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ファシズムについて

あれ、トラックバックできないようになってる・・・

 >こんな人たちに自己の生死と未来を預けてしまったドイツ国民云々
 こういう書評を書く人間は、おそらくノーテンキなサヨクの人間だと思うのだけれど、歴史というものを知らなすぎる。すでに、この分野の古典とも言えるハンナ・アレント「全体主義の起源」は、ファシズムの源流は反ユダヤ主義であり、それを担ったのはモッブという階層の人間であり、さらにモッブを生み出したのは近代資本主義であることを立証しているのだから、そんなに簡単に言えてしまうわけはない。なんせ、ハイデガーのような、当時のドイツ最高の知識人のひとりですら、ナチスを支持しているのだ。
 仲正昌樹「日本とドイツ 二つの戦後思想」(光文社新書)のような手軽に読める本でも、その辺の事情は説明されているので、せめて読んで欲しいと思う。最低限、アレントとフロム(「自由からの逃走」)を踏まえないファシズム批判は意味をなさない。ニュルンベルグ裁判で、戦後ドイツはホロコーストを一部の人間にのみその罪を被せることに成功したわけだけれど、後述するように、日本と同じく、むしろ一般大衆が積極的にナチスを支持した(ホロコーストじしんを支持したわけではないけれど)という側面もあったのだった。だから、「気付いたときには後戻りができなかった」わけでもない、と筆者は考えている。
 斎藤茂吉も、太平洋戦争開戦の際、戦争を賛美する歌を詠んでいる。
 筆者がいいたいのは、「だから歌人の風上にもおけない」ということではない。あの当時、与謝野晶子なども含めて、ほとんどの文化人は開戦を支持したのだった。これは、単に日本ファシズムに乗せられていた、という単純な事実を意味しない。
 思うに、ことの発端をつくったのは日本の中国侵略だったとしても、それによる米国の経済制裁、在米日本人の迫害などに対して、出口のなさを感じていた日本人がほとんどだったのだろう。それは、日本を非難しつつ、植民地経営を行っていた国(英仏)、直接の植民地経営はしていなくても(フィリピンは準植民地とは言えるが)経済的に植民地を得ていた国(米)が、みずからの悪は既得権として棚にあげて、後進国を非難する、という、日本・独・伊に共通する不平等感を煽っていた、という、ダブルスタンダードに対する抗議があったのではないか。
 もちろん、「盗人にも三分の理」の三分を強調することは許されないが、全体主義体制の成立は当時の国民にとってはそれなりの利益として作用していただろうことは容易に推測がつく。非合理的な体制が長続きすることもあるが(某国のように)、それよりも当時ファシズムは合理性を持った体制であったというところから議論を出発させるほうが生産的だろう。

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2006年01月12日 12:20に投稿されたエントリーのページです。

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