もちろん筆者はあまりまじめに見ていないが、開幕式と閉幕式では、カナダの先住民(の格好をした人?)を多数動員していたようである。これは、十年以上前ならばあまり考えられなかったことで、1992年のリゴベルタ・メンチュウのノーベル賞受賞や、オーストラリアにおける労働党政権時代の、アボリジニによる土地返還請求の是認などの、先住民尊重の機運がポリティカリー・コレクトとなっていることの反映であろうと思われる。
しかし、それでいいのか。これは、武田泰淳がすでにあの評判のわるい(筆者は泰淳の最高傑作と考えるが)「森と湖のまつり」で指摘しているような、難しい問題を孕んでいるように思われる。
たとえば、「スポーツへの資本主義の浸透」と同じような、「先住民文化の商品化」という古典的な問題である。そもそも、先住民の衣装・舞踊を「鑑賞」しているわれわれの意識のなかには、少なからずエキゾシズムが入り込んでいるであろうことは否定できまい。そしてそのエキゾシズムに応えるかたちで先住民文化が商品化され、われわれの前に提示される。これを、先住民文化の尊重とはとても言えるまい。
さらに、日本における先住民問題を、どれだけの日本人が理解しているだろうか? 1997年まで、「土人」という文字の入る法律が施行されていたことや、二風谷ダム・平取ダム問題などについて、どのくらい知られているのだろうか。また、先住民問題とは微妙に異なるが、これも幾重に複雑に屈折した側面を孕んでいる沖縄の現状は、どうだろうか。
そういった問題に対して、関心がなかったひとたちの眼が向くようになるのであれば、あの作り物めいたエグジビションにも何らかの意味があるというものだろう。