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渡米腎移植への不快感

 以前ちょっと触れたような事例が、本日のNHKで紹介されていた。生後数ヶ月で、腎臓がほとんど機能していないため、アメリカで腎移植をするしか救命の方法がない、とのことで、9000万かかる費用を募金で賄う、という話で、寄付のための電話番号まで紹介されていた。
 筆者はこういう報道を見聞きするたびにおおきな抵抗を覚える。まず、筆者が(たぶん医療者としては少数派だとおもわれるが)脳死からの臓器移植にかんしては一切賛成しかねる、と考えていることは置いておく(これについてもいずれ触れる機会があるであろう)。筆者の抵抗感は、やはり公共放送を特定の個人の利益のためにつかう結果になっていることである。つまり、まだしも民放ならば(視聴率稼ぎのために)許せる、と感じる。ほんらいは、民放であっても、電波の公共性をかんがえると、よろしくないと考える。
 つまり、このケースは、「生後まもなくそのような事態になったのは気の毒だ」という感情から企画されたのだとおもうが、渡米して脳死患者からの臓器移植を受ければ救命可能な患者さんは、ほかにもたくさんいる。報道を見て、「自分も・・・」と扼腕するひとびとの存在に思いが至らないのだろうか。
 また、こういう報道は、「日本でも小児の脳死患者からの臓器移植を推進すべきだ」という政治的メッセージを暗にふくんでいるわけだから、さらに問題だとおもわれる。社民党の阿部知子議員(小児科医)は、小児の脳の可塑性を理由に、小児の脳死移植については慎重なかんがえを示していたが、妥当だと思われる。まして、筆者は成人であっても好ましくない、と考えているのだが、それについては社会的なコンセンサスは得られそうもないので、仕方がないと考えている(しかし、自分がレシピエントになるような事態になっても、移植は受けないだろうし、もちろん脳死状態になってもドナーとなるつもりもない)。
 NHKに抗議の投書をしてもいいのだが、筆者が医療従事者であるということで、余計な詮索をされるのも嫌なので、ここに意見表明をしておく。理由はともかく、公共の機関で、ある特定の個人の利益を図るような行動は望ましくない。それは、こんかいのケースが大変気の毒だ、ということとは、何の関係もない。

>山村さん

うーん、あっさり肯定されるのも。

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コメント (1)

michiaki01:

そ、概ねそんなところなんでない?

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2006年01月12日 21:19に投稿されたエントリーのページです。

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