続き。
「夜」は、名高いアウシュビッツの記録。小説ではあるが、ほぼエリ・ヴィーゼル自身の体験に基づくものと考えられる。「夜明け」は、「夜」の主人公が、イスラエル独立運動の際、イギリス人将校の処刑を命じられる、という思考実験に上にかかれた作品。そして、「昼」は、フランス在留中に体験した事故を通じて、「死者とともに生きている」みずからの状態を語った作品、である。
筆者の予想では、「昼」では、イスラエル独立運動そのもの、あるいはその後の中東戦争が描かれているのかと思っていたが、それはみごとに、外れた。もしそうであれば、「夜」はあくまでイスラエルおよび中東戦争を正当化するものとして位置づけられるからである。さすがに、強硬なイスラエル擁護論者のヴィーゼルといえども、そこまで露骨な構成にはしにくかったものと推測される。
そう、ヴィーゼルがプリーモ・レーヴィとちがって、イスラエルをほぼ無条件に肯定している点、「神は死に、わたしは死者とともに生きている」と書きながら、「ホロコースト産業の代表的受益者のひとり」と批判されている点、などを先入観として持っていれば、どうしても批判的に読まざるを得ない、ということは認めざるを得ないが、それでもなお筆者は彼のこれらの連作に違和感を感じるのだ。
それは、おそらく彼の思考、あるいは感性、感情の前提にある「ユダヤ人は神に選ばれた民族である(はずであった)」という信念、からきている。だからこそ、「ホロコーストを防げなかった、あるいは試練として信者に負わせた」神に対して絶望する(しかしそれでもなおユダヤ人=ユダヤ教信者であり続ける)のである。
アウシュビッツを経験するとニヒリストになるかどうかはわからない。常識的に考えればパレスチナ人の境遇にも理解と同情を示せるようになりそうである。が、そうできないどころか、イスラエルを擁護するということが、ホロコーストのトラウマであるのかもしれないし、むしろホロコーストを「人類にとっての災厄」ではなく、あくまで「ユダヤ人にとっての災厄」としかとらえられないことが、ホロコースト以前からの(一部の、であろうが)ユダヤ人の病理、であったのかもしれない。
以上に述べたような意味で、ノーベル平和賞に輝いた一作家の作品としてではなく、イスラエルにおいてパレスチナ人へ無情な攻撃を続ける民族の病理を解剖した作品として、本書は一読に値するように、筆者には思われる。解説の村上光彦氏の文章はとてもていねいにこの作品を読解していることがわかるものだが、筆者はまったく別の観点からこの作品を読んでしまったことになる。
エリ・ヴィーゼル「夜・夜明け・昼」みすず書房 B