01 | 2006年03月07日 03:54
日時: 2006年03月07日 03:54