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一眼レフ(2)

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 書いた原稿を不注意で消してしまい、泣き・・・

 読書とは関係のない話が続いて申し訳ない。
 個人的に嬉しいことがあり、一眼レフの購入を検討してもいいかな、と思うようになり、再度調べてみた。
・画質は今でも銀塩が勝る
 如何に銀塩一眼レフというのが完成された技術であったかわかろう、というものであるが、逆に数十万も出せるなら、わざわざデジカメを選ぶ理由があるのだろうか? 黎明期のCDとアナログレコードのような関係にあると考えられる。
・デジカメ一眼レフの規格は統一されていない
 これは、銀塩には35mmという統一規格があることと比較しての話である。デジカメの場合、銀塩の感光紙(フィルム)に当たるのは、光をデジタル信号へと変換する撮像素子である。これはCCDあるいはCMOSという素子になるが、その大きさが35mmフルサイズ、APS-Cサイズ(24mm)、そしてフォーサーズ(18mm)の三種類あるのだ。キャノンの高級機はフルサイズ、キャノンの普及機とニコンのほぼ全一眼レフはAPS-Cサイズ、そしてオリンパスはフォーサーズを採用している。
 さて、単純に考えれば、露光部分が大きければ単純に画質も上がりそうである。しかしそうではないのだ。銀塩フィルムでは、斜に入る光もフィルムを感光させるが、CCDあるいはCMOSの場合、垂直に入ってくる光以外は反応しない性質を持っている。そのために、特にレンズの周辺部の屈折して入ってくる光の受光が十分でなくなるということが起こる。つまり、フォーサーズのほうが、ある意味レンズの性能を生かせるということにも(理論的には)なりかねないのだ。
 今のデジカメ一眼レフでは、35mm銀塩時代の交換レンズをそのまま用いることができることが多いのだが、以上の理由より、銀塩よりもレンズの性能を生かせないという事態が起こることになる。
 現に、各カメラメーカーおよびレンズメーカーは、APS-Cサイズのデジカメに特化した、またはフォーサーズのデジカメに特化したレンズを発売している。これらは35mm銀塩用のレンズよりもデジカメではよい画質が期待できるものである。反面、もし、この規格が最終的に統一されないために、買いためたレンズの資産が無駄になってしまうということが生じたとしたら、それは由々しき問題である。

 一眼レフの場合、銀塩でいうとフィルムの大きさがまだ統一されていない現状において、無難な選択肢は以下の二つとなろう。
1)レンズ資産の繰り延べは考えず、現行で安価に入手できるものを選択する。
 この方針からは、フォーサーズ陣営のオリンパスE-500の標準ズームレンズ付き(90,000円くらい)がよい選択と思われる。または、APS-Cサイズの素子を持つキャノンのEOS Kiss digital Nの標準ズーム・望遠ズームキット(120,000円くらい)がもう一つの選択肢となる。E-500もkiss digitalも、一眼レフとしては破格の軽さ(レンズ込みで700-800gくらい)を誇るのも嬉しい。
2)しばらく様子見
 取りあえず、手持ちのGR digitalの活用を考える。問題は、「猫が撮れない」という欠点をどうカバーするかだが、おそらく、リコーサイドへ「ワイコンだけでなく、テレコンも出して欲しい」という要望はかなりあるものと予想されるので(二倍テレコンなら55mm標準レンズとなり、ほぼ見たままに撮れることになる)、それを待つか、出る予定がなければ、画質はかなり落ちるであろうが、ケンコーの汎用二倍テレコンを購入して、猫用として用いるか・・・問題は、やはり猫なのである。

 どちらにせよ、以前のデジカメから比べると、GR digitalの画質は格段の進歩があるので、猫以外のことはそれほど不満には思わないのだ。冒頭の画像、赤坂見附の歩道橋から、ベルビーを右手に撮った。歩道橋が揺れていたので、多少のぶれは仕方がないところか(補正機構がないから)。
 でも、ズーム欲しい・・・^^;

昨日の購入
 鶴見俊輔「回想の人びと」ちくま文庫
 小島信夫/森敦「対談・文学と人生」講談社文芸文庫

 鶴見氏、最後の「戦後を代表する知識人」である。どうかいつまでもご健勝で。
 二人の芥川賞作家、作風はかなり違うが、両方とも今の時代には求められない「文芸」的な小説を残している。小島氏の「うるわしき日々」(有名作「抱擁家族」よりは、こちらをお勧め)、そして森氏の「月山」、不朽の名作である。

昨日の読了
 岸田秀/K・バトラー「黒船幻想」河出文庫 C

 評価Cというのは、つまらないという意味ではない。岸田氏の著作に親しんでいる方なら読まなくともよいだろう、という意味である。はじめて岸田氏の著作に触れるかたなら「なるほど!」と思うであろう。
 岸田氏の「外的自己・内的自己」の概念装置は、フロイトが源流と思っていたのだが、実はR.D.レインなのだそう(「引き裂かれた自己」)。岸田氏がレインを読んでいたとはある意味意外だった。
 もっとも、レインは二、三十年前に日本でブームになって、かなり読まれた。その影響で、神田古書街などには、みすず書房から出ているレインの古書が大量に眠っている。

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2006年02月14日 00:43に投稿されたエントリーのページです。

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