いま、あらゆる社会契約において、相互の人的信頼性は崩壊しつつあるというのが、筆者の認識である。
たとえば、教育、医療、建築、物品の購入といった、基本的な契約は、それぞれサービスの提供側(教師、医師、建築会社、小売店あるいはデパート)と、受給者のあいだの「信頼」を前提としていた。そのようなかたちの契約は、民法のなかでも、単なる典型契約ではないとみなされている場合もある(前二者はそうだろう)。売買契約において、相互の信頼関係を全く前提としていない例が、ウェブショップであると考えてよかろう。だから、amazon.comをはじめとするネット取引は、すぐれて現代的な存在といってよい。
つまり、契約における力関係(当然カスタマーのほうが強い)を利用して、その濫用をする人間、すなわちクレイマーが、典型的な出現の場であった売買契約を超えて、別の契約の場でも増殖しているのではないか、という認識である。
デパートや食品会社など、クレーマーが頻発してきた領域では、それに対応する特別な部署、特別な人間が存在する。つまり、「クレーマーが存在する」ことが、取引コストに含まれている、ということである。しかるに、教育や医療といった領域では、お互いの信頼関係が前提とされていたために、サービスの質に対する常識的なクレームを超えた、パワハラとも言うべきクレーマーの存在が想定されてこなかった。
筆者の年来の主張は、「医療において、想定されるリスクやミス(人間である以上、ミスは0%になるものではない)の処理コストを最初の契約のコストに含めるべきだ」というものであるが、これらのクレーマー処理コストも、当初の契約に含めるべきことを真剣に考えてもいいのではないだろうか。
もちろん、教育費と医療費の増大は、国が望まないところだから、自衛手段として、不正請求その他で稼いだ(笑)費用をそこに充てるしかなかろう。もちろん、筆者は正規の方法で、つまり契約の処理コストがそこに埋込まれることを希望するが、それが期待できないのであれば、国民が学校や病院を一方的に責めるのはどうかとも思われる。
昨日の読了
武田泰淳「新・東海道五十三次」中公文庫 A
倉田百三「親鸞」中公文庫 B
泰淳へのA評価はちょっと甘いかもしれない。ともかく、このような小説とも随筆とも付かぬ、鵺的な文章は、とてもうまい。また、本小説?も、一歩間違えれば太宰治的な、露悪的・自虐的な泰淳の性格(小説上のキャラかもしれないが、おそらく実生活でもそうだったのではないか?)がよく現れていて、興味深い。クルマを用いた東海道の紀行文である。
「親鸞」については、また機会を改めて書こう。
>やっぱり、今でも白い巨塔ならぬ権力が存在し、薬価差益
>か何かで不明金を積み立てしてるのかなあ?
薬価差益じたいは違法でも何でもありません。納入価格の決定の際に、薬局あるいは購入方にバックマージンや饗応がなされれば違法ですが。
>病院へ行くと暇でも忙しくても通り一辺の処理速度で処理される
じつに良心的な病院ではありませんか。
忙しければいい加減になる病院のほうが多いと思われます・・・
ドストエフスキー、光文社から新訳が出ていますね。岩波の「戦争と平和」の新訳も読んで見たいところです。米川正夫氏の旧訳もなかなか味がある(正確な翻訳かどうかはわかりかねますが)ものでしたが。
コメント (1)
>自衛手段として、不正請求その他で稼いだ(笑)費用を
>そこに充てるしかなかろう。
やっぱり、今でも白い巨塔ならぬ権力が存在し、薬価差益
か何かで不明金を積み立てしてるのかなあ~
>国民が学校や病院を一方的に責めるのはどうかとも思わ
>れる。
しかし、病院へ行くと暇でも忙しくても通り一辺の処理速度
で処理されると、何故か?ムカツクんですよ。
あ!これは役所の窓口へ行っても一緒か。。
公務員が仕事に対するコスト意識の低さは、民間で苦しん
で利益をひねり出してる者にとっては、ルサンチマン的な
妬みがどうしても出てしまうのでは無いでしょうか?
ドストエフスキーをこの年に成って読み直して見たく成り
ました。
投稿者: ポー助 | 2007年08月28日 00:42
日時: 2007年08月28日 00:42