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御正体山死の彷徨

 に、なるところだった(ちょっと大げさ)。写真は、尾根筋から道志村の村落を臨んで。

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 うちのすぐそばに住んでいるお兄さん(名字はしらないが、ナルちゃんとか徳仁とか呼ばれているらしい)が行ってきたということなので、あちきも行ってみんとてしたなり。

 御正体山は山梨県道志村と都留市との境に位置する、道志山塊の最高峰(1628m)である。この山の主な登山ルートは五つある。

1)都留市細野より
2)道坂隧道より
3)道志村白井平より
4)山伏峠より
5)都留市鹿留(池の平)より

 1)がクラシック・ルート。2)は都留市と道志村の境である道坂峠より、御正体山と今倉山との分岐に出ることになる。4)の山伏峠は道志村と山中湖村の境界で、ここからは1時間ほどあるくと山中湖畔の平野集落に出、そこから東京に向かう高速バスに乗れる。5)はさいきんまであまり知られていなかったルートのようだ。事前情報ではナルちゃんは4)の山伏峠コースを使ったらしい。彼とおなじコースを辿るのはなんとなくイヤなので道坂峠から登って細野に出ることにした。

 高速バスで中央道都留で下車、都留市駅まで歩いてタクシーを拾う手もあったが、時間を稼ぐために中央線で大月下車、富士急に乗り換えて谷村町下車。タクシーは当然いないので、電話をかけて来てもらう。ここから都留道志線の道坂隧道まで乗るのだが、なんと4,300円もかかってしまった。

 タクシーの運転手さんによれば、ナルちゃんは、5)を使って登山し、4)に降りたらしい。どうやらそれが、ペンペン草も生えないくらいに4)5)ルートが過剰整備されてしまった理由のようだ。

 さて降ろされたのは道坂隧道の東側出口、つまり道志側である。降りてみると、登山道を示す標識がない。困った・・・と思いきや、左側に使われていない道路が見えた。これが旧道坂トンネルに繋がる道であろうと推測し、入って行った。もうこの時点で雪が30cmくらい積もっている。トレースはない。なんのことはない、今の登山道は都留側に付けられていたのである。

 旧道は閉鎖されたトンネルで終わっており、左側に「御正体山登山道」との標識がある。しかし・・・登山道の影はみあたらない >_< このあたりにも30cm以上の積雪があり、それで消えてしまっているのか、荒廃して消滅してしまったのかは定かではない。しかし、この隧道の上に稜線があるのはわかっていたので、登山道を無視して急峻な坂を無理やり登ってゆく。スギの植林帯がなければとうてい登攀不能な傾斜である。途中で直登をあきらめ、スギづたいにトラバースしながら少しづつ登ってゆくと、小さな尾根に出た。よくみると植林帯から道が上ってきているようにも見えるので、雪がなければ登山道はあるのかもしれない。そこから数分で道坂峠上の稜線に出ることができた。

 ここからが地獄のはじまりだった(なんちて)。さきほど引用したページによれば、三時間半ほどで到着可能であったということだが、考えてみればこれは積雪が20cm以下の記録なので、無雪期と所要時間は変わらないはずなのだ。しかし登ってみたら、30cmはおろか、膝関節を超えてふとももの真ん中くらいまでずっぽり埋まってしまう箇所もあって、本格的なラッセルが必要なコースだったというわけである。

 もちろんトレースはない。ときたま人の足型のようなはっきりしたトレースが登山道を横切っていたが、あれはシカのそれだろうか? ほかはウサギや鳥とおぼしき足跡ばかりで、これを見る限りは動物たちの楽園という風情のところである。雪は軟質で、まったくアイゼンは必要がない。登山靴が雪に埋まって歩きにくいことおびただしい。ようは、この時期のこのコースに必要なのは、アイゼンではなく、わかんあるいはスノーシューだったのである。

 コースの2/3くらいのところで、登攀不能箇所に行き当たった。コースらしい左側のガケは危険で、右側の緩やかなところは潅木が生い茂っており、通過不能だ。少し戻ってトラバースできそうなところを探すが、左右はかなり急な斜面で、回り込めそうもない。意を決して左のガケを登ることにする。木や岩を掴みながらなんとか通過。

 コースの3/4のところで、白井平からの道と合流。こちらからは誰かがさいきん登った形跡があり、トレースがついていた。これでじゃっかん登りやすくなるかとおもったが、道はここから300mを一気に登る最後の急登だ。稜線も細くなり、トレースは最後には完全に新雪に覆われ、消えていた。登ろうにも足がざっくり雪に埋まり、キックステップも利かない。ひざや上半身を使って地道にラッセルをするしか登る方法はなかった。

 頂上が見えてきてからも長かった。膝上まで雪に埋まり、文字通りの匍匐前進になった。かくして頂上に到着したのは二時過ぎ。登山をはじめてから五時間半ほどが経過していた。昼食を取る元気もなく、パンをひとつだけ食べ、お茶を少し口にして山頂をあとにする。写真も撮らなかった。頂上にあったのは、小さな祠(御正体という山名からもわかるとおりここは本来信仰の山である)と「皇太子登頂記念」の誇らしげな看板、さいきん設置されたと思われる新しい木のイス(もちろんかまぼこ上に雪が積もっており、休憩は不可能である)そして超りっぱな指導標である。指導標には先ほどの各コースが全部網羅されていた。しかし・・・

 ここから細野コースへ向かって下山を開始。途中で鹿留コースへの分岐を経て(ここにも立派な指導標あり)あとはほぼ下りオンリーの道である。二時間ちょっとでバス停に降りることができた。

 さて、降りてみると、道坂みちにも細野みちにも道標はほとんどまったくなく(道坂コースでは白井平への分岐にあった古いものがほとんど唯一のもの)、ぺんぺん草どころか、雪の中から笹がこんにちわ状態であった。ということは、頂上の道標には各コースが記されていたものの、頂上および峰宮跡の道標は、あきらかに鹿留コースならびに山伏峠コースのみを念頭においたものであることはあきらかだ。ということは・・・

 ナルちゃんにはもうすこし登山を控えてほしいと切にねがうのであった。

>成果

1)フン族や飛蝗と同様、ナルちゃんの通過した後には草木一本残らないこと
2)深雪には歩行具(ワカンまたはスノーシュー)が必要であること

を実感した結果、タクシー代と併せてサイフがさらに軽くなりそうな予感がすること、でしょうか。

 道標やベンチを作ることも必要(?)かもしれませんが、自然保護地域に指定されているこの山域の保全のためには、登山口ならびに頂上にトイレの設置が望まれるでしょう。

 なお、帰りの細野(御正体登山口)から大月までのタクシー代については、某製薬メーカーMRさんであるK崎さんのご尽力に厚く感謝もうしあげます。

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コメント (2)

アカヒゲ:

近頃の君を拝見していると、山登りの「殉教者」という感じを抱かせられるのだけれど・・・・。

思い当たる事といえば・・・
宮本武蔵が盛んに野山を只ただ歩き、歩き。そうやって己を信じられるようになるまで歩いた・・・という、映画での一場面が浮かんできたよ。


それで・・・・藪武蔵の場合の成果はどうだったわけ?

ポー助:

>某製薬メーカーMRさんであるK崎さんのご尽力に厚く感謝
>もうしあげます。

ワハハ。正直ですねえ~しかし、なかなかこのMR氏の入り方
は昔ながらのタイプの営業マンですね。
いやいや、嫌らしいですが領収書はキッチリ貰っていたのでしょうか?気になる所です。

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2008年02月16日 12:19に投稿されたエントリーのページです。

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