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オリンピック(2)

 オリンピック、特に冬季のそれが「ブルジョアの祭典」であることは前にもどこかで書いたことがあるが、いわゆる国別メダル数を見ると、大ざっぱにその数が国力(経済力)に比例していることが見て取れる。中国や韓国がメダルを量産しているところをみると、国内でウィンタースポーツができるかどうかは、あまりメダル数に関係はしていないようだ。もちろん、韓国も中国も、自国内でできる施設はあるのだろうが。

 となると、次にオリンピックに進出してきそうな国は、人口と経済力から言ってインドとブラジルの二国であるが、可能性はあるだろうか。あまりないような気がする。というのは、両国とも、国内向けにナショナリズムを宣伝する必要はある(と言い切ってしまうと、インドではヒンドゥー・ナショナリズムという厄介な問題を抱えているし、ブラジルでは先住民問題がまだ現実のものとしてあるから、あまりに単純化しすぎてはいるが)けれども、韓国や中国のようにメダル数で国際的なプレゼンスを誇る必要があまりなさげだからである。それは国家の体質が違うということに尽きる。インドはそれよりも軍事的に優位を誇示できればいいということなのであろう。

 見ていて思ったのは、各選手がそれぞれ努力を積み重ねて来ていることとは別のこととして、「日本、どこまでオリンピックに付き合うの?」ということだ。例えば、キム・ヨナと浅田真央の間には、少々のミスでひっくり返らないような大差がついているように思えたけれども、それは選手の力量だけでなく、チームとしての力量の差であるとも言えるだろう。要は、国家としてどこまでメダルに金をかけるか、という話にだんだん集約されてきているように見えるのだ。つまりアベベはもうマラソンで金は取れない時代になってきている、ということだ。

 民主党の仕分けでスポーツ助成金が削減されることに選手が異を唱えていたけれど、国際試合に勝利するために国家がどこまでスポーツにつきあうべきなのか? オリンピックが年々その政治性を強めつつある中(筆者以外の他の日本人は、あまりそういう印象を持たないように見えるのだが)、どこまでオリンピックという政争に付き合っていくのか、考えてもいい時期に来ているのではないだろうか。誰かが「メダルを何個取ろうが何の意味もありません」と言い、それにコンセンサスが得られればいいのだが、メダル競争はそもそも国家(政府)にとって(民主党政権にとってさえ)都合の良いお祭りなのだから、期待できないのが正直なところか。

 でも、そろそろみんな、「オリンピックに付き合うのはばかばかしいからやめよう」と思うようにしませんか? あれは平和の祭典でもアマチュアの祭典でもなく(プロも出るし)、一種の塹壕戦なのであると。

 それとも、いっそ国威発揚および消費拡大(公共事業だから)のため、消費税を上げてオリンピックにつぎ込むか?

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2010年02月28日 23:42に投稿されたエントリーのページです。

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